スケッチブック

写真と文章で、日常を記録に残す

息子よ、生意気だぞ

2006-01-21 15:42:02 | 社会
寒気団が居座り南岸低気圧が通過するときに、関東は雪になります。今日はまるで絵に描いたような図式になっています。両者の距離が短くて、つまり低気圧が関東の近くを通過して、それも動きが遅いときにまれに大雪となります。

さて、今日は雪に閉じ込められましたので、日頃、書きたいと思いながら書く機会が無かったある事件について書きます。

それは、先日映画「男たちの大和」を見に行った日のことです。私たちは上映時刻より50分ほど早く着いたので、カフェテラスに入りデモンストレーション用のVTRを見ながらアップルパイとコーラを楽しんでいました。50がらみの男が車椅子を押してスロープを上ってきた。彼らもだいぶ待ち時間があったから、私たちの隣の椅子とテープルを取った。主は80を優に超えたかなり大柄な男だ。年恰好からして、彼は参戦したに違いない。徴兵検査は甲種合格だったろうなどと勝手な想像をめぐらせていた。彼は遠慮気味に「○彦、私もコーラが欲しいな」と言った。「父さん、駄目だよ!映画の前に飲み物は」と間髪を入れずに息子は答えた。「頼むよ、小さいので良いから」「困るなあ、それだから」とぶつぶつ言いながら、息子は立った。

上映時刻が近付いたので、私はいつも通りトイレに立った。入り口が車椅子で塞がっている。その結果、彼らの言動を見聞きすることになった。息子は父親を前から抱き上げるようにして便器に座らせている最中だ。私の存在に気付かない。「ズボンをもっと下まで下げて、ほら駄目でしょうそれじゃ!」「ハイ」と彼は答える。「下着も下げて、○ちん○○を引っ張り出して、まだまだ、出しちゃ駄目だよ!もっとだよ、もっと。」「ハイ」と今度も素直に返事をする。この歴戦の勇者であろう男の弱弱しい「ハイ」はたまらなく辛かった。私なら処かまわず放尿してやる。

居た堪れず、3度目の「ハイ」を聞くことなく下の階へと降りた。

最新の画像もっと見る

18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
老いては子に従え・・・かな (熊子)
2006-01-21 21:00:46
関東地方の雪にはビックリでした。老いて介護が必要になり人の手を借りなければできないことだらけ、それゆえに素直に従う。従わなければなにをされるか解らない恐怖心がこうして素直な返事になっているとしたら、明日はわが身という言葉が脳裏をかすめます。この二人は親子なのか、それとも利用者とヘルパーなのか、いずれにしても、声のかけ方、声のトーン、所作等々、見るもの、聞く者にとっては心が痛みましたね。私も母が車椅子なので、この映画を見る前にトイレを済まさせて、見終わったときもトイレをさせて、ほっと一息でした。歩けないものにとって久しぶりの外出ですから、楽しい気分を損なわないように気をつけました。ポロさま、どうか怒らないでね。悲しまないでね。こうして、この先もこの二人の関係が続くのであれば、車椅子の紳士さんの態度はわが身を守る知恵なので、本位ではなくても生きていく知恵だと思います。
難しい問題です (あまもり)
2006-01-21 22:03:18
熊子さんが書く前にこの記事を読んでいました。

でもどう書いていいのかわからなくて見るだけでした。

熊子さんが適切に書いてくれてほっとしています。私は熊子さんと同じ気持ちです。

介護されるほうも辛いでしょうが、介護するほうはもっと辛いと思います。毎日毎日のことで言葉が乱暴になりがちになるのかもしれませんがお父様か、介護対象者か知りませんが、本人のことを一番思っているのはこの50過ぎの男性の方ではないのでしょうか。

poloさんがお母様を介護されてきたのと比べ余りにも人権を無視したような言葉に悲しさを覚えられたのでしょうが、介護している人は侮蔑して言っていたのではないと思いたいです。でなければ映画館まで連れてはこないと思うからです。
熊子さん、こんばんは (polo181)
2006-01-21 22:07:41
コメントを有難う。会話の中で、「父さん」と呼んでいますから、実の父でしょう。息子に対して生きてゆく知恵が必要ですかね。まぁ、車椅子に乗せてまでして映画館に連れて来てもらうのだから、その行為には感謝するべきですね。しかし、息子の一々の指示に対して卑屈な態度をとらなければならないとすれば、それはもう息子でも何でもないただの介護者にすぎません。
あまもりさん、こんばんは (ポロ)
2006-01-21 22:27:45
コメントを有難う。振り返ってみると、とてもコメントがし難いブログでしたね。それにたいして敢えて書いてくださっとことに感謝します。私は妻に協力して40年間母の面倒を看ました。育ててくれた約二倍です。そのうち10年間は認知障害で、最後の9年間は寝たきりでした。全部自宅介護です。下の世話はもちろんのこと、徘徊にも付き合いました。介護して上げているなんて思ったこともありません。させて頂いているとの気持ちを貫きました。親とはそういうものです。この世に生を授けてくれた上に養育してくれた大恩人です。その大恩人に対して何たる物言いなのか。と私は言いたい。
生意気ですが (熊子再度)
2006-01-21 22:48:47
先日の我がブログに載せました高齢者虐待の順位の第一は息子でした。年老いた親が息子からの暴力に慄いているのです。力の逆転ですね。いろんなプロセツがあっての結果なのでしょうね。いい親子関係であったのなら、決して悲しい介護は受けないでしょうが、必死に生きていくためには介護されるの者は知恵が必要な場面は多々あります。みながみなポロ様ご夫婦がされたように真の介護ができればいいでしょうが、難しい現在なのでしょうね。熊子が知恵が必要と書いたのは以前の職場でのアンケート結果でもあります。そんな時代になってしまったのです。
poloさんの気持ちを (あまもり)
2006-01-21 22:58:46
考えると、端から見ても耳を覆いたくなる言葉づかいだったのかもしれませんね。

