京都の祇園祭(ぎおんまつり)は、日本を代表する最も有名な祭りであることに、ほとんどの人は異論ないでしょう。1,200年前から行われ、その時代の最高級の絵画や絨毯などの美術工芸品で装飾された山鉾は、日本文化の美しさを凝縮したようなオーラを発しています。
7月のほぼ1か月間にわたって行われる様々な関連行事は、京都の街をとても華やかにします。酷暑の中で、たくさんの浴衣姿の男女が見物を楽しむ姿は、まさに日本の夏を代表する光景です。
そんな祇園祭の奥深さを紐解いてみたいと思います。
祇園祭のラインナップはとても豊富
祇園祭の山鉾巡行は、正確には祭りの主役ではありません。八坂神社から街の中心にある四条寺町の御旅所(おたびしょ)に出張鎮座する祭神をのせた神輿が主役であり、神輿が通る道中をあらかじめ清める儀式として山鉾巡行が始まったものです。前祭(さきまつり)・後祭(あとまつり)と2回行われるのは、神輿の往復それぞれの道中を清める意味があります。
山鉾巡行とその前夜祭である宵山(よいやま)の賑わいが、祇園祭では際立って有名ですが、たくさんの行事があってこそ宵山と山鉾巡行が引き立てられていることも事実です。主な行事とその魅力をピックアップします。開催日は毎年日付で固定されています。
7月2日 くじ取り式
- 京都市議会本会議場で、巡行順が固定されていない山鉾がくじを引いて巡行順を決める
- 一番くじをどこが引き当てるかで毎年盛り上がり、お祭りムードが実質的にスタートする
7月10日 お迎え提灯 17時頃
- 八坂神社と四条寺町の御旅所の間を子供中心に提灯行列、神輿洗に向かう神輿を迎える
7月10日 神輿洗(みこしあらい) 20時頃
- 四条大橋で鴨川の水を振りかけ神輿を清める、その後神輿は八坂神社に戻る
- 見物人にかかった飛沫は厄除けになると信じられている
7月10~14日 前祭の鉾建て・山建て・曳き初め
- 分解収納していた山鉾を各町内で縄だけで組み立てる
- 山鉾が組み立てられる室町通や新町通などが歩行者天国になる
- テスト運行の曳き初めは周囲の見物人が老若男女誰でも参加できるため人気
7月14日 前祭の宵々々山(よいよいよいやま)
- この日から3日間が山鉾巡行の「前夜祭」を意味する宵山期間
- 提灯などの飾り付け・祇園囃の演奏・町内の屏風などの宝物展示やお守り・朱印の販売が行われる
- 山鉾搭乗は特に人気、ごく一部の女人禁制の山鉾以外は誰でも搭乗できる
7月15日 前祭の宵々山(よいよいやま)
- この日と翌日の18~23時に付近の四条通と烏丸通が歩行者天国になり、露店が出る
7月16日 前祭の宵山:よいやま
- 酷暑の中、例年30万人ほどの人手でごったがえす、祭りムードが最も盛り上がる
7月17日 前祭の山鉾巡行
- 町衆としての祇園祭の中心的な行事(主催者は祇園祭山鉾連合会)
- 9:00に先頭の長刀鉾が四条烏丸交差点をスタート
- 13:30頃にしんがり(最後尾)の船鉾が新町御池交差点に到着し、すべての巡行が終了
- 狭い新町通りを巨大な鉾が町内に戻っていく姿は勇壮で隠れた人気
- 各町内に戻った山鉾はすぐに解体される
7月17日 神幸祭:しんこうさい
- 八坂神社としての祇園祭の中心的な行事(主催者は八坂神社)
- 18:30時頃、八坂神社から3基の神輿がスタートし、町内を練り歩く
- 21:30頃までに、四条寺町の御旅所に鎮座する
- 神輿は7/24の後祭山鉾巡行後に行われる還幸祭までここに鎮座する
- 御旅所に神輿が鎮座する間に毎晩無言で夜間参拝を行うと、どんな願いも叶うと信じられている
- 四条寺町の御旅所は、祇園祭期間中以外はお土産ショップとして営業している
神幸祭~還幸祭の間、神輿が鎮座中の御旅所
普段の御旅所はお土産ショップ
7月18~21日 後祭の鉾建て・山建て・曳き初め
7月21~23日 後祭の宵山
- 歩行者天国にならず、露店も出ない
7月24日 後祭の山鉾巡行
- 9:30に先頭の橋弁慶山が烏丸御池交差点をスタート、前祭とは逆方向に進む
- 13:00頃にしんがり(最後尾)の大船鉾が四条烏丸交差点に到着し、すべての巡行が終了
7月24日 花傘巡行(はながさじゅんこう)
- 10:00八坂神社をスタート、寺町通を経由し河原町通りを後祭山鉾巡行に続いて行列、12:00頃に八坂神社に戻る
