
いろいろな「タイムスケジュール」があって・・・私はここで2週間度に発売されるこの「青春のうた」について、多少遅れる時もありますが、もう今回で72回目・・・
創刊号がいつ出たか、ちょっとカテゴリーの「青春のうた」の一番最初をみてみたら、2006年2月4日なんですね。もう2年と9ヶ月近くになるわけで・・・よく頑張ったなぁって自分自身をほめてあげたいです(笑)
2週間に一度、確実に「ネタ」として使えるわけで(笑)このブログも助かってるんですね(笑)まあ、お暇でしたら過去の71冊(426曲)をカテゴリーから見てみてくださいね。
ってことで・・・今号の「青春のうた」は1970年代中期。もう今号が22冊目なので432曲中132曲を占めてるってことになります。
今号の特集として、1974年の堀江謙一単独無寄航世界一周達成というニュースが取り上げられています。三浦雄一郎と共に彼は相変わらず冒険家してますよね?三浦氏が76歳・・・堀江氏が70歳、私の親の世代です。いつまでも「プロ」の冒険家として頑張って欲しいものです。堀江氏は石原裕次郎の主演で「太平洋ひとりぼっち」として映画化された「マーメイド号」による単独太平洋横断を行ったのが、1962年。もう45年以上冒険家してるんですね。
同じ1974年には「モナ・リザ」が東京国立博物館で50日間公開されました。前年12月には郷ひろみが「モナリザの秘密」ってのを出してます。便乗商法ですね(笑)しかしモナ・リザが来日したときにはすでにその次のシングル「花とみつばち」を歌ってました(笑)
ってことで・・・今号の6曲のご紹介。
★アビーロードの街 1973年7月 かぐや姫
アルバム「かぐや姫さーど」に収録されたこの曲ですが、たぶん多くの人がそうであるように、私もかぐや姫が解散する前に発売された2枚組BEST「かぐや姫フォーエバー」で初めて聞きました。エレキギターのカッティング奏法と、バンジョーの音色がめちゃ新鮮でした。もちろんビートルズへのオマージュで満ち溢れている名曲です。
★いつか街で会ったなら 1975年5月 中村雅俊
「ふれあい」「白い寫眞館」に続く中村雅俊の3曲目。私自身は彼の歌でこれが一番好きです。っていうのも、喜多條忠作詞、吉田拓郎作曲ってことが非常に大きくて、吉田拓郎も後年発売された「ぷらいべーと」というアルバムで歌っています。この頃の拓郎って本当にいいんですね。
あ・・・ここは中村雅俊のことを書かなきゃ(爆)
この頃の彼は、ドラマはもちろんヒットするし、歌ももちろんヒットするし・・・今で言うならば・・・だれ? 福山雅治?ちがうか?(爆)
★夢が少しづつ 1974年10月 吉川忠英
セッションギタリストとしての吉川忠英しかしらない私です(笑)
歌声を初めて聴きました。
★大阪へ出て来てから 1975年5月 上田正樹と有山淳司
懐かしい歌です。大阪ローカルのラジオでよくかかっていました。
1970年代はまだまだ「大阪」への憧れと挫折ってのもあったんでしょうね?
今の時代なら大阪じゃなくってやはり一気に東京なのかもしれません。
大阪・・・もっと魅力ある街にならないとね。
★弟よ 1975年11月 内藤やす子
不思議なもので、この「弟よ」と私が大好きな「想い出ぼろぼろ」は、歌謡曲だと思うんだけど、こういった「青春のうた」みたいなカテゴリーに入れられるんですね。なんでなんだろう?
