ストリートダンサーって、ステージに立つ者としての心構えもできてないのにステージに立ちたがる人が多い。
ちょっと上手くなると、すぐにステージに立つ。人前で芸をするということを甘く見てる気がする。
ダンスの世界で人気が出ると、別な分野、たとえば演劇、お笑い、CDデビューなどに進出したがる人がいるが、
その進出した分野で一流になった人はほとんどいない。
自分が前に立ちたいため、客を増やすため、「こんなこともできるんだぞ」というアピールをするため。
そういう目的で進出してるんじゃないだろうか。ダンス以外の芸を極めたいという純粋さは感じられない。
ダンスがうまくなってちやほやされると、もう一人前の舞台人になったと勘違いをする。
そして調子にのって他の分野に進出し、いかに自分が生半可な気持ちでステージに立ってるかを露呈する。
ダンスという分野の中でさえ、一つのジャンルを踊って人気を得て、調子にのって他のジャンルも踊った結果、
いかに基礎ができてないかを露呈する人もいる。今第一線で活躍してる人の中にも結構いるので、
日本のダンスのレベルもたかが知れてる。日本のダンスは世界でもトップレベルだなんて思ってる人は勘違いをやめて、
日本はダンス後進国だという現実を見てほしい。
踊るだけだったら、誰でもやっていいが、人前でパフォーマンスするとなると話は別だ。
低俗なダンサーがステージに上がり、低俗な観客がそれを支持し、影響を受け、
やがてその観客がステージに上がる。低俗の連鎖が続いてしまう。
芸というものは、それを演じ、鑑賞してる時だけ面白ければいいという、現実逃避に終始するためのものであってはならない。
むしろ、芸を磨く過程や、鑑賞した後の人生のほうが重要だ。
技術を習得する。しかしそれだけではだめだと気づき、他に何が必要かと模索する。
その過程で人として向上する。
芸を鑑賞する。しかし感動が足りない。心の扉が錆び付いていて開かないからだということに気づく。
そして心の扉を開くための模索をする。
このように自分の人生を豊かにすることが出来なければ、一体なんのためにダンスを続けているのだろう。
カッコだけのダンスをしてる人は、このように人生を豊かにするのとは程遠い生き方をしてるのをみずからアピールしてるようなものだ。
「踊ってる時だけ楽しければいい」と言う人に、むなしくならないのかと問いたい。
ちょっと上手くなると、すぐにステージに立つ。人前で芸をするということを甘く見てる気がする。
ダンスの世界で人気が出ると、別な分野、たとえば演劇、お笑い、CDデビューなどに進出したがる人がいるが、
その進出した分野で一流になった人はほとんどいない。
自分が前に立ちたいため、客を増やすため、「こんなこともできるんだぞ」というアピールをするため。
そういう目的で進出してるんじゃないだろうか。ダンス以外の芸を極めたいという純粋さは感じられない。
ダンスがうまくなってちやほやされると、もう一人前の舞台人になったと勘違いをする。
そして調子にのって他の分野に進出し、いかに自分が生半可な気持ちでステージに立ってるかを露呈する。
ダンスという分野の中でさえ、一つのジャンルを踊って人気を得て、調子にのって他のジャンルも踊った結果、
いかに基礎ができてないかを露呈する人もいる。今第一線で活躍してる人の中にも結構いるので、
日本のダンスのレベルもたかが知れてる。日本のダンスは世界でもトップレベルだなんて思ってる人は勘違いをやめて、
日本はダンス後進国だという現実を見てほしい。
踊るだけだったら、誰でもやっていいが、人前でパフォーマンスするとなると話は別だ。
低俗なダンサーがステージに上がり、低俗な観客がそれを支持し、影響を受け、
やがてその観客がステージに上がる。低俗の連鎖が続いてしまう。
芸というものは、それを演じ、鑑賞してる時だけ面白ければいいという、現実逃避に終始するためのものであってはならない。
むしろ、芸を磨く過程や、鑑賞した後の人生のほうが重要だ。
技術を習得する。しかしそれだけではだめだと気づき、他に何が必要かと模索する。
その過程で人として向上する。
芸を鑑賞する。しかし感動が足りない。心の扉が錆び付いていて開かないからだということに気づく。
そして心の扉を開くための模索をする。
このように自分の人生を豊かにすることが出来なければ、一体なんのためにダンスを続けているのだろう。
カッコだけのダンスをしてる人は、このように人生を豊かにするのとは程遠い生き方をしてるのをみずからアピールしてるようなものだ。
「踊ってる時だけ楽しければいい」と言う人に、むなしくならないのかと問いたい。