
【特別寄稿】
春の宵のつれづれに
花見で明治の詩人と蘇東坡を想う
小野敏郎(千葉県テニス協会元会長)
4月のはじめ、我が家の近くの南山公園で花見の会が開かれた。メンバーは、老若男女、日本人、外国人など合わせて20名ほど。お酒あり、それぞれ参加者が持ち込んだつまみあり、極めつけはS氏が南三陸から取り寄せた牡蠣とホタテの蒸し焼きありで、それはそれは盛大な宴だった。
そもそも20人ほどのメンバーは、この地域にある「白井健康元気村」「しろいダーツの会」「グリーンレンジャー」「パークゴルフ楽しむ会」などのグループがそれぞれの会員に呼び掛けたもので、各グループに重複加入している人がほとんどである。さらにメンバーの友人も参加していたりして大賑わい。特大のブルーシートに車座になって見事な桜の下での花見が始まった。
ああ、ぽかぽかと桜の花の下で、平和でのどかなこの一瞬一瞬がとてもいとおしいと思ったのは、私だけだろうか。牡蠣とホタテ、そして各自が持ち寄ったつまみを肴にして飲む酒がこの上なく美味しかったのは言うまでもない。
▲牡蠣を蒸し焼きにするSさん(右)と筆者
▲桜の下に全員集合
さて、宴もたけなわの頃、一枚の紙を全員に配り始めたのは、いつも元気なI夫人だ。そこには「花」(竹島羽衣作詞 滝廉太郎作曲)「幸せなら手を叩こう」「ふるさと」の歌詞が印刷されており、I夫人の「指導」の下、全員の合唱となった次第である。「花」の合唱の中で「ああ、これが『あれ』なのか!」と思い当たる歌詞があった。
〈花〉
一番 春のうららの墨田川
のぼりくだりの 船人が
櫂のしずくも 花と散る
ながめをなににたとうべき
三番 錦織りなす 長堤に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何にたとうべき
この「一刻も千金」が中国北宋時代の詩人、蘇軾(字名:東坡 1037~1101年)の七言絶句『春夜』からの引用であることを思い出させてくれた。
▲日本では「蘇軾」より「蘇東坡」で知られている
〈春夜〉
春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管桜台声細細
鞦韆院落夜沈沈
春のよいのひとときは、千金の価値がある。
花はすがすがしい香りに包まれ、月はおぼろにかげって光もやわらか。
にぎやかな歌や管弦の音が響いていた高殿も、すっかり騒ぎがしずまって、
ぶらんこのある中庭に、夜が静かにふけてゆく。(和訳はウィキペデアより)
南山公園で満開の桜の下でおいしい牡蠣やホタテを食している今の私たち。墨田川長堤に立つ明治の詩人・作曲家。そして11世紀北宋の春を歌い上げる詩人。時空を超えて同じように春ののどかさを満喫している瞬間であった。
さて、『春夜』の作者(と言われている)蘇軾(そしょく)に、どうしても触れないわけにはいかない。この七言絶句は若いころ開封の都の宮中で宿直をしていた時期、または30代後半に杭州で副知事を務めていた時に読んだ作品だという。
作者が蘇軾と「言われている」と注釈したのは、『春夜』の詩が蘇軾の詩集に収められていないことによるらしい。しかし、私の直感では、杭州での作に間違いないだろう。なぜなら杭州は諺に「上有天堂 下有苏杭」(上には天国、下に蘇州・杭州がある=蘇州・杭州の美しさと豊かさは、天国と比べられるほどだ)と言われるほどに美しいからだ。
私が中国語のできる長男(当時22歳)を連れて杭州を訪れたのは、今から30年前の1995年9月であった。杭州にある西湖は絶景である。この絶景があったからこそ蘇軾は起句・承句で「春宵一刻直千金 花有清香月有陰」と表現できたのではないだろうか。因みに福岡にある大濠公園はこの西湖を模して造られたと言われている。
▲杭州の西湖。その絶景に圧倒される
▲若かりし日の筆者(西湖の前で)
少し話が横道にそれるが、蘇軾と中国料理の話を紹介したい。豚の角煮である。豚の角煮をインターネットで調べると、「角煮」「東坡肉(トンポーロー)」の名前が出てきたりする。なんと「東坡肉」という料理名は、蘇軾にちなんでつけられたという。ものの本によると、杭州の名物料理「東坡肉」は蘇軾が「発明」したと書かれているが、陳舜臣の『中国の歴史』によると、少しニュアンスが違うようだ。
蘇軾が杭州で任についている頃、家に客人を招いた。蘇軾が妻に「お酒と肉でもてなして」と頼んだところ、妻はどう勘違いしたのか、肉をお酒で味付けして客人にふるまってしまった。ところが、この肉がとても美味だったのである。つまり、「発明」ではなくて、とんだ勘違いから生まれたというわけだ。
▲杭州で入った杭州酒家
▲杭州酒家の勘定書き。二人で1000円ほどだった
そんないわくつきの「東坡肉」だから、是非とも食べてみようと思って、「杭州酒家」という名の料理店に入った。小さな茶色いお皿にほんの二切れほどの肉が鎮座している。
口に入った途端、とろけるような濃厚な醤油、砂糖、そして酒が効いた豚肉の味は今も忘れられない。因みに、花見で牡蠣とホタテの蒸し焼きをふるまったS氏が、「角煮」と「東坡肉」の違いを次のように教えてくれた。角煮は皮のつかない豚バラ肉を煮たものだが、「東坡肉」は皮付きの豚バラ肉を長時間ゆっくりと蒸して余計な脂を落とすので、健康にもよいとか。
▲皮がついているのが東坡肉(olive-hitomawashi.comより)
最後に杭州への旅行をお勧めしたい。成田から2社が直行便を日替わりで運行し3時間50分。または上海から高速鉄道で最短45分、高速バスで約3時間。IT大手のアリババ集団の拠点ともなっており、大都市に変貌しているようだ。
また、杭州は中国語読みで(hang zhou)と発音することから、日本語の「繁盛」との語呂合わせで、縁起のいい街であるとの宣伝文句も目にする。西湖を中心とする美しさは、今も残っているだろう。西湖を眺めながら飛び切りの紹興酒をいただきつつ旨い「東坡肉」を、もう一度味わってみたいものだ。
【小野敏郎さんのプロフィール】
昭和23(1948)年、大分市生まれ。昭和46(1971)年に九州大学を卒業後、日本航空に入社。平成19(2007)年、出向先の役員を最後に日本航空を退社する。在職中の平成13(2001)年から千葉県テニス協会の役員を務め、平成22(2010)年に開催された第65回国民体育大会(国体)のテニス競技(柏市)では千葉県の責任者として関わる。平成25(2013)年6月から令和元(2019)年6月まで千葉県テニス協会の会長を務めた。現在、「しろいダーツの会」の事務担当。