これは第六回リポートを提出した際に、参考資料としていただいた作品解説です。
出家生活にいそしむ浮舟に対して、めぐりくる季節の風物が様々な感情を生起させていく。次の行文の「遣水の蛍ばかりを慰めにてながめぬ」るというのも、微妙である。蛍をながめることは、昔日を懐かしく思い起こさせることになるが、それは心の慰めであるとともに、物思いの痛苦にもなると言うのである。恋の炎の象徴としての「蛍」が、薫や匂宮とのさまざまな思い出を彷彿とさせてしまうからである。彼女は、過去の忌まわしい人間関係をすべて忘れ去ろうとしているにもかかわらず、その過去の人間関係からいまだに自由ではありえないのである。
この過去を彷彿とさせる蛍の光と照応しあうかのように、山あいを行く一行の松明(たいまつ)の灯が遠望される。後続の叙述によれば、浮舟は、女房たちの話から、それが薫の一行であると知らされる。ここにいたって過去の忌まわしさをまざまざと想起させてしまうのである。ここでの蛍は、薫や匂宮をさすのではなく、むしろ、彼らと関わりあった浮舟自身の魂の底にうごめく愛憐の炎が象徴されているというべきである。
浮舟が小野の山里に蘇生して出家生活にいそしんでいることは、やがて薫の知るところとなる。薫が、横川の僧都に対面して真相を知ったのである。僧都は浮舟を出家させたことを後悔もするが、小野の山里への案内をという薫の要請には応じなかった。わずかに浮舟への手紙を託しただけである。しかし薫自身は、人目をはばかって小野に立ち寄ることはしない。あらためて、浮舟の幼い弟の小君を使者として派遣した。
薫の使者として立ち現れたのは、浮舟の弟である。彼女の心に即してみると、血を分けた肉親がなんとも懐かしい。すぐにでも会って、母のことも聞いてみたい。しかし彼女は、ここで弟に心を開けば、薫らとの関係を蘇らせ、再び忌まわしい過去に逆戻りしかねないだろう、それが恐ろしい。肉親への懐かしさをも抑えるほかはないのである。
浮舟は、使者の尋ねる女(ひと)ではなく、人違いだと言い張るほかはない。妹尼など周囲の人々には、いかにもかたくなな人間と見えるけれども、今更どうにもならない。あくまでも人違いを押し通す彼女は、「顔も引き入れて臥し」ている。すべてを断ち切って生きようとする者の、人知れぬ涙があふれるのである。末長い余生をこのように送るほかないのが、『源氏物語』最後の女主人公、浮舟の絶望的な人生である。 おわり
出家生活にいそしむ浮舟に対して、めぐりくる季節の風物が様々な感情を生起させていく。次の行文の「遣水の蛍ばかりを慰めにてながめぬ」るというのも、微妙である。蛍をながめることは、昔日を懐かしく思い起こさせることになるが、それは心の慰めであるとともに、物思いの痛苦にもなると言うのである。恋の炎の象徴としての「蛍」が、薫や匂宮とのさまざまな思い出を彷彿とさせてしまうからである。彼女は、過去の忌まわしい人間関係をすべて忘れ去ろうとしているにもかかわらず、その過去の人間関係からいまだに自由ではありえないのである。
この過去を彷彿とさせる蛍の光と照応しあうかのように、山あいを行く一行の松明(たいまつ)の灯が遠望される。後続の叙述によれば、浮舟は、女房たちの話から、それが薫の一行であると知らされる。ここにいたって過去の忌まわしさをまざまざと想起させてしまうのである。ここでの蛍は、薫や匂宮をさすのではなく、むしろ、彼らと関わりあった浮舟自身の魂の底にうごめく愛憐の炎が象徴されているというべきである。
浮舟が小野の山里に蘇生して出家生活にいそしんでいることは、やがて薫の知るところとなる。薫が、横川の僧都に対面して真相を知ったのである。僧都は浮舟を出家させたことを後悔もするが、小野の山里への案内をという薫の要請には応じなかった。わずかに浮舟への手紙を託しただけである。しかし薫自身は、人目をはばかって小野に立ち寄ることはしない。あらためて、浮舟の幼い弟の小君を使者として派遣した。
薫の使者として立ち現れたのは、浮舟の弟である。彼女の心に即してみると、血を分けた肉親がなんとも懐かしい。すぐにでも会って、母のことも聞いてみたい。しかし彼女は、ここで弟に心を開けば、薫らとの関係を蘇らせ、再び忌まわしい過去に逆戻りしかねないだろう、それが恐ろしい。肉親への懐かしさをも抑えるほかはないのである。
浮舟は、使者の尋ねる女(ひと)ではなく、人違いだと言い張るほかはない。妹尼など周囲の人々には、いかにもかたくなな人間と見えるけれども、今更どうにもならない。あくまでも人違いを押し通す彼女は、「顔も引き入れて臥し」ている。すべてを断ち切って生きようとする者の、人知れぬ涙があふれるのである。末長い余生をこのように送るほかないのが、『源氏物語』最後の女主人公、浮舟の絶望的な人生である。 おわり