日曜日は合同練習があり、
バレエの先生の話では、何時終わるか判らないと言われていたので
江原氏の講演はあきらめていたのだが、
急遽予定が変更されて2時に終わったので、主人が車で送ってくれた(感謝)。
正直忙しくって体がえらかったので講演はどうでも良かった^^; ごめんなさい。
疲れが先で行かなくとも良かったんだけど、チケットを譲りたい相手がいたのだがみんな都合がつかないので、取り合えず私が行くのも必然?(* ̄m ̄)プッ
と思い主人が乗せてくれるならと車中眠りながら出かけてみた。
結果は面白かったよ。ずっと笑い通し!
次はこういうだろうな、と思うことを話してくれる。
しかもとても良いテンポでユーモアたっぷりに!
大切な話ほどこうした中で聞きたいものだとおもった!
舞台へ出てきたとき彼は白いローブを着て、波をイメージしたのか、雲をイメージしたのかわからない物を床に届く長さのショール(?)を肩からまといながら、何処かの教祖のように出てきて、正直引いたけど・・・これも演出だなと後から理解できた。
誰かにすがらない、神にも守護霊にもすがらない(でもお手伝いはしてくれるけど人生の主役はいつも自分であることを忘れるなと言うことだろう)、自分で決めて判断し歩む素晴らしさを彼は語った、体験と感動!これが魂のこやしとなる。真に真にその通り!感動は何も喜びだけじゃない、悲しみも含まれる。
体験してみてはじめて人は想像力を身につけていくのだ。
ただ、私が言うのはかなり生意気ではばかるけど(なら言うなと言わないで)、気に入らないのは、っていうか・・・江原氏のように有名になればそう言わないわけには行かないのだと思うんだけど(誤解が伴うから)。
小愛?っていったっけ?その自分ではいけないと言っていたこと、彼流に言えば幼稚園の魂が小学校へあがるときその一歩を踏み出す時人は勇気がいる。
未知の世界へ入るとき後ろを押してもらう勇気がいるのと同じだ、
自分が小愛であることを理解し、受け入れ、その自分を子供を育てるようになだめすかし、褒めたたえ、時には言い聞かせ歩まねばならない、
それこそそれは己の自我を育て始めるそのときだからだ。
絶えず己は己に正直であれ!なのだ。善悪の判断で己が己を押さえ込み心をよどませてはいけない、が、そういえば、じゃ!言いたいことやしたい事をして良いの?なんてあほな事を言いのける人もいる、自分の中で感情が流れている事を認めてあげることと、なんでも外に出し、自分の虚栄心や傲慢さで他者を傷つけることは違う。
感情があることを認め、時には傷ついた己の心の弱さを認め、慰め、褒め、ねぎらい、弱いながらも頑張っているのだということに気がついてあげよう。
人生でおこっている全ての出来事の責任転換は出来ない。
イヤならやめる、執着して背負い込むなら覚悟を決める。そんな潔さを持って、うじうじ悩むなら、悩むほど己が弱いのだと認め、そこからはじめてみる。
そのためにも自分さえ幸せならいいのだと思っている自分、自分がかわいそうだと泣いているあなた。その自分を認め歩む事だ、弱いのだから支えが必要だ、その支えは誰でもない、自分自身だ、そこからが全ての始まりだ、自分の心を創造していく力を養っていくように努力していくこと・・・私はそこが大切だと思っている。
江原氏の話はポンと先にとんだ話をしているように感じた。でも、彼はそこをいえない代わり、手足の不自由なお猿さんの話をしていた。
彼はすばらしいエンターティーナーだと惚れ惚れしたな!!!
公開カウンセリングもとてもよかった。
彼は高飛車に物を言わないだけではなく、スッと降りてくる。
彼は人の上に人を置かない!私が一番大切にしていることを心掛けている人でもあると彼のカウンセリングを聞いていて思った。
まるで隣の叔父さんが声を気楽に掛けて井の端会議でもするように気楽に愛嬌一杯に相手を愛で包み語る。世の中の霊能者に宗教家ではこれが出来ない人の多いことか!!!と私のであった人たちがたまたまそんな人ばかりだったのか^^;
本当に彼は素晴らしい常識人でもあると思った。
あんな風に大切な事を噛んで含むように話してくれることの素晴らしさ。
良い時代になったと思う。