No246の投稿で終了。
長期間ご愛読に感謝。
著者 都留 仁 (つとめじん)
「本名」 「高田 勇」 第7代 湖西市商工会長
No246の投稿で終了。
長期間ご愛読に感謝。
著者 都留 仁 (つとめじん)
「本名」 「高田 勇」 第7代 湖西市商工会長
何が起きてもナミアムダブツだ。
”ナミアムダブツでなくもよい、ナンミョウホウレンゲキョウでもよい、ナムカンゼオンボサツでもいい、
いやお題目など唱えなくてもよい。
人間の貪り、怒り、愚かさを知り、その存在の小ささを知り、自分が自然の一部であるということを知り、
眼前の出来事をそのまま受け入れて、すべて感謝と謙虚と思いやりの心をもって一生を終わりたい。”
【ハイッ、さようなら】
大した仕事をしなかった人でも、長寿の人の死に顔は美しい。
”長生きした人の死に顔は常に安らかで美しいものである。
逆に社長であっても、志半ばで倒れた人の死に顔は惨めである。会社で出世できなくても、
せいぜい長生きして、安らかな死に顔であの世に行きたいものである。”
【極老の人は一死睡るが如し】
(日本古典)
サラリ-マンが仕事を辞めてからやりたいことは。
”旬の旨いものを喰う、よき古典を読み直す、美しい自然に接する、よい芸術品を鑑賞する、
名所旧跡をたずねる、温泉に入る、能力体力にあわせた社会奉仕をする。”
【老人がことを為すにあたり、最も必要なものは金ではなくて体力である】
(現代のことわざ)
最高の老後対策は、財産を持つことである。
”子供たちの世話になるにせよ、老人ホ-ムに入るにせよ、結局金を持っていなければうまくはいかない。
長生きをしたければ、若いうちから金を貯めて、老後に備えなければならない。
長寿社会というものは、決していいことばかりではない。楽しむことばかり望んでも、
物質的裏付けがない人生は悲惨である。
ただし財産だけで楽しい老後がおくれるかといっても、必ずしもそうでないことが多いのも事実である。”
【白い金は黒い日の為のものである】
(世界のことわざ)
足るを知るということ(二)
”足るを知るといっても、実際にある程度の地位にのぼり、ある程度の財産がなければ、
この心境になることは不可能である。しかしサラリ-マン生活三十年を、こつこつ真面目に
努力していれば、殆んどのサラリ-マンは足を知るの心境に到達出来るものである。”
こう
【恒産なければ恒心なし】
(中国古典)
足るを知るということ(一)
”サラリ-マン生活ばかりでなく、人間として、足るを知るということが、一番大切である。
しかし足るを知るということは、何も進歩や向上の努力を否定することではない。
現状維持に甘んずるということでも勿論ない。己の分限を知りむさぼってはいけないという意味なのである。
自分の能力や環境の許す範囲で、営々とつとめはげんで、それ以上の無理をしてはいけないという意味である。
サラリ-マン社会で、貧慾に物事を追求して成功する人も勿論いるが、それらはごく限られた人達である。”
【足るを知るは天下第一の富】
(中国古典)
会社を辞めたら、地域社会奉仕をすべきである。
”会社の中で忙しく働いていると、自分が属している地域社会の恩を感ずることは少ない。
しかし実際には、自分をとりまく社会や地域から色々な恩恵を受けて、自分や会社が
存在することをよく知るべきである。そこで職を離れてからは、今までの経験をいかして、
出来るだけ地域奉仕をすべきである。今までと違った社会と接することが出来るし、また
色々な人々との接触は人生を豊かにしてくれる筈である。
定年後、個人生活の充実のみを追求する人間は、身勝手な人間である。”
【恩とは因縁を知る心である】
(仏教の言葉)
心も身も、年相応に老いることがよい。
”何事も『らしい』ということが大切である。若ければ若いように、年を取ったらそのように
暮らすのが一番である。
よく六十歳でありながら、四十歳の肉体であるといわれて喜んでいる人がいるが、
あまり感心したことではない。又そんなお世辞をいう医者も信用できない。
心も体も年相応に変化するものである。その歳その歳の値打ちがあってしかるべきである。”
【晩年学ぶ勿れ少年の人を、節勿ち荒して多く身を誤る】
(漢詩)
サラリ-マン社会で、年七十を過ぎて尚且つ、第一線の地位に留まっている人は
例外なく物欲、権力欲、名誉欲の何れか異常に強い人と見て間違いない。
”中国古典では七十歳は子に譲る年といわれている。七十となっても尚高い地位に留まって
いる人は、いかにその人物・業績が立派でも、人生の知恵に欠ける人であると
判断してもよい。”
【人は老いて花をかざし自ら羞じず
花は応に老人の頭に上るを羞ずるなるべし】
(漢詩)
監査をしないのが名監査役、相談を受けないのが名相談役。
”どんなに人を増やしたり制度をいじくったところで、監査役に会社の不正を見破ることは期待できない。
あまり細かいことをほじくり立てる監査役は敬遠される。相談役も元社長であったりするだけに、
あまり口だしをし過ぎるとこれまた敬遠される、黙っている方が、畏敬されるものである。
存在するだけでその役割が果たせる監査役、相談役が最高である。監査役も相談役も、結局は会社から
報酬が支払われている。監査役も相談役も在任中もし必要あれば、会社の存亡の大事に関わる場合に
のみ発言すればよい。一言相談役の謂れである。”
【落紅はこれ無情のことにあらず、化して春泥となって又花を守る】
(漢詩)
職を退いてから呑む一杯の茶は、天下最高の美味である。
”ヨ-ロッパでもリタイヤメントという言葉がある。
職を退いてから、朝ゆっくりと起きて、ゆったりと啜る一杯の茶の味は最高である。
しかしこれが味わえるようになるためには、サラリ-マンとしてよき引退の道を歩む
ことが必要である。”
【人も来ず 誘う風さえ音絶えて 心と庭に散る桜かな】
(御製)
社長を辞めたら経営に口ばしを入れてはいけない、経営に口ばしを入れたければ
社長を辞めなければよい。
”日本の会社では、いい悪いは別として社長に全権限が集中しているのである。
社長を中心に会社が回っているのである。社長を辞めたらキッパリ経営への未練を
断ち切らねばならぬ、どうしてもそう出来ないなら、社長を辞めなければよいのである。
たとえ自分の意志に反して社長を辞めた場合でも、そうした事情があったのであるから、
いさぎよく諦めなければならない。”
【功成りて退くは天の道なり】
(中国古典)