なんといってもデビューして順風満帆だったのに、本当に惜しい事件を起こしてしまったことが残念でなりません。その後、復活し、紅白歌合戦にも出演しましたが、2006年5月に脳内出血で倒れ、現在も療養中らしいです。
★グッド・バイ・マイ・ラブ 1974年4月 アン・ルイス
名曲です。本当に素晴らしい曲だと思います。この曲の次に発売された「ハネムーン・イン・ハワイ」もすごく好きな曲です。
アン・ルイスの歌って、忘れられない名曲が多いんですね。もっともっと評価されてもいいと思います。
「女はそれを我慢できない」山下達郎作曲の「恋のブギ・ウギ・トレイン」竹内まりや提供の「LINDA」三浦百恵作詞、沢田研二作曲の「ラ・セゾン」そして「六本木心中」と・・・
しかし・・・やはりこの「グッド・バイ・マイ・ラブ」が一番好きです。
創刊号がいつ出たか、ちょっとカテゴリーの「青春のうた」の一番最初をみてみたら、2006年2月4日なんですね。もう2年と9ヶ月近くになるわけで・・・よく頑張ったなぁって自分自身をほめてあげたいです(笑)
2週間に一度、確実に「ネタ」として使えるわけで(笑)このブログも助かってるんですね(笑)まあ、お暇でしたら過去の71冊(426曲)をカテゴリーから見てみてくださいね。
ってことで・・・今号の「青春のうた」は1970年代中期。もう今号が22冊目なので432曲中132曲を占めてるってことになります。
今号の特集として、1974年の堀江謙一単独無寄航世界一周達成というニュースが取り上げられています。三浦雄一郎と共に彼は相変わらず冒険家してますよね?三浦氏が76歳・・・堀江氏が70歳、私の親の世代です。いつまでも「プロ」の冒険家として頑張って欲しいものです。堀江氏は石原裕次郎の主演で「太平洋ひとりぼっち」として映画化された「マーメイド号」による単独太平洋横断を行ったのが、1962年。もう45年以上冒険家してるんですね。
同じ1974年には「モナ・リザ」が東京国立博物館で50日間公開されました。前年12月には郷ひろみが「モナリザの秘密」ってのを出してます。便乗商法ですね(笑)しかしモナ・リザが来日したときにはすでにその次のシングル「花とみつばち」を歌ってました(笑)
ってことで・・・今号の6曲のご紹介。
★アビーロードの街 1973年7月 かぐや姫
アルバム「かぐや姫さーど」に収録されたこの曲ですが、たぶん多くの人がそうであるように、私もかぐや姫が解散する前に発売された2枚組BEST「かぐや姫フォーエバー」で初めて聞きました。エレキギターのカッティング奏法と、バンジョーの音色がめちゃ新鮮でした。もちろんビートルズへのオマージュで満ち溢れている名曲です。
★いつか街で会ったなら 1975年5月 中村雅俊
「ふれあい」「白い寫眞館」に続く中村雅俊の3曲目。私自身は彼の歌でこれが一番好きです。っていうのも、喜多條忠作詞、吉田拓郎作曲ってことが非常に大きくて、吉田拓郎も後年発売された「ぷらいべーと」というアルバムで歌っています。この頃の拓郎って本当にいいんですね。
あ・・・ここは中村雅俊のことを書かなきゃ(爆)
この頃の彼は、ドラマはもちろんヒットするし、歌ももちろんヒットするし・・・今で言うならば・・・だれ? 福山雅治?ちがうか?(爆)
★夢が少しづつ 1974年10月 吉川忠英
セッションギタリストとしての吉川忠英しかしらない私です(笑)
歌声を初めて聴きました。
★大阪へ出て来てから 1975年5月 上田正樹と有山淳司
懐かしい歌です。大阪ローカルのラジオでよくかかっていました。
1970年代はまだまだ「大阪」への憧れと挫折ってのもあったんでしょうね?
今の時代なら大阪じゃなくってやはり一気に東京なのかもしれません。
大阪・・・もっと魅力ある街にならないとね。
★弟よ 1975年11月 内藤やす子
不思議なもので、この「弟よ」と私が大好きな「想い出ぼろぼろ」は、歌謡曲だと思うんだけど、こういった「青春のうた」みたいなカテゴリーに入れられるんですね。なんでなんだろう?
なんといってもデビューして順風満帆だったのに、本当に惜しい事件を起こしてしまったことが残念でなりません。その後、復活し、紅白歌合戦にも出演しましたが、2006年5月に脳内出血で倒れ、現在も療養中らしいです。
★グッド・バイ・マイ・ラブ 1974年4月 アン・ルイス
名曲です。本当に素晴らしい曲だと思います。この曲の次に発売された「ハネムーン・イン・ハワイ」もすごく好きな曲です。
アン・ルイスの歌って、忘れられない名曲が多いんですね。もっともっと評価されてもいいと思います。
「女はそれを我慢できない」山下達郎作曲の「恋のブギ・ウギ・トレイン」竹内まりや提供の「LINDA」三浦百恵作詞、沢田研二作曲の「ラ・セゾン」そして「六本木心中」と・・・
しかし・・・やはりこの「グッド・バイ・マイ・ラブ」が一番好きです。
まぁ、「雅」という字は同じだけど。
顔の作りは全然違うし、キャラも違うよ。
爆
雅治様は何といっても、貴公子タイプだからね。
とはいえ、中村雅俊さんも、我が青春の良き兄貴タイプで好きでしたけどね。
歌って踊れる・・・いや、もとい(笑)
歌って俳優もできるって点でってことね(笑)
もちろん福山雅治の根っこはシンガーソングライターなので、中村雅俊とは全然違うんだけどさ(笑)
毎度のことながら、出来はイマイチだけれど、ご容赦くださいませ。
今回は、「グッド・マイ・ラブ」と「弟よ」がいいですね。繰り返し聴いて楽しんでいます。。。
「グッド・バイ・マイ・ラブ」はやっぱ名曲だよね。
今号では、「アビーロードの街」と「いつか街で会ったなら」もよく当時ギター弾きながらうたったもんです。