このシリーズ、以前はちゃんと発売日に記事にしてたんだけど、すっかりサボり癖がついちゃって(笑)まあ、もう80回以上続けてることなので頑張らなくっちゃね。
で、87と88なんですが・・・タイトルに書いたように1980年代前期と1970年代中期です。んじゃま、87号から。。。
特集は「松田聖子」と「たのきんトリオ」でした(笑)
松田聖子は私の一つ下の学年ですし、たのきんの「た」である田原俊彦は同じ学年です。当時は彼も若く見えましたが、ここにきて年相応って感じですよね(笑) 松田聖子に関して言えば、1980年のデビューってことで、ちょうど私は大学2年。当時アイドルのレコードを買うことはまったくなかったんですが、彼女の2枚目のアルバム「North Wind」を買ってから、結局1996年発売の「Vanity Fair」まで、オリジナルアルバム27作品を買っています。CDは1986年発売の13枚目のアルバム「SUPREME」以降で、それまでの12枚はすべてレコードです。この12枚のアルバムをCDで持っていないのが残念でなりません(笑)いまさら買えませんし。
なお、私は27枚まで買いましたが、今現在は44枚のオリジナルアルバムが出ているそうです。松田聖子に関してはキリがないので今回はこの程度で(笑)
ってことで、87号の6曲のご紹介。
★約束 1982年8月 渡辺徹
彼は私よりも一才年下でした。「ザ・ベストテン」でよくうたっていましたが、私は「太陽にほえろ」を見てなかったので、彼の役者としての姿はほとんど見ていないかも(笑)しかし、とてもいいキャラをしてるし、同世代の男としては好きなタレントさんですね。
★フレンズ 1985年10月 レベッカ
この「フレンズ」が収録されたアルバム「REBECCAⅣ」以降、私も数枚のアルバムを買い、今でもたまに聞いています。車の運転中にレベッカをかけると、どうしてもアクセルをベタ踏みしてしまいます・・・トラックですが(笑)この曲ももう25年がたとうとしていますが、いつまでも全然古さを感じないのは私だけでしょうか?後年にドラマの主題歌となって再HITしたのは記憶に新しい・・・って言ってもこれもすでに10年も昔の話ですが(笑)
★摩天楼ブルース 1984年10月 東京JAP
この曲が主題歌として使われたキョンキョンの「少女に何が起こったか」を見ていない私です。今回はじめて聞きました。そしてDJ赤坂泰彦が所属していたことも今回はじめて知りました。
★バカンスはいつも雨(レイン)1982年10月 杉真理
大瀧詠一、佐野元春とのコラボアルバム「ナイアガラトライアングルvol2」ではじめて彼の歌を聴きました。ちょうど大学4年の頃でしたね。もちろんこの「バカンスは・・・」も知っていますし、同時期に発売されたアルバム「OVERLAP」の聞きましたが、私にとっての杉真理は1982年の1年で終わってしまいました。
★アンジェリーナ 1980年3月 佐野元春
以前にも書きましたが、私と佐野元春との出会いは先ほどに紹介した「ナイアガラトライアングルvol2」でした。大瀧詠一はすでに超大物でしたし、彼が若手のPOPSシンガーを2名携えて企画アルバムを作った・・・そういったノリで聞いたのが最初です。それから25年佐野元春にずっとはまっています。ただ・・・「THE SUN
」以降の新しいアルバム買ってないんですね(笑)
この「アンジェリーナ」も私がはじめて聞いたのは名アルバム「SOMEDAY」の後に発売されたBEST盤が最初でした。そしていまでもたぶん、彼のBEST5に数えられる名曲だと思います。
★シャイニン・オン君が哀しい 1985年4月 LOOK
申し訳ないけど・・・私にとっては「ああ・・・こんな歌あったなぁ」程度の曲です。TVの歌番組でうたってるのは見ましたが(笑)ごめんなさいね。
ってことで次は88号(1970年代中期)です。
特集はソ連の宇宙船ソユーズとアメリカの宇宙船アポロのドッキングとSLブームなんですが・・・そういった話もありましたがまったく興味がなかった私です(笑)
SLって、乗ったことあります?私は乗ったことがないんですね。
国鉄自体乗ることは少なかったですし、すでに母の里新潟までは特急北越で7時間半で行けました(1971年当時です)今残念なのは新潟までの直通列車がないことです。東海道新幹線→上越新幹線を利用するか、在来線で富山あたりで乗り換えるか、夜行列車北国にのるか、日本海くらいですね。
ってことで88号の6曲です。
★闇夜の国から 1974年4月 井上陽水
「夢の中へ」「心もよう」そしてアルバム「氷の世界」の爆発的な売り上げの後に発売されたシングルです。当時はこのようなPOPな路線と叙情的な歌を交互に出していたような感じです。この曲はどちらかといえば今現在の陽水って感じもします。
★北山杉 1974年10月 うめまつり