してやってるんだ、とさせてもらうんだとの気持ちには大きな差があります。感謝の気持ちを忘れたら人間じゃないと思います。

poloさんが親に対する思い、これは大事なことだと思います。

私は父を亡くしてから、父にどれだけ感謝をしてきたのかと反省することがあります。生きている時は父を責めたこともある親不孝な娘でした。
熊子さん、こんばんは (polo181)
2006-01-21 23:02:12
コメントを有難う。貴女は現実を述べていて、私はあるべき姿を述べています。私が目撃したのは一つの現実の実例でしょう。両者には大きな乖離があります。だから、かみ合うはずもありません。引き戻せと言ってももはや無理でしょうね。
あまもりさん、こんばんは (ポロ)
2006-01-21 23:08:00
コメントを有難う。英語のチャットの時間がきましたから、明日あらためて返信を書きます。悪しからず。
車椅子の親子 (anikobe)
2006-01-22 10:36:02
文字面からの読み取りは、読むほうの主観が働き、臨場のpoloさんとは、受け取り方が違うかも分かりませんが、その場の親子のやり取りよりも、映画を見たいと、おそらく、父親が言ったであろう、そのことに応えて、車椅子で、連れて来る、という子の立場の男性の行為を評価したい気持ちです。

車椅子の人を街中で目にする機会が多くなってきましたが、まだまだ、いろんな事情で、外の暮らしと遮断されがちな障害を持つ人が、家族の介護でこのように社会生活に参加することは当人にとって素晴らしいことと思います。

お手洗いでの親子の会話については、あえて触れないコメントになってしまいました。
poloさん、お早うございます。 (upplain)
2006-01-22 11:22:26
今朝は昨日の雪が嘘のような天気で、テラスの給餌皿には雀たちが群がって粟粒を突っついています。・・・雪の中でも上げましたよ。

poloさんと熊子さんのコメントは何れも正論で、どちらに対しても意見はありません。

私も、昨年暮れ母親を施設に預けることにしました。

結果的には今は出来る限り顔を出して短時間でも面接し、家庭では気付かなかった世話話、母からの話を聞いています。

施設に預けたことについて、高世代の方からは自分の親なのだから、可哀想だ、自分勝手だ・・・等の言葉を聞くことがありますが、 母にとっても、私達兄弟夫婦にとっても最善の策だったと思っています。

ボロさん仰有るように、親だから家庭介護を続けるのが良いと思い、私も設備も備え即応できるように、今の家を造りました。

でも、それは若い頃に自分の体力も行動力もある時に考えたこと、自身にも老いが近づいてくるとお互いにそれで良いのだろうかと考えました。

poloさんの見聞された車椅子の親子、多分親孝行な息子さんだったのでしょう。

そのお父さんは「大東亜戦争」・・・古語・・・の映画「男たちの大和」を見たいと云って、息子さんに頼み、それを聞いて連れてこられたのでしょう。

いつもそのような乱暴な会話はしないのに、トイレの近いお父さんに「父さん、駄目だよ!・・・・・」と注意したのでしょう。なんて善意に解釈したいと思います。そうでないと遣り切れません。



私も、実の母の情けない姿を見ていたら・・・あれほど強く泣顔を見せたことのなかった母が・・・と思うと、つい強い言葉も出ることがありました。母が「ゴメンネ、迷惑掛けて」の言葉に、はたと我に返るのです。私の今あるのは誰のお陰なのか、この母があってこそ、世の中で活動できたのだとその時には思うのですが、又時間が経つと忘れ本音が、でもそれが本当の親子なのでしょう。



母を預けてから1ヶ月が過ぎ、母の生活を見ると、明るくなったように見えるのです。担当者の言葉でも、入所された当初は家に帰る、牢獄だなんて云っていたそうです。

ところが今ではホームの中の年長者でもあり、リーダー的に振る舞っていると聞き安心しています。

今は当人の希望もあるので「お茶の道具」を届け、それで茶会でもして自分も含め皆さんを癒されればと考えています。

コメントを投稿