- 1966(昭和44)年に後祭の山鉾巡行が前祭に統合された際に代替として始められた行事、2014年の後祭復活後も継続
- 山鉾の起源を再現したとされる花傘を中心に、獅子舞・田楽等の古典芸能や子供太鼓・稚児が行列する
- 最も人気が高いのは祇園近辺の花街の舞妓・芸妓の行列
7月24日 還幸祭(かんこうさい)
- 17:00時頃、御旅所から3基の神輿がスタートし、町内を練り歩く
- 22:00頃までに、八坂神社に戻る
7月28日 神輿洗(みこしあらい) 20時頃
- 四条大橋で鴨川の水を振りかけ神輿を清める、その後神輿は八坂神社に戻る
祇園祭には京都の街の歴史が凝縮されている
祇園祭の起源は、平安京遷都後まもなくのことであり、京都の街の歴史と共に歩んできた祭と言えます。
天変地異を怨霊の祟りと恐れた朝廷は、神泉苑において怨霊を鎮魂する御霊会(ごりょうえ)を行うようになります。869(貞観11)年に行われた御霊会では、諸国の怨霊を鎮めるために全国の国の数を表す66本の矛を立て、疫病からの守護神である牛頭天王(ごずてんのう)を神輿にのせて祀りました。これが祇園祭の起源であり原型であると考えられています。
牛頭天王はまもなく現在の八坂神社の地に祭神として鎮座し、祇園社と呼ばれるようになります。山鉾巡行の始まりはよくわかっていませんが、鎌倉時代末期の記録には登場します。
祭り自体は毎年行われていた時代もあったようですが、祇園社を支配していた延暦寺の都合や、保元の乱や応仁の乱などの戦乱に際しては中断を余儀なくされていました。
室町時代には四条室町(現在の地下鉄四条駅付近)の町衆が経済力を付けます。延暦寺の意向にかかわらず、山鉾を各町内で所有し巡行を自らの手で行うようになります。安土桃山時代から江戸初期にかけては、貿易によって外国からの工芸品が多くもたらされます。現在の山鉾にイスラムや西洋風のデザインの絨毯をはじめとした豪華な飾り付けが見られるのは、町内対抗で富の力と文化のセンスを競った名残です。
現在でも山鉾巡行や宵山など祇園祭のほとんどの行事の主催者は、山鉾を所有する町内会とその連合体である祇園祭山鉾連合会です。八坂神社の主催は、神輿洗・神幸祭・還幸祭など神事に関する一部の行事に限られます。町衆あっての祇園祭であることは、室町時代から変わっていません。
ペルシャ絨毯が鉾ととても調和している
江戸時代に幾度となく起こった大火で、少なからずの山鉾が被害にあい、長期間巡行に参加できない山鉾も相次ぎます。明治維新・第二次大戦などの苦難に際しても町衆たちの熱意により、長期間の中断を回避してきました。
戦後の自動車交通の激化により、巡行ルート変更や前祭・後祭統合を余儀なくされますが、2014年になって再び後祭が行われるようになります。中断していた山鉾の復活も相次ぎ、華やかさを維持・再現しようとする町衆の熱意は今も変わっていません。
祇園祭のトリビア
山と鉾はどう違う?
山鉾を形状や特徴で分類すると以下の5通りになります。長い時間をかけて様々なタイプに進化したため、山と鉾の違いを説明するのは難しくなっています。最も区別がつきにくい曳山(ひきやま)と鉾(ほこ)との外見上の違いは、屋根の上に伸びる真木の高さだけです。
(左)真木が高い、先端に何もつかず中間に榊が付く鉾、鶏鉾
(右)真木が低い、先端は葉の付いた松、岩戸山
大きさや形状の違いに関わらず、山鉾には様々な魅力があふれています。装飾やディスプレイの個性を楽しめるのが本質的な山鉾の魅力でしょう。
- 曳山と鉾の形状は山鉾として最も著名でもあり、巨体であることから胴体の装飾が存分に楽しめます。また交差点で、竹板に車輪をのせて滑らせて人力で山鉾の向きを変える辻回しの迫力は圧巻です。
- 屋根がなくコンパクトな舁山(かきやま)は、故事や謡曲の一場面を人形などで再現した屋上のディスプレイに趣向が凝らされています。囃子がないため、見て楽しむ山と言えます。
- 傘鉾(かさほこ)は前祭に2つだけ行列しますが、囃子方と踊り子が行列するため盛り上がります。従来は傘を持ち歩いていました。
【祇園祭山鉾連合会公式サイトの画像】 舁山の代表例:橋弁慶山(はしべんけいやま)
【祇園祭山鉾連合会公式サイトの画像】 曳山の代表例:岩戸山(いわとやま)
【祇園祭山鉾連合会公式サイトの画像】 鉾の代表例:函谷鉾(かんこほこ)
【祇園祭山鉾連合会公式サイトの画像】 船鉾の代表例:大船鉾(おおふねほこ)
