畑ニ居リマス・田舎暮らしPHOTO日記

畑のかえるくんの楽しい日記です。

梁瀬義亮先生の戦争体験(2)・「いのちの発見」から

2012年05月03日 | 梁瀬義亮先生のこと
左は診察中の梁瀬先生。

(昨日の続きから)
白鳥:「戦地を死守しろ」と、その頃の「死守」というのはまさに「玉砕」の意味ですね、この命令はどうなったんですか。
梁瀬:夜2時に、「万難を排して、突破して、12キロ後ろにある陣地によって、敵戦車を阻止せよ」という命令がきたわけです。命令が変わったわけです。12キロ後ろの陣地によって抵抗したほうが有効だ、と後ろの司令部は考えたんでしょうね。それで突破してきたんですが、その途中私の衛生兵も死にました。なかなか突破は大変でしたね。その翌日12キロで、戦闘があったんですが、その時も私は生き残りました。そして最後は7月19日に、部隊が全滅しまして、バラバラになってしまいました。私も右脚を負傷して化膿してしまいました。私をまぜて19名の負傷兵と、アメリカ軍が占領した本道をさけて裏道を通って、友軍の方向へ、北の方向へ行こうとしたんですが、そこはバギオのマウントプロスと申しまして、山岳地帯なんです。1200から1500メートルくらいの山また山なんですね。そこの間道を通って行くうちに、ちょうど雨期で星も月もわからずだんだん山へ迷いこんで、そして16人が飢えと寒さで死にました。フィリピン島でも山の上はたいへん寒い上に、一日中びしょ濡れ、それに食べるものは腐った木に生えた茸だけですからね。私と残った兵隊2人がもう餓死寸前のところを山に住む原住民に捕らえられて、この左眉上の傷あとはその時のものです。そして首を切られて殺されました。日本兵はみんな殺されるんですね。それは原住民が悪いんじゃなくて、食べるものが無いためにね、いろいろ問題が起こるわけですからね。彼らも生きるために必死なんです。ところが私を殺す役の原住民が、たまたまカトリックの信者で、バギオのハイスクールを出て、英語をしゃべれたんです。彼ももちろん、私を殺すつもりでおったのですが、私が英語を理解することを知ると、英語で日本人のことを口をきわめてののしったのです。「われわれは平和な人間で山で平和に暮らしていたのに、お前たち日本人がやってきて村を焼き、女、子どもまで殺した。日本人は何という残酷な人間どもだ」とね。私は「そうじゃないんだ、日本人はこんなものだ」ということを英語で言ったわけです。その中に「われわれは仏教徒だからそんなことはしないはずだ。君らは自分は平和な民だと言っているが、われわれ日本人から見ると恐ろしい人たちだ、現にわれわれの戦友たちが君らに殺されている。‥」と言ったんです。そうしたら、「仏教ってなんだ」と、こう聞いたんです。私は、「仏教というのは、ブッダという聖者の教えで、あらゆる生きとし生けるもの、たとえ、虫でも兄弟だ、という教えだ。そうして生きる原理は、自分以外の生命の幸せ、幸福のために祈り行動するという教えだ」とふっと言ったんですよ、まったくふっとね。そうしたら「あなたは平和で、教養がある」と言って、それで縛をほどいてくれました。‥しばらくしてから、「私はあんたを殺さなければならない。許してくれ」と言いましたよ。
白鳥:原住民の方が、
梁瀬:ええ、私に。「私はあなたを殺さなければならないんだ。許してくれ」と言いましたよ。私は、「われわれ仏教徒は殺されたとは思わない。死すべき時がきて、仏陀のところへ帰るんだ。それだけなんだ。あなたに殺されたとは、仏教徒は思わないんだ」と言ったんです。そして一心に念仏しました。なかなか安心立命なんかではないですよ、栄養失調で死にかけていて、まったく気力というものはないし、殺されるってほんとうにたまらぬほどいやなものです。しかし、私には念仏という頼るものがあったのは事実です。
白鳥:その後、彼は先生を負ぶって逃げてくれたわけ?
梁瀬:ええ、その後に、私に水を飲まし、スープを飲まして、そしてその夜負ぶって村を抜け出して逃げてくれたんです。
白鳥:まさに生死岸頭ですね。

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1 コメント

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ただ念仏 (miku)
2012-05-03 08:50:17
「われわれ仏教徒は殺されたとは思わない。
死すべき時がきて、仏陀のところへ帰るんだ。それだけなんだ」
う~ん、すごい言葉です・・・。

有難うございます。
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