酔虎の独り言

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サラリ-マン今様 菜根譚

2021年11月23日 09時20分11秒 | 日記

No246の投稿で終了。

長期間ご愛読に感謝。

    著者   都留 仁 (つとめじん)

         「本名」 「高田 勇」 第7代 湖西市商工会長


サラリ-マン 今様 菜根譚 No246

2021年11月23日 09時13分02秒 | 日記

何が起きてもナミアムダブツだ。

 

”ナミアムダブツでなくもよい、ナンミョウホウレンゲキョウでもよい、ナムカンゼオンボサツでもいい、

いやお題目など唱えなくてもよい。

人間の貪り、怒り、愚かさを知り、その存在の小ささを知り、自分が自然の一部であるということを知り、

眼前の出来事をそのまま受け入れて、すべて感謝と謙虚と思いやりの心をもって一生を終わりたい。”

 

【ハイッ、さようなら】


サラリ-マン 今様 菜根譚 No245

2021年11月21日 11時31分04秒 | 日記

大した仕事をしなかった人でも、長寿の人の死に顔は美しい。

 

”長生きした人の死に顔は常に安らかで美しいものである。

逆に社長であっても、志半ばで倒れた人の死に顔は惨めである。会社で出世できなくても、

せいぜい長生きして、安らかな死に顔であの世に行きたいものである。”

 

【極老の人は一死睡るが如し】

    (日本古典)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No244

2021年11月20日 09時42分35秒 | 日記

サラリ-マンが仕事を辞めてからやりたいことは。

 

”旬の旨いものを喰う、よき古典を読み直す、美しい自然に接する、よい芸術品を鑑賞する、

名所旧跡をたずねる、温泉に入る、能力体力にあわせた社会奉仕をする。”

 

【老人がことを為すにあたり、最も必要なものは金ではなくて体力である】

     (現代のことわざ

 


サラリ-マン 今様 菜根譚 No243

2021年11月13日 17時21分10秒 | 日記
一生苦しめられたライバルの棺の前で弔辞を読むことが、
         サラリ-マン最後の楽しみである。
 
”いやな奴であった。入社以来意地悪をされ、中傷され足を引っぱられた・・・
でも彼のおかげで俺も今日の地位までこられたのかも知れない。
二人して会社を支え世間では親友だったと誤解しているのだから・・・・・。”
 
 
【之を愛して其の生きんことを欲し、之を悪みて、
          其の死せんことを欲す是惑いなり】
  (中国古典)

サラリ-マン 今様 菜根譚 No242

2021年11月12日 14時41分52秒 | 日記

最高の老後対策は、財産を持つことである。

 

”子供たちの世話になるにせよ、老人ホ-ムに入るにせよ、結局金を持っていなければうまくはいかない。

長生きをしたければ、若いうちから金を貯めて、老後に備えなければならない。

長寿社会というものは、決していいことばかりではない。楽しむことばかり望んでも、

物質的裏付けがない人生は悲惨である。

ただし財産だけで楽しい老後がおくれるかといっても、必ずしもそうでないことが多いのも事実である。”

 

【白い金は黒い日の為のものである】

  (世界のことわざ)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No241

2021年11月11日 06時45分20秒 | 日記

足るを知るということ(二)

 

”足るを知るといっても、実際にある程度の地位にのぼり、ある程度の財産がなければ、

この心境になることは不可能である。しかしサラリ-マン生活三十年を、こつこつ真面目に

努力していれば、殆んどのサラリ-マンは足を知るの心境に到達出来るものである。”

 

   こう

【恒産なければ恒心なし】

   (中国古典)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No240

2021年11月10日 17時43分29秒 | 日記

足るを知るということ(一)

 

”サラリ-マン生活ばかりでなく、人間として、足るを知るということが、一番大切である。

しかし足るを知るということは、何も進歩や向上の努力を否定することではない。

現状維持に甘んずるということでも勿論ない。己の分限を知りむさぼってはいけないという意味なのである。

自分の能力や環境の許す範囲で、営々とつとめはげんで、それ以上の無理をしてはいけないという意味である。

サラリ-マン社会で、貧慾に物事を追求して成功する人も勿論いるが、それらはごく限られた人達である。”

 