この曲・・・タイトルは知ってましたが当時なぜか聞くことがなかった曲です。今回はじめて聞きました。私の大学はこの「北山杉」の見えるところにありました。大学の同級生に実家が北山杉を生業にしているやつがいましたが、もう廃業したそうです。
★俺の借金全部でなんぼや 1975年5月 上田正樹と有山淳司
この曲は発売当時には聞いていないんですが、のちのちによく聞きました。めちゃ大阪している曲で、「悲しい色やね」と比べても、こちらの方が好きな大阪です(笑)
★千羽鶴 1973年9月 中沢厚子
彼女の声・・・よしだたくろうのデビューアルバム「青春の詩」の中の一曲「男の子・女の子」でしか聴いたことがなかった私・・・今回初めてそれ以外の曲を聴きました。これが彼女のデビュー曲らしいんですが、やはり澄みとおった歌声でした。
★朝刊 1975年8月 グレープ
のちに「雨やどり」「関白宣言」などの、どちらかといえばコミカルなラブソングとして知られている、さだまさしの初期のコミカルソング・・・って、ファンの私が言うなって!(笑)1975年8月の時点で現ヤクルト監督の高田の背番号は8番です。それが後に原辰徳へ受け継がれるわけですね。そうそう・・・この曲で初めて「カラスミ」というものの名前を知った私。いまだに食べたことはないけれど(笑)
★男どうし 1975年9月 杉田二郎
今、タイトルだけを聞けば腰が引けそうなタイトルです(笑)
もちろん今でも男同士の友情って・・・私にはまったく関係のない話なんですが(笑)この曲が発売された当時、私は沢田研二の「あなたへの愛」の冒頭と同じに聞こえて仕方なかったです。今ももちろんそう思いますが(笑)
ってことで、今回紹介した12曲は比較的よく知ってる歌が多かったですね。
で、87と88なんですが・・・タイトルに書いたように1980年代前期と1970年代中期です。んじゃま、87号から。。。
特集は「松田聖子」と「たのきんトリオ」でした(笑)
松田聖子は私の一つ下の学年ですし、たのきんの「た」である田原俊彦は同じ学年です。当時は彼も若く見えましたが、ここにきて年相応って感じですよね(笑) 松田聖子に関して言えば、1980年のデビューってことで、ちょうど私は大学2年。当時アイドルのレコードを買うことはまったくなかったんですが、彼女の2枚目のアルバム「North Wind」を買ってから、結局1996年発売の「Vanity Fair」まで、オリジナルアルバム27作品を買っています。CDは1986年発売の13枚目のアルバム「SUPREME」以降で、それまでの12枚はすべてレコードです。この12枚のアルバムをCDで持っていないのが残念でなりません(笑)いまさら買えませんし。
なお、私は27枚まで買いましたが、今現在は44枚のオリジナルアルバムが出ているそうです。松田聖子に関してはキリがないので今回はこの程度で(笑)
ってことで、87号の6曲のご紹介。
★約束 1982年8月 渡辺徹
彼は私よりも一才年下でした。「ザ・ベストテン」でよくうたっていましたが、私は「太陽にほえろ」を見てなかったので、彼の役者としての姿はほとんど見ていないかも(笑)しかし、とてもいいキャラをしてるし、同世代の男としては好きなタレントさんですね。
★フレンズ 1985年10月 レベッカ
この「フレンズ」が収録されたアルバム「REBECCAⅣ」以降、私も数枚のアルバムを買い、今でもたまに聞いています。車の運転中にレベッカをかけると、どうしてもアクセルをベタ踏みしてしまいます・・・トラックですが(笑)この曲ももう25年がたとうとしていますが、いつまでも全然古さを感じないのは私だけでしょうか?後年にドラマの主題歌となって再HITしたのは記憶に新しい・・・って言ってもこれもすでに10年も昔の話ですが(笑)
★摩天楼ブルース 1984年10月 東京JAP
この曲が主題歌として使われたキョンキョンの「少女に何が起こったか」を見ていない私です。今回はじめて聞きました。そしてDJ赤坂泰彦が所属していたことも今回はじめて知りました。
★バカンスはいつも雨(レイン)1982年10月 杉真理
大瀧詠一、佐野元春とのコラボアルバム「ナイアガラトライアングルvol2」ではじめて彼の歌を聴きました。ちょうど大学4年の頃でしたね。もちろんこの「バカンスは・・・」も知っていますし、同時期に発売されたアルバム「OVERLAP」の聞きましたが、私にとっての杉真理は1982年の1年で終わってしまいました。
★アンジェリーナ 1980年3月 佐野元春
以前にも書きましたが、私と佐野元春との出会いは先ほどに紹介した「ナイアガラトライアングルvol2」でした。大瀧詠一はすでに超大物でしたし、彼が若手のPOPSシンガーを2名携えて企画アルバムを作った・・・そういったノリで聞いたのが最初です。それから25年佐野元春にずっとはまっています。ただ・・・「THE SUN