【祇園祭山鉾連合会公式サイトの画像】 傘鉾の代表例:四条傘鉾(しじょうかさほこ)
2018年時点の山鉾のタイプと特徴
舁山 | 曳山 | 鉾 | 船鉾 | 傘鉾 | |
読み方 | かきやま | ひきやま | ほこ | ふねほこ | かさほこ |
特徴 | 屋上の多様なディスプレイが見もの | 高い真木と大勢の搭乗者 巨体の向きを変える辻回しが圧巻 |
巨大な船の形 | 大きな傘と 踊り子 |
|
屋根 | × | 破風付の屋根(地上からの高さ7~8m) | × | ||
重量 | 1.2~0.5t | 10~8t | 12~10t | 12~9t | 0.4t |
車輪 | 見えない | 外から見える(直径2m) | 見えない | ||
真木 | 葉付き松(高5m) | 葉付き松(高15m) | 榊付き(高25m) | × | × |
最前列 | 御神体人形 | 御神体人形 | 稚児・稚児人形 | 御神体人形 | × |
囃子方 | × | 約50名が搭乗 | 歩く | ||
屋根方 | × | 4名が屋根に搭乗し衝突を監視 | × | × | |
音頭方 | × | 2名が前方に搭乗し扇子で運行を指揮 | × | ||
曳き方 | 約20名 | 40~50名 | 約10名 | ||
該当 | 前)山伏山ほか12山 後)橋弁慶山ほか6山 |
前)岩戸山 後)北観音山,南観音山 |
前)長刀鉾,函谷鉾,菊水鉾,月鉾,鶏鉾,放下鉾 | 前)船鉾 後)大船鉾 |
前)綾傘鉾,四条傘鉾 |
例外:
- 舁山の中で郭巨山のみ屋根がついています
- 鉾の最前列に搭乗する稚児は、先頭の長刀鉾以外は人形です
- 音頭方は、交差点で方向を変える「辻回し」時には4名搭乗します
- 舁山は曳き方ではなく舁き方と呼ぶ、辻回しなど要所のみ担ぐ、従来はすべて担いで運行していた
くじ改め
くじ引きであらかじめ決められた順番で巡行しているかをスタート直後にチェックする古式にのっとった儀式で、見どころの一つです。烏帽子をかぶった奉行役の京都市長がくじをチェックします。前祭では四条堺町交差点、後祭では京都市役所前で行われます。
なお「くじ取らず」と呼ばれる、毎回巡行順が決まっている山鉾があります。
- 前祭)先頭1番:長刀鉾、5番:函谷鉾、21番:放下鉾、22番:岩戸山、最後尾23番:船鉾
- 後祭)先頭1番:橋弁慶山、2番:北観音山、6番:南観音山、最後尾10番:大船鉾
- 後祭で2022年からの復活が決まっている鷹山は、古来に合わせて最後尾の大船鉾の直前に、くじ取らずで巡行する予定です。
稚児(ちご)
長刀鉾に搭乗している稚児
稚児は祭に際しての神の使いです。10歳前後の少年が務めます。以前は前祭のすべての鉾に搭乗していましたが、現在は先頭の長刀鉾にだけ登場し、他の鉾は代わりの人形をのせます。後祭は鉾がないため稚児は祭りに参加しません。前祭の綾傘鉾にも6人の稚児が参加しますが、こちらは歩きます。
長刀鉾に搭乗する稚児は、保護者に数千万円の費用負担が必要なため、事実上有力な資産家の子息に限定されます。このあたりの事情は、葵祭の斎王代の場合と同じです。
長刀鉾の稚児は、古来町内の子息から選ばれていたため、現在も祭の開始前に町内の代表と形式的に養子縁組します。7月の祭りの開始以降、様々な神事に白塗り化粧で出席します。山鉾巡行に際しては地上を歩くことを禁じられているため、送迎のハイヤーから降りると肩車されて長刀鉾に搭乗します。
巡行スタート直後の四条麩屋町交差点で稚児は注連縄切りを行います。こちらも巡行の見どころで、付近は見物客で全く身動きが取れなくなります。神の使いである稚児が注連縄を切って神の世界への山鉾の進入を許可する儀式です。切る際は本物の太刀を使うため、大人が介添えします。
【Wikipediaへのリンク】 祇園祭
バレエ研究者の目線で見た祇園祭の真髄
祇園祭
https://www.kyokanko.or.jp/gion/(京都市観光協会)
http://www.yasaka-jinja.or.jp/event/gion.html(八坂神社)
http://www.gionmatsuri.or.jp/(祇園祭山鉾連合会)
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