OHISAMA

長い時のなかで、息子から贈られた心の種から咲いた花を言葉に託す。

依存心をかいまみて。

2008-03-21 09:32:25 | おもい
あれまぁ~~。
依存心は悪者ではないぞ~~~と、思うような会話も出てきたりしたら
頭の中で。。。バタバタと依存心の見えない形について
整理し始め脳みそバーーンの状態になってしまったので
一度ここで整理してみようと、思いますが、
これはあくまで私の理屈です。
これが正しいとは言い切れません、勝手に書き込んで遊んでいるようなものですので、知らん顔してくださいね。(^m^)

まず、私も含めて依存心のない人はいないのではないかなぁ、、と思う。だから人って字はぁ~~人と人が寄り添って人となる字。。なんていうのではないかと思う。

一見依存心の仕業のように見えない行動パターンってあるんですよね。


たとえば、他者からあなたは〇〇の能力(才能)があると、言われて、、、
その言葉を信じ、その〇〇の能力を伸ばそうと試みる、
その能力を使って人様の反応を見始めるとする、

はじめて自分に〇〇の能力があるといわれた言葉を信じたい。。。いえ、その言葉に依存したとします。

依存するとどうなるか。。。心の奥底のそこで実は、自信がなかったりする、そんなときに依存する物が出てきたら。。。人は無意識化させながらその言葉にすがったりすることがある。(あくまでも仮定として)
でも、思考というヤツは面白いことに都合の悪いことには蓋をしてしまう、たとえば、、、正当なる理由をここでつけ始めて本心が自分でもわからないように煙に巻いてしまう。。。

煙に巻きながらあたかも自分は〇〇の能力がある、と意気込むから世間様にも認めさせたい、(たとえば)才能があると言う言葉を期待する。
これはもう立派な依存心ですよね。。依存だけならいいけど、依頼心もプラスされているかもしれない。

そうなると、相手が自分を認めるまでてこでも動かなくなる(場合もある)、例えば、あなたのことが心配だからとか、、あなたが好きだから。。。とか。。。あなたに一番に幸せになってほしいのよ~~とか、、、物ならあなたに何より食べさせたかったのよ~とかね、、
相手から自分を認めさせなければ本心は不安でならないから。
それでも認めてもらえないときは逆の反応を示したり。。

依存心を持つことはけして『いけないことではない』、ただ、そのことに気がついているほうがもっと素直に同じことができるようになるだけのことだと思うし、そのことに気がつけば他者にしてほしいことをまず、一番に自分が自分にしはじめることができる、自分が求めていることを人様がしてくれたときに感謝が湧き上がることが多くなるし、そうなると、喜びも一塩なんですよね。

私はよくレイキをさせていただきながらちょっとしたお話をさせていただいて、後は相手の方がご自分でお話をしながら、自分を知り(気付き)、受け入れ、腑に落ちて前に進み出る瞬間に立ち合わせていただけるときほど嬉しいものはない。「知る」ことは私達の生きるテーマーだからだ。知って、わかって、腑に落ちて、そうかぁ~~と笑う。
エネルギーで言えばきれいな花火が咲きほころんだ瞬間のよう。
とてもステキな瞬間です。
とても大きな喜びの瞬間です。
自分に自信を培っていく瞬間です。
私も日ごろ気付いたこと、気付かせてもらっていることを
こうした場で再確認させていただき、自分自身がなによりも
必要としていることであると思っていますし、これも一つの依存です。
子供を育てさせていただいていることも
子供に依存していることって気がつけば沢山あったりします。
支えているようで実は子供に支えられたりしている。
子供が居るからがんばれる。
毎日大変。でもわたしも娘に支えられています。

依存していることに自分自身で気がつき腑に落ちるようなら、それをいけないと思う前に、感謝の気持にちょっとだけ換えてみるのも悪いことじゃないかもしれないですね。

そして、自分自身へも依存して私達は生きているのかもしれません
自分が日々自分のために何かをしていること、
それがもし自分にとって辛いことだったら、自分をねぎらってあげてください。がんばっているねとねぎらってあげてください。
大切な「わたし」です。

依存していると気がついたものを自分のできる範囲で無理がない程度に大切にしはじめたら愛が広がっていくかもしれないなぁ。。。
なんて思ったりします^0^

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