白井健康元気村

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いつも九州の母が気になる  【村民の声④】

2018-11-13 13:24:41 | 村民の声

【村民の声④】

いつも九州の母が気になる

                

平田新子

 

キャスター、レポーター、司会者、そして市会議員に

佐賀県伊万里市に生まれ、福岡県福岡市で育つ。福岡雙葉中学校・高校、福岡女学院短期大学英語科で学ぶ。3歳よりクラシックバレエを始め、全国舞踊コンクール(クラシックバレエの部)入賞3回。5年間のOL生活を経験するほか、TV(九州朝日放送、東日本放送)、ラジオ(東北放送)でメインキャスター、レポーター、フリー司会者として活躍。結婚後1女1男の子供に恵まれ、夫の転勤に伴い福岡・大阪・仙台で暮らす。 また、アッセンデルフト・フォークアート・ペインティングの講師として、福岡・大阪などで教室を主宰。平成122000)年に白井市に居を移した。平成222010)年に「白井自然と芸術文化の会」を立ち上げ、事務局長として年2回のチャリティコンサートや「歌いま唱歌♪」「北総白井すずめ」(仙台:すずめ踊り)などの活動を行う。平成272015)年、白井市議会議員選挙に立候補して当選、現在に至る。

 

 九州に母がいる。気になって仕方がない。佐賀県で暮らす母は、96歳の誕生日を迎えたばかりである。彼女は本来 “優等生”だった。学業優秀はもちろん、大きなイベントで西日本代表としてピアノを演奏したことも。かと思えば、卓球で国体に出たりしていたお転婆娘でもある。

 お付きの人なしでは外出したことがないお嬢様が、一回り年上で、明治生まれの暴君の嫁となったのは17歳のときだった。若~い! 世間知らずのままの新婚生活では、周囲を仰天させる失敗エピソードも多々あったらしい。が、父に「これを、やっておけ」と命じられたことは、必ず最上の出来映えでクリアしようと頑張る。気の強さも人一倍だった。偉そうに君臨していた父も、心のどこかではタジタジだったのではないだろうか。

 母は少しの時間もじっとしていられない性格である。家事、育児、家業の運営、PTA活動などの合間を縫って、趣味や稽古事にもいそしんだ。さすが高齢になってからは、多忙な活動も縮小したが、電車に乗っているときも、何かせずにはいられない。

 たとえば、「コウ」という字を何文字書くことができるか。校・高・江・公・甲・候・好・講…といった具合に、何文字書けたかで喜んだり、悔しがったりする。そんな脳を使うゲーム的なことが日頃から大好きなのだ。

 自分の脚で歩き、食事も自分で作って食べる。庭の花木の世話をするのが何よりの楽しみで、「お母さんは大丈夫。認知症の『に』の字も無いよ!」と主治医からは太鼓判を押されていた。

 そんな元気な母に異変が起きたのは、この夏のことである。風呂に入ったはいいが、急に浴槽から立ち上がれなくなったのだ。診断の結果は、ただのカリウム不足だったが、万が一のことを考え、親族で相談し、このまま入院を続けてもらうことにした。

 主がいなくなった母の部屋や台所を掃除しながら、

「母の手料理は、もう食べられないんだ」

「母はこの服、もう着ないんだな」

 と思うたびに手が止まり、ジンワリ涙が出た。互いに好きなことを言い合ってケンカしていた母が、今は何にでも、そして誰に対しても「ありがとうございます」と、ときにウルウル涙目でお礼を言う。

「私に会いたくなったら、これにお話しするんだよ!」

 と、指人形のライオン君をあげた。

 翌朝、病室を訪ねると、ライオン君を片手にはめたまま、顔を見合わせるようにして母

は眠っていた。

(なんて可愛い寝顔なんだろう。少女のようにいじらしい!)

 

▲病室には母の面倒をみているライオン君(左)と父に似たサンタが鎮座

 

 その後、ライオン君は病室の人気者になり、離れていて何も手が届かない私の身代わりに、毎日、母を元気づけているようだ。

 ところで「フレイル」という言葉を最近よく耳にする。英語では「衰弱」「虚弱」「老衰」を意味するfrailty(フレイルティー)だが、日本語では縮めてフレイルと呼ばれることが多い。つまり、高齢になることで筋力や精神面が衰える状態のことだ。

 体を動かす元気がなくなる「肉体的フレイル」、何もヤル気が起こらなくなる「精神的フレイル」、そして誰とも関わりたくなくなる「社会的フレイル」。この3つのフレイルに陥ると、3年後には認知症になるケースが非常に多いという。

「ピンピンコロリ」を提唱する元気村では、人との優しい関係性の中で、元気に楽しく毎日を過ごすことを何よりのモットーに様々な活動をしている。母も楽しく元気に過ごしてほしい。私は母の誕生日にカードと鉢植えの花を贈った。

 それをとても喜んだのだろう、母から電話があった。声は明るく、力強かった。母の身体は寄る年波に逆らえず、年々劣化しているが、精神的・社会的フレイルには決して陥っていないことを、心から有り難く思う。電話を終える直前、母はひときわ大きな声で言った。

「待ってるよ!」

 そう、元気で私の帰りを待っていてね、いつまでも。

 

 

 


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