「イノさんのトランク」
〜黒澤明と本多猪四郎 知られざる絆〜
「ゴジラ」の本多猪四郎監督が残したトランク
初公開資料が語る黒澤明との絆
「ゴジラ」の生みの親、本多猪四郎監督が逝去して来年で20年になります。
彼が生前、「自分の手で本にしたいから」という理由で開けなかったトランクには、
戦争に3度かり出された不遇の助監督時代から晩年に至るまでの日記、
親友・黒澤明との交流を綴ったノートや手紙、
そして「ゴジラ」誕生と試行錯誤を示す様々な資料などが眠っていました。
この初公開となる資料を基に、日本を代表する2人の監督の絆を、
撮影の記録係を務め、50年以上にわたり見つめ続けた妻・キミさんの証言とともに描きます。.
監督デビュー直前の黒沢明(1910~98年)が、
戦地にいる親友で後に映画「ゴジラ」の監督を務めた
本多猪四郎(いしろう)(1911~93年)にあてた手紙が見つかった。
23枚に及ぶ長文で、デビューへの意気込みや米国映画への対抗心などがつづられ、
2人の深い友情がしのばれる。
本多と黒沢は名匠・山本嘉次郎監督の下で働いていた。
2人の友情を描くドキュメンタリー「イノさんのトランク」を制作していた
NHKの取材で、本多の妻・きみさん(95)が遺品のトランクを初めて開けたところ、
黒沢の手紙が出てきた。
日付は昭和17年(1942年)8月29日。
当時、中国戦線にいた本多に、監督デビューが報告されている。
「十月に一本演出する。原作・脚色・演出――、
やりそこなっても誰にも文句の持って行きどころの無い背水の陣」
「とにかく、ぬーっと出て、僕黒沢です。と、やるだけのこった!」
32歳でようやく世に出ようという喜びと自負がのぞく。
ただ実際のデビュー作は、藤田進主演の「姿三四郎」(1943年)。
手紙で触れた企画は、何らかの理由で流れたとみられる。
文面からは、敵国の米国映画への対抗心と敬意が入り交じる。
「或(あ)る夜の出来事」などの監督・脚本コンビ、フランク・キャプラ、
ロバート・リスキンを当面の敵として挙げ、「この二人に白旗を上げさせてやろう」と
記す。
一方で、〈1〉快適なテンポ〈2〉画面の鮮明〈3〉筋の明快〈
4〉ユーモアの適切な挿入――などを、学ぶべき点として挙げている。
(2012年12月18日15時56分 読売新聞引用)