極私的映画論+α

+αは・・・日記です(^^;
最近はすっかり+αばかりになってしまいました(笑)

青春のうた 80 1970年代中期 24

2009-02-19 18:43:41 | 青春のうた
 「青春のうた」もいよいよ80巻目です。月に2冊発売されるので、40ヶ月目ってことですね。初回を除いて990円なので・・・って金の話はやめようね(笑)

 以前にも書きましたが、この「青春のうた」は1960年代後期、1970年代前・中・後期、1980年代前期の5つのグループに分かれていて、今日紹介する1970年代中期のカテゴリーが今号で24冊目・・・144曲を紹介してきました。仮に4年と考えても、1年に36曲です。たとえば、昨年発売された曲を36曲あげてみろって言われてもまったくあげられない私ですが(笑)

 本誌の特集は第一次ジョギングブームと超音速旅客機コンコルドです。
私はこの「ジョギング」という言葉に一番最初に触れたのは・・・忘れもしません1972年の8月でした。小学校6年の夏休みに、区のソフトボール大会に出るために地域の連合チームを作り、早朝練習を1週間ほど続けたんですね。そのときの指導者のお兄さん(当時大学生)が、「そんなに早く走らなくてもいいし、かといって早歩きよりも早く走れ」みたいなことを指導してくれました。今はジョギングなんて言葉はあまり聞かなくなったけど・・・っていうのも、やはり一般の人にとっては走るよりもウォーキングってことと、なんといってもジョギングの提唱者であったジム・フィックスが1984年にジョギング中に心筋梗塞を起こして54歳で急死したってことが一番大きいかもしれません。

 コンコルドは「怪鳥」というニックネームが付くくらいの人気機種でした。「20世紀少年」の私たちが夢見た音速旅客機で、その実物を写真で見たときには、やはり夢が現実になったと胸が踊ったんですが・・・。いかんせん、その爆発的な騒音問題と、ジャンボジェットの4分の1の定員と、環境問題などで、30年間ほどしか(それでも30年間もって感じですが)運用されませんでした。

 1970年の日本万国博覧会の日本館で「昭和60年にはリニアモーターカーが走る」みたいに模型が展示されましたが、いずれは確かにリニアモーターカーは走るんでしょうが、「狭い日本、そんなに急いでどこにいく」って言う交通標語が今もどこかに生きているかもしれません。


 ってことで、今号の6曲のご紹介。



 ★ロードショー 1976年3月 古時計

 ちょうど私が中学を卒業した時期に発売されたこの曲ですが、当時ギター片手によく歌いました。冒頭に「映画館のロビーであなたの笑顔を見てしまいました」ってあるんだけど、今のシネコンにはこんな風情はないなぁ。初めて女の子と二人っきりで見た映画は・・・このブログでも何回も取り上げましたが「犬神家の一族」の私です(爆)


 ★あの唄はもう唄わないのですか 1975年12月 風

 「風」好きでした。「22歳の別れ」に続くシングルとして発売されたこの曲は、シングルとアルバムのバージョンが違って、私はアルバムバージョンが好きでした。アルバム「時は流れて」は名盤ですが、廉価版でないかなぁ。伊勢正三の曲も好きなんだけど、大久保一久の「古都」が大好きな私です。


 ★となりの町のお嬢さん 1975年9月 吉田拓郎

 今ならこのPOPな感じも好きなんですが、当時はちょっと否定的でした。「結婚しようよ」もPOPですが、ちょっと違うんですね。小室等、泉谷しげる、井上陽水とフォーライフレコードを設立した当時は、やはりフォークソングの商業化をより一層感じましたし、アーチストが経営者って図式はやはりちょっと違う感じを受けました。

 
 ★オレンジ村から春へ  1876年3月 りりィ
 「私は泣いています」の印象がとても強い彼女でしたが、この曲がCMソングとしてTVから流れてきたときはホントびっくりしました。今は女優としてもそのキャリアを積んでいますね。


 ★北鎌倉 1975年9月  岡本正
 ★言問橋 1976年7月  クラフト

 この2曲はタイトルはもちろん知ってましたが、今日まで聞いたことはありませんでした。

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