リリカルな日々

いろいろな出来事に対して、自分なりに感じ、考えたこと書いてます。

北朝鮮による今回の件に思ったこと

2006-07-09 14:46:40 | 我思う
いよいよ北朝鮮が無茶苦茶な愚行に出た。それに伴い、改めて私たちの平和について思ったことがあったので、ここに書きとめておこうと思う。

常々、世の中のいざこざや、事件を見て思う。原因は人間そのものの、想像力の低下によるものではないかと。
自分が相手の立場だったら・・・もし、自分なら・・・・という想像力が現代にはかけているのではないかと思うのである。

このあいだ、美容院に行った際も、それを感じた。
二十歳そこそこの娘にブローしてもらいながら会話をしていた時、私の住む街は繁華街が空洞化しており、活性化するにも道が複雑で整理しにくいという話になった。その話に同意してくれた女の子が相槌に言ってくれた一言が「いっそのこと誰か、原爆でも落としてくれないかな」。

残念だが、戦争をしらない世代とは言え、あまりに不謹慎すぎる発言に、怒りを通り越して、哀しくなった。たとえ、深い意味のない発言だったとしても、謝ってすむ問題ではない。

これが実際に、被爆した人が聞いたらどう思うのか。たとえ、被爆した人が、既に亡くなっているとしても、絶対に聞かせたくないし、聞いて欲しくない言葉だった。
唯一の被爆国の国民でありながら、まるで自分に関係ないとばかりに、あっさり失言してしまい、さらに、それに気づいていない姿にがっかりした。

かたや、独裁者を生み出してしまったドイツでは、学生たちは皆「ヒットラー」を生んだ過去を恥とし、おなじ過ちを繰り返さないためにも、過去の歴史を自分たちなりに調べ、何がいけなかったのか自主的に話し合うという時間を設けているというのに。

美容室での娘のように危機感もなく、平和が当たり前すぎて、自分の今の生活がいつ終わるかもしれない・・・という想像すらしない、できない世代を生み続けている日本は、今後どうなるのだろう。

言いたいのは、「平和」は、一人一人の願いの上でしか成り立たない、大変脆いものであるということ。第二次世界大戦後61年ものあいだ平和を保ってきたのは「奇跡」なんだということ。

平和の命綱とは、まさに人間の想像力だと言っても過言ではないと思う。

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