フツーないですよね。住んでるところで会衆が自動的に決まるシステムですから。
でも昔は、会衆に1人かそこら、「越境」してくる兄弟姉妹がいたもんですが。
個人的事情とか、いろいろあるんでしょうけど。
時々、巡回監督が回ってきて「粛清」があると(笑)、
住んでるとこ会衆に戻っていったり。
もちろん、「ココ、ヤだ!」とか「あっちの会衆がいいっ!」とかの
ワガママを全部聞き入れてても、収拾がつかなくて困るとは思いますよ。
まーさ、個人的イザコザとかさ、どーしてもウマが合わないとか
あるから、多少の融通はあってもいいと思うんですが。
某県・某市の某会衆は、近隣でイロイロあって困った人たちが
続々集まってきて、伝道者数が急増。
いわゆる「駆け込み寺」ならぬ「駆け込み会衆」と化しているそうです。
(伝道者は 100 人を超えるとか?)
そこの会衆の長老を知ってるんですけど、ほんとイイ兄弟なんですよ。
威張ったところが全然なくって、「愛のある牧者」というのはまさに
こんな長老のことをいうんでしょう、と思えるような。
その影響か、会衆も和気あいあい、とても和やかな雰囲気。
若い人も霊的にがんばってて、しかもそれが強制されじゃなく
望んでやってるから、すごく自然体なんですよね~。
もちろん、その会衆も審理問題とかと無縁、ってわけじゃないみたいだけど、
開拓奉仕してる人が多くても、それをプレッシャーに感じさせてることもなく、
ありがちな「自発的とは名ばかりの強制」も影を潜めているので、
『自然体』な兄弟姉妹たちが多いんです。
「自分は奉仕は向かないから・・」と、普通に全時間の仕事する若者だっていますし、
各自が、「自分のできると思う範囲の奉仕をする」というスタンスが保たれています。
言いたいことも比較的自由に言えるし、遊びたいだけ遊べる。
『自然体』でいられる、って大事だと思いません?
その会衆にいたら、今でも幸せな JW だったのかも<ワタクシ。
いっそのことさぁ、学校希望選択制みたいに
交わりたい会衆を自由に選べるシステムにしちゃえば、
えらそーぶってて嫌なチョー老のいる会衆からは人が逃げ出しちゃって、
大名みたいに「会衆お取り潰し」になっちゃったりして。
その意味では、大昔の「長老人気投票制度」の復活も面白いかも。
(「ふれ告げる」の本の、206 ページ、選挙制度のことです)
見知らぬ人といるのを見られると、どこか気まずいのって
何なんでしょね?
悪いことじゃないのに。
誰かと一緒じゃなくても、会って気まずいってありがち。
記念式姉妹も風前の灯火っす。
それより、また月末。
奉仕報告「0です」って、
長老にしなきゃ・・
先週の土曜日、
ファミレスで長老と遭遇。
よそよそしかった・・
まあ、いいんだけどね。
私も挨拶だけで逃げちゃったし・・
ただの友達だけど男の子と2人だったから
JW的にはNGでしょ
悪い事してるわけじゃないんだから
堂々としてて良かったんだけど
勘ぐられても面倒だし・・
そーゆー出会いもあるんですねぇ。
私なんか、集会行かなくなって 5 年ですけど、未だに
知り合いはいるし、大会兄弟みたいな変な身分です。
深く関わった=粘着度高い、というのもわかる気がします。
って誰も馴れ初めを話せっって言ってないちゅーねん!(と自分でツッコミを入れておきます)
普通は1,2年もすればあまりJW系には顔を出さなくなるみたいなんですが、僕の場合は普通の人よりもJWへの粘着度?が高いみたいで仕事が忙しくてもつい見ちゃいますね(^^; 現役の頃に精神的に深く関わりすぎてしまったためなんだろうなあと自己分析したりしてます。
100 人超えたらフツー分会ですけどねぇ。
その後どうしたんだろ?
もう6年だもんなあ・・・。
伝道者が100人越えるってのはすごいなぁ。
K市Y会衆を思い出します。
そこの会衆も駆け込み寺でしたね。
うちの会衆からも2家族くらい行っちゃったもんなあ(当時)
それは正統派ですね<引越しで移動。
本当はほとんどの会衆が「雨あらしからの隠れ場所」
のはずなんでしょうけど、現実とは程遠い。
●ozon さん
待っておりますんで、ヨロシクです<再開
まいけるさんはこのギョーカイでも有名人ですもんね。
ブログ見ていただけなかたのが、残念でしたが
またやりたい、って思ってますので
その時はご連絡させていただきます。
閉じる日とかじゃなくて
このコメントのつけ方なんか見ても、やっぱり礼儀正しい人だな、って思います。
まいけるさん
今もそうなんじゃないかな。
自分が実家会衆に居る時は、隣の会衆からこちらに逃げてくる?人が多かったです。越境じゃなく引越しという正当な手段を使ってね(笑)