もう眠らない猫と、勃起した犬の話は止めにしよう。
私は戦争の噂を聞くのも厭きてきてしまった。
月曜日までは健康だった。
人生とは、一瞬で様相が変わる瞬間があるのだから、仕方がない。
53回の冬と52回の春と52回の夏と52回の秋を過ごしてきた私は、
52回の春を31回の春と21回の春に分けることを精神世界の結界としている。
健康でいられることも、人生の中ではとても大切なことだ。
あと、ギャンブルと酒におぼれていた時間や、売り専で若い男の子の身体を撫でまわしていた
時間もそれと同じくらい大切なことだ。
自分を見ることも大切な時間だ。
自分を見すぎて、いつしか自分に興味がなくなってから、私はそれがいかに大切だったかに
気づかされた。
自分に一切の興味がなくなり、私は精神世界の乞食になった。
「美」も「季節」も「果実」も「野菜」も「みんな」も人から与えられることで、
命を繋ぎとめている。私から誰かに、いや「社会の中にむかって」何かを還元している事は
もうすでにないのだから。
ああ、そうだ。言葉だけが残ったのかもしれない。
それが、まだ人間に理解できる言葉だとしたら。それが、まだ誰かに届く言葉だとして、
それが誰に届けられようとも、私にはその誰に対しての興味はなくなってしまっている。
しかし、人知の及ばない宇宙の果てに向かって、私は言葉を発し続けたい。
意味のない言葉などない。人生の最後の時は、太陽が沈み薄暗くなりつつも,太陽が完全に消えるまでの
一刻がしみじみとその時間を味わうことができる。それが一刻だとわかるのも、人生を53回の冬と、52回の春
と、52回の夏と、52回の秋を過ごしてきたからだ。そしてその一刻が一番美しいことは、歳を取ったものなら
ば、誰もが知っている。
私は戦争の噂を聞くのも厭きてきてしまった。
月曜日までは健康だった。
人生とは、一瞬で様相が変わる瞬間があるのだから、仕方がない。
53回の冬と52回の春と52回の夏と52回の秋を過ごしてきた私は、
52回の春を31回の春と21回の春に分けることを精神世界の結界としている。
健康でいられることも、人生の中ではとても大切なことだ。
あと、ギャンブルと酒におぼれていた時間や、売り専で若い男の子の身体を撫でまわしていた
時間もそれと同じくらい大切なことだ。
自分を見ることも大切な時間だ。
自分を見すぎて、いつしか自分に興味がなくなってから、私はそれがいかに大切だったかに
気づかされた。
自分に一切の興味がなくなり、私は精神世界の乞食になった。
「美」も「季節」も「果実」も「野菜」も「みんな」も人から与えられることで、
命を繋ぎとめている。私から誰かに、いや「社会の中にむかって」何かを還元している事は
もうすでにないのだから。
ああ、そうだ。言葉だけが残ったのかもしれない。
それが、まだ人間に理解できる言葉だとしたら。それが、まだ誰かに届く言葉だとして、
それが誰に届けられようとも、私にはその誰に対しての興味はなくなってしまっている。
しかし、人知の及ばない宇宙の果てに向かって、私は言葉を発し続けたい。
意味のない言葉などない。人生の最後の時は、太陽が沈み薄暗くなりつつも,太陽が完全に消えるまでの
一刻がしみじみとその時間を味わうことができる。それが一刻だとわかるのも、人生を53回の冬と、52回の春
と、52回の夏と、52回の秋を過ごしてきたからだ。そしてその一刻が一番美しいことは、歳を取ったものなら
ば、誰もが知っている。