酔虎の独り言

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サラリ-マン 今様 菜根譚 No239

2021年10月29日 15時30分36秒 | 日記

会社を辞めたら、地域社会奉仕をすべきである。

 

”会社の中で忙しく働いていると、自分が属している地域社会の恩を感ずることは少ない。

しかし実際には、自分をとりまく社会や地域から色々な恩恵を受けて、自分や会社が

存在することをよく知るべきである。そこで職を離れてからは、今までの経験をいかして、

出来るだけ地域奉仕をすべきである。今までと違った社会と接することが出来るし、また

色々な人々との接触は人生を豊かにしてくれる筈である。

定年後、個人生活の充実のみを追求する人間は、身勝手な人間である。”

 

【恩とは因縁を知る心である

  (仏教の言葉)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No238

2021年10月28日 16時29分38秒 | 日記

心も身も、年相応に老いることがよい。

 

”何事も『らしい』ということが大切である。若ければ若いように、年を取ったらそのように

暮らすのが一番である。

よく六十歳でありながら、四十歳の肉体であるといわれて喜んでいる人がいるが、

あまり感心したことではない。又そんなお世辞をいう医者も信用できない。

心も体も年相応に変化するものである。その歳その歳の値打ちがあってしかるべきである。”

 

【晩年学ぶ勿れ少年の人を、節勿ち荒して多く身を誤る】

      (漢詩)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No237

2021年10月18日 10時31分29秒 | 日記

サラリ-マン社会で、年七十を過ぎて尚且つ、第一線の地位に留まっている人は

例外なく物欲、権力欲、名誉欲の何れか異常に強い人と見て間違いない。

 

”中国古典では七十歳は子に譲る年といわれている。七十となっても尚高い地位に留まって

いる人は、いかにその人物・業績が立派でも、人生の知恵に欠ける人であると

判断してもよい。”

 

【人は老いて花をかざし自ら羞じず

    花は応に老人の頭に上るを羞ずるなるべし】

    (漢詩)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No236

2021年10月16日 17時03分10秒 | 日記

監査をしないのが名監査役、相談を受けないのが名相談役。

 

”どんなに人を増やしたり制度をいじくったところで、監査役に会社の不正を見破ることは期待できない。

あまり細かいことをほじくり立てる監査役は敬遠される。相談役も元社長であったりするだけに、

あまり口だしをし過ぎるとこれまた敬遠される、黙っている方が、畏敬されるものである。

存在するだけでその役割が果たせる監査役、相談役が最高である。監査役も相談役も、結局は会社から

報酬が支払われている。監査役も相談役も在任中もし必要あれば、会社の存亡の大事に関わる場合に

のみ発言すればよい。一言相談役の謂れである。”

 

【落紅はこれ無情のことにあらず、化して春泥となって又花を守る】

     (漢詩)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No235

2021年10月13日 17時17分00秒 | 日記

職を退いてから呑む一杯の茶は、天下最高の美味である

 

”ヨ-ロッパでもリタイヤメントという言葉がある。

職を退いてから、朝ゆっくりと起きて、ゆったりと啜る一杯の茶の味は最高である。

しかしこれが味わえるようになるためには、サラリ-マンとしてよき引退の道を歩む

ことが必要である。”

 

【人も来ず 誘う風さえ音絶えて 心と庭に散る桜かな】

     (御製)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No234

2021年10月12日 06時42分07秒 | 日記

社長を辞めたら経営に口ばしを入れてはいけない、経営に口ばしを入れたければ

社長を辞めなければよい。

 

”日本の会社では、いい悪いは別として社長に全権限が集中しているのである。

社長を中心に会社が回っているのである。社長を辞めたらキッパリ経営への未練を

断ち切らねばならぬ、どうしてもそう出来ないなら、社長を辞めなければよいのである。

たとえ自分の意志に反して社長を辞めた場合でも、そうした事情があったのであるから、

いさぎよく諦めなければならない。”

 

【功成りて退くは天の道なり】

  (中国古典)


サラリ-マン 今様 菜根譚 No233

2021年10月06日 07時33分57秒 | 日記

俺がいなくなったらあとはダメになると、大方の有能なるサラリ-マンは

思っているものである。

 

”しかしながらその心配は無用である。あとはなんとか仕事が流れていく場合が多い。

有能なサラリ-マンは皆この程度の自尊心を持っているものである。”

 

【後生おそるべし、いづくんぞ来春の今に如かざるを知らんや】

   (中国古典)