」以降の新しいアルバム買ってないんですね(笑)
この「アンジェリーナ」も私がはじめて聞いたのは名アルバム「SOMEDAY」の後に発売されたBEST盤が最初でした。そしていまでもたぶん、彼のBEST5に数えられる名曲だと思います。
★シャイニン・オン君が哀しい 1985年4月 LOOK
申し訳ないけど・・・私にとっては「ああ・・・こんな歌あったなぁ」程度の曲です。TVの歌番組でうたってるのは見ましたが(笑)ごめんなさいね。
ってことで次は88号(1970年代中期)です。
特集はソ連の宇宙船ソユーズとアメリカの宇宙船アポロのドッキングとSLブームなんですが・・・そういった話もありましたがまったく興味がなかった私です(笑)
SLって、乗ったことあります?私は乗ったことがないんですね。
国鉄自体乗ることは少なかったですし、すでに母の里新潟までは特急北越で7時間半で行けました(1971年当時です)今残念なのは新潟までの直通列車がないことです。東海道新幹線→上越新幹線を利用するか、在来線で富山あたりで乗り換えるか、夜行列車北国にのるか、日本海くらいですね。
ってことで88号の6曲です。
★闇夜の国から 1974年4月 井上陽水
「夢の中へ」「心もよう」そしてアルバム「氷の世界」の爆発的な売り上げの後に発売されたシングルです。当時はこのようなPOPな路線と叙情的な歌を交互に出していたような感じです。この曲はどちらかといえば今現在の陽水って感じもします。
★北山杉 1974年10月 うめまつり
この曲・・・タイトルは知ってましたが当時なぜか聞くことがなかった曲です。今回はじめて聞きました。私の大学はこの「北山杉」の見えるところにありました。大学の同級生に実家が北山杉を生業にしているやつがいましたが、もう廃業したそうです。
★俺の借金全部でなんぼや 1975年5月 上田正樹と有山淳司
この曲は発売当時には聞いていないんですが、のちのちによく聞きました。めちゃ大阪している曲で、「悲しい色やね」と比べても、こちらの方が好きな大阪です(笑)
★千羽鶴 1973年9月 中沢厚子
彼女の声・・・よしだたくろうのデビューアルバム「青春の詩」の中の一曲「男の子・女の子」でしか聴いたことがなかった私・・・今回初めてそれ以外の曲を聴きました。これが彼女のデビュー曲らしいんですが、やはり澄みとおった歌声でした。
★朝刊 1975年8月 グレープ
のちに「雨やどり」「関白宣言」などの、どちらかといえばコミカルなラブソングとして知られている、さだまさしの初期のコミカルソング・・・って、ファンの私が言うなって!(笑)1975年8月の時点で現ヤクルト監督の高田の背番号は8番です。それが後に原辰徳へ受け継がれるわけですね。そうそう・・・この曲で初めて「カラスミ」というものの名前を知った私。いまだに食べたことはないけれど(笑)
★男どうし 1975年9月 杉田二郎
今、タイトルだけを聞けば腰が引けそうなタイトルです(笑)
もちろん今でも男同士の友情って・・・私にはまったく関係のない話なんですが(笑)この曲が発売された当時、私は沢田研二の「あなたへの愛」の冒頭と同じに聞こえて仕方なかったです。今ももちろんそう思いますが(笑)
ってことで、今回紹介した12曲は比較的よく知ってる歌が多かったですね。
「私の友だちの友だちなの」だそうです。
きっかけは、「青春のうた87」…
大学時代…
「太陽にほえろ!」の視聴率が下がった…って聞いて、
当時、アパートの部屋にTVが無かった私は、
「なぜ?」って思ったら、
「金八先生」のせいでした。
だから、「たのきん」や「杉田かおる」の中学生姿は知らないのよ。
グレープの「朝刊」聴きながら思ったことが二つ…
一つめは、
「高田の背番号8」→「原辰徳の背番号8」
→原辰徳のテーマ曲「エイトマンのうた」
→石井浩郎のテーマ曲「秋田県民の歌」
ハハハ、子狸の一人連想ゲームでした。
二つめは、
「~♪君に新聞通になって欲しくない~」って言う歌詞。
これって、男尊女卑の思想?
「女には学問は要らぬ、家事をしっかりやれ!」って思っている…
男って身勝手!!
30年前なら問題ない歌詞だったかもしれないけれど、
今なら、きっと憤慨されるんだろうなぁ。。。
あのね・・・さだまさしファンなので2から(笑)
歌詞をよく吟味してね。
確かに朝ごはんを用意するのは男女どちらでもいいし、そこを突っ込まれたら辛いんだけど・・・
なんで新聞通になって欲しくないかって言うと
「新しいエプロンも可愛いけど、またあわててコゲを作るんだろう」ってことなのよ。
朝食を作ってる最中に新聞読むのはやめてねってこと。
まあ、最初に書いたように、別に嫁が新聞読んで旦那が朝食を作ってもいいんじゃ?っていわれたらそれまでだけど(笑)
私も一番最初の「金八」はまったく見てなかったよ。