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本のレビュー「仏像と日本人」 ~仏像プレゼンテーターたちの活躍史

2018年09月18日 | 名作レビュー

中公新書「仏像と日本人」を読みました。

永らく”信仰”の対象であった仏像が、近代になって”鑑賞”の対象にもなっていく過程にスポットをあてています。「仏像は有り難いもの」という、ある意味固定観念に基づいた”べき論”が、”美術”という輸入された価値観に基づき、現実の時代環境に応じて変わっていく有様を研究者の立場で明らかにしています。

著者は、近代の仏教という異色の分野を専門とする新進気鋭の研究者・碧海寿広(おおみとしひろ)です。岡倉天心からみうらじゅんに至る、各時代の仏像の魅力のプレゼンテーターが築き上げた実績の分析は、ほとんど目にしたことがありません。とても興味深く読み進めることができます。


現代人に最も人気のある仏像の寵児はここにいる

お寺に安置するために造る仏像は、当然ですが信仰の対象として造られます。鑑賞して楽しむ”美術”という概念が日本で広まったのは明治以降のことですが、江戸時代以前の人々の仏像への接し方から著者は分析を始めます。

中世以前は、仏像に限らず寺院そのものが天皇や武士など擁護した権力者の権力の象徴でした。江戸時代になると巡礼の旅や出開帳を多くの庶民が楽しむようになり、寺側も収入増を充てこんで積極的に仏像を見せるようになります。

いわば現代のように”鑑賞”を楽しむ土壌が江戸時代にはすでにできていたのです。しかし「明治以降と決定的に違うのは”美術”の概念がなかったこと」と筆者はきちんと指摘しています。仏像を”文化財として保存する”という概念はなかったのです。

明治の廃仏毀釈や海外流出により、文化財として国家が保護する制度が始まりますが、戦前までは岡倉天心や和辻哲郎はじめとする一握りの知識人だけが”美術品”としてとらえているに過ぎませんでした。こうした知識人たちが奈良で古寺巡礼の拠点とした旅館・日吉館や古美術写真の飛鳥園に集まった様子への言及はとても興味深いものがあります。

戦後になると、土門拳や入江泰吉の写真集、修学旅行や団体旅行の普及、白洲正子らによる巡礼本、といった”鑑賞”としての側面が一気に優勢になるように見えますが、決してそうとは言えません。戦時中に出征前に仏像に祈るために寺を訪れる青年が後を絶たなかったという記述はとても印象に残ります。

現代の仏像巡りのバイブルともいえる、みうらじゅんといとうせいこうによる「見仏記」についてもふれています。筆者は”鑑賞”と”信仰”の両面が語られていると指摘しています。仏像ガールたちによるカジュアルな鑑賞スタイルの中にも、”いやし”という信仰的な要素が含まれている点にもふれています。

現代では”仏像ブーム”という言葉がすっかり定着しています。仏像は、宗教なのか、美術なのか。この答えはそれぞれの人の心の中にあると思います。私の場合は「両方が該当し、区別はできない」というのが本音です。

昨今は京都・奈良の仏像が、東京国立博物館を中心に大規模な展覧会で披露されることが目立っています。きちんと光をあてており360度鑑賞できることも多いなど、展覧会で仏像にお会いする方がより綺麗に見えることは事実です。興福寺の阿修羅像の人気は、2009年に東博で100万人近い入場者を集めた「阿修羅展」の影響が大きいでしょう。

こうした現代の出開帳が、”鑑賞”と”信仰”のバランスを変えていくことになるのかもしれませんが、仏像への関心を高まること自体は素晴らしいことだと思います。

仏像だけでなく様々な美術分野に関心のある方にもおすすめできます。日本人が、”美術”に接してきた過程がきちんとまとめられた一冊でもあるからです。





仏像と日本人
 宗教と美の近現代
著者:碧海寿広
判型:新書
出版:中央公論新社
初版:2018年7月19日


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