【足るを知るは天下第一の富】

   (中国古典)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No239

2021年10月29日 15時30分36秒 | 日記

会社を辞めたら、地域社会奉仕をすべきである。

 

”会社の中で忙しく働いていると、自分が属している地域社会の恩を感ずることは少ない。

しかし実際には、自分をとりまく社会や地域から色々な恩恵を受けて、自分や会社が

存在することをよく知るべきである。そこで職を離れてからは、今までの経験をいかして、

出来るだけ地域奉仕をすべきである。今までと違った社会と接することが出来るし、また

色々な人々との接触は人生を豊かにしてくれる筈である。

定年後、個人生活の充実のみを追求する人間は、身勝手な人間である。”

 

【恩とは因縁を知る心である

  (仏教の言葉)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No238

2021年10月28日 16時29分38秒 | 日記

心も身も、年相応に老いることがよい。

 

”何事も『らしい』ということが大切である。若ければ若いように、年を取ったらそのように

暮らすのが一番である。

よく六十歳でありながら、四十歳の肉体であるといわれて喜んでいる人がいるが、

あまり感心したことではない。又そんなお世辞をいう医者も信用できない。

心も体も年相応に変化するものである。その歳その歳の値打ちがあってしかるべきである。”

 

【晩年学ぶ勿れ少年の人を、節勿ち荒して多く身を誤る】

      (漢詩)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No237

2021年10月18日 10時31分29秒 | 日記

サラリ-マン社会で、年七十を過ぎて尚且つ、第一線の地位に留まっている人は

例外なく物欲、権力欲、名誉欲の何れか異常に強い人と見て間違いない。

 

”中国古典では七十歳は子に譲る年といわれている。七十となっても尚高い地位に留まって

いる人は、いかにその人物・業績が立派でも、人生の知恵に欠ける人であると

判断してもよい。”

 

【人は老いて花をかざし自ら羞じず

    花は応に老人の頭に上るを羞ずるなるべし】

    (漢詩)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No236

2021年10月16日 17時03分10秒 | 日記

監査をしないのが名監査役、相談を受けないのが名相談役。

 

”どんなに人を増やしたり制度をいじくったところで、監査役に会社の不正を見破ることは期待できない。

あまり細かいことをほじくり立てる監査役は敬遠される。相談役も元社長であったりするだけに、

あまり口だしをし過ぎるとこれまた敬遠される、黙っている方が、畏敬されるものである。

存在するだけでその役割が果たせる監査役、相談役が最高である。監査役も相談役も、結局は会社から

報酬が支払われている。監査役も相談役も在任中もし必要あれば、会社の存亡の大事に関わる場合に

のみ発言すればよい。一言相談役の謂れである。”

 

【落紅はこれ無情のことにあらず、化して春泥となって又花を守る】

     (漢詩)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No235

2021年10月13日 17時17分00秒 | 日記

職を退いてから呑む一杯の茶は、天下最高の美味である

 

”ヨ-ロッパでもリタイヤメントという言葉がある。

職を退いてから、朝ゆっくりと起きて、ゆったりと啜る一杯の茶の味は最高である。

しかしこれが味わえるようになるためには、サラリ-マンとしてよき引退の道を歩む

ことが必要である。”

 

【人も来ず 誘う風さえ音絶えて 心と庭に散る桜かな】

     (御製)


耄 録(引退・相談役)

2021年10月13日 17時09分50秒 | 日記

耄録(もうろく)

 

           ゆ

七十を老と曰う(伝う、子にゆづる)

     もう

八十を耄と曰う(罪あれども刑を加えず)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No234

2021年10月12日 06時42分07秒 | 日記

社長を辞めたら経営に口ばしを入れてはいけない、経営に口ばしを入れたければ

社長を辞めなければよい。

 

”日本の会社では、いい悪いは別として社長に全権限が集中しているのである。

社長を中心に会社が回っているのである。社長を辞めたらキッパリ経営への未練を

断ち切らねばならぬ、どうしてもそう出来ないなら、社長を辞めなければよいのである。

たとえ自分の意志に反して社長を辞めた場合でも、そうした事情があったのであるから、

いさぎよく諦めなければならない。”

 

【功成りて退くは天の道なり】

  (中国古典)