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山形国際ドキュメンタリー映画祭 山形新聞 中島さん2

2009-12-10 13:37:59 | Mr.G

■山形人に光(中) 「ゴジラ」を演じた俳優・中島春雄さん

 [山形国際ドキュメンタリー映画祭|山形新聞:]

2009年10月07日 掲載
「ゴジラ」を演じた酒田市出身の中島春雄さん。怪獣演技の道を切り開いた=神奈川県の自宅で

 本多猪四郎監督の映画「ゴジラ」が封切られた1954(昭和29)年当時、東京の街を焼き尽くす恐怖の怪獣・ゴジラがどうやって動いているのか、観客には明かされなかった。

 その正体は-。酒田市出身の俳優中島春雄さん(80)=神奈川県=が、着ぐるみに入り、動いていた。中島さんはゴジラを皮切りに、その後数々の特撮作品に出演。スーツアクターとして未開の境地を切り開いた。

■体を張り注目
 酒田市で肉屋を営む家庭に生まれ、小学校を卒業すると海軍に入隊。終戦後はアメリカ進駐軍の物資輸送トラックの運転手になった。だが、仕事中にスピード違反で摘発され、解雇されてしまう。仕事を求めていた中島さんは、新聞にたった一つ載っていた求人「映画俳優募集」の広告に目を止めた。見事試験に合格し、俳優学校に入校。芝居の道を歩み始めた。

 初めて本多作品に出演したのは「太平洋の鷲」。火だるまになる特攻隊員を演じ、体を張ったスタントシーンで注目を集めた。こうして「ゴジラ」出演の話が回ってくる。

■立ち回り一任
 重さ100キロ近い着ぐるみを身に着けて動く。「軍隊で厳しい訓練を受けていたから、どうってことはなかった」と笑い飛ばす。それ以上に大変だったのは、ゴジラの立ち回りを一任されたことだという。「今まで誰も怪獣を演じたことがない。自分で動きを研究して、監督たちに『これでどうか』と見せる。監督たちもそこからイメージを膨らませていく。責任を感じた」。動物園に通っては、クマやゾウの動きを参考にした。

 「ゴジラ」で、本多監督や円谷英二特技監督が中島さんに求めたのは「リアルにやってほしい」ということ。怪獣は、わざとビルを壊しはしない。ただ歩いているだけのつもりなのに、足元の鉄塔を踏みつぶし、しっぽでビルをなぎ倒してしまう。そんな自然な演技を求められた。「少しでもわざとらしいところがあれば円谷さんが『くさい、くさい』と注意して、撮影のやり直しだった」と振り返る。

 現場での本多監督の印象は「一切怒らない、穏やかな人」。ほかの監督たちは、俳優の芝居になかなかOKを出さない。「俳優をぎゅっと絞って、その搾りかすを出させようとする撮り方。しかし、本多監督は役者の話によく耳を傾け、本番は一発OKを出した」と語る。

 中島さんは酒田市、本多監督は鶴岡市(旧朝日村)出身。二人で懐かしく故郷を語り合うこともあったのかと思えば「生まれが同じ山形だと知ったのは本多さんが亡くなってから。一緒に仕事をしているときは映画の話ばかりしていた」という。「仕事にノスタルジーは必要ないからね」と中島さん。怪獣演技の道を切り開いた“ミスター・ゴジラ”は今も、映画の話になると、真剣な表情に変わる。

 【メモ】「やまがたと映画」本多猪四郎特集は10日午後3時半、11日午後3時から山形市のソラリスで。「伊勢志摩」「夜間中学」「花嫁三重奏」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」「上役・下役・ご同役」と、本多監督が影響を受けたロバート・フラハティの「アラン」の計6本を上映する。「夜間中学」(10日午後6時)上映後に本多監督の長男隆司さん、「サンダ対ガイラ」(11日午後3時)上映後に中島春雄さんを迎えてのトークがある。
 


◆画像:「ゴジラ」を演じた酒田市出身の中島春雄さん。怪獣演技の道を切り開いた=神奈川県の自宅で


■ソース:山形新聞 2009年10月07日
http://yamagata-np.jp/feature/movie_fes/kj_2009100800140.php

■山形国際ドキュメンタリー映画祭公式サイト
http://www.yidff.jp/home.html


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