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日本史の勉強している

中国や韓国との歴史認識の相違が問題になっているので、「正しい歴史」を勉強しようと思った。

古今和歌集

2012-10-30 13:52:08 | Weblog
 1.名 義
 古い歌と今の世の歌を集めるの意味。
 
 2.選 者
  紀友則(完成を待たず没)・紀貫之・大河内躬恒・壬生忠岑。
 
 3.成 立
 醍醐天皇の勅により続万葉集と称す未組織の本ができ、再度の勅に拠り二○巻に編成して改称。仮名序にいう延喜五年(905)四月十八日(真名序には十五日)が奉勅の日か奉覧の日か説が分かれる。日本紀略には十五日に「撰進」したとある。その後も、補足修訂されて延喜一三、四年(912・4)ごろに最終的な完成を見た、と言われる。
 
 4.歌数・歌体
 歌数は本により異なる。定家本で1100首。長歌5首、旋頭歌4首、その他はすべて短歌。
 
 5.組 織
 二○巻。春(上下)・夏・秋(上下)・冬・賀・離別・羇旅・物名・恋(1~5)・哀傷・雑(上下)・雑体・大歌所御歌に分類する。この部立は後の撰集の範となる。歌の排列には季節の推移や類題を勘案する。巻頭に仮名序(紀貫之)、巻尾に真名序(紀淑望)を付する。
 
 6.時代・歌人
 「万葉集にいらぬ古き歌」(序)から当世まで、記名作者127人。
 (1)[第一期:読人しらず時代] 中心は平城朝から仁明朝(802~50)。漢詩文全盛の時期で、小野篁・藤原関雄ら少数を除いて作者不明。読人しらず約450首の大部分はこの期のもの。万葉集に接続する古風を伝えるが、用語は新しい。
 (2)[第二期:六歌仙時代] 文徳朝から光孝朝(850-87)。摂関政治の初期にあたり、後宮を中心に和歌が復興し、平仮名の発達がこれを助ける。六歌仙のほかに在原行平・藤原敏行らが活躍。優美な素材を技巧的に歌うが、感情の表出はなお率直である。
 (3)[第三期:選者時代] 宇多・醍醐朝。唐文化の模倣を脱し、歌合が盛んに催される。選者をはじめ伊勢・素性・藤原興風・坂上是則・清原深養父ら名士が輩出される。生の表現を避け、趣向を凝らし技巧を駆使して優雅艶麗の世界を観念的に創出し、古今風を完成する。

 7.史的意義
 「古今」と称しながら、和歌を本格的な文芸として完成させた「今」に重点をおき、美の典型を示した集。漢詩文と和歌とが交替したと単純に考えるべきでなく、漢詩全盛を通過し、それを摂取して和歌が完成したのである。勅撰和歌集の第一として尊敬され、長く詠歌の規範であり指標であった。子規以来軽視されがちなのは、上代偏重の国学や外来の写実主義の影響によるものである。         おわり

今昔物語集

2012-10-17 14:49:06 | Weblog
 1.編 者
 散逸した『宇治大納言物語』の編者である源隆国説はほぼ否定され、京都あるいは奈良周辺の大寺の僧とする説などもあるが、未詳。
 2.成 立
 未詳。出典の一つとされる『弘讃法華伝』の日本伝来の年代や所収説話の内容から、保安元年(1120)以後、保元の乱(1156)以前と推定される。

 3.内容・構成
 三一巻(巻八・一八・二一は欠巻)。『三宝感応要略録』『孝子伝』『弘賛法華伝』や『日本霊異記』『法華験記』『三宝絵』『俊頼髄脳』『注好選』等、中国・日本の仏教書・説話集などに依拠し、一千有余の説話を収録。
 構成は、天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の三部に分けて、それぞれに仏教説話と世俗説話が整然と分類配置され、更に内容的に強い結びつきを持った説話が二話ずつ連続するといういわゆる(二話一類様式)によって配列されている。また、当時の日本人にとってのほぼ全世界である天竺・震旦・本朝の各部において、仏教説話を先に、世俗説話を後に配置したこと、仏教説話が全体の六割以上を占めていることなどから、編者は仏教に比重を置きつつも仏法と王法とが補完し合う世界全体を描こうとしたと言えるであろう、と思う。
 仏教説話では、仏教の伝播と三宝(仏・法・僧)の霊験などが具体的に記されている。世俗説話は、特に巻二二~三一の本朝世俗部において、王朝貴族文学には全く見られなかったような武士説話(巻二五)・霊鬼説話(巻二七)・滑稽話(巻二八)・悪行説話(巻二九)などが、芥川龍之助の言う「美しい生々しさ」を持った生き生きとした表現力によって描写され、話材は時間的にも空間的にも注目すべき広がりを持っている。

 4.文 章
 自立語を漢字で書き、用言の語尾や付属語を片仮名で小書きする漢文訓読体で、すべての説話を「今ハ昔」で始め、「トナム語り伝へタルトヤ」で終わる点や、不明な固有名詞を空白のままにしておく点にも特徴がある。『宇治捨遺物語』等との共通説話が相当あり、散逸した『宇治大納言物語』との何らかの関係が想定される。
 5.影響・流布
 厳密な意味では未完成な作品であり、成立後も流布せず、近世に刊本が出るまでは、他の作品への直接的な影響はなかったと言ってよい。

 5.源頼義、馬盗人を射殺したること(巻25・12)
 「夜半ばかりに、雨のまざれに馬盗人入り来たれり。・・・(源頼信は)起きけるままに衣を引き壺折りて、胡箙をかき負ひて、厩に走り行きて、自ら馬を引き出だして、あやしの鞍のありけるを置きて、それに乗りてただ独り・・・追ひて行く。(さらに子の頼義も父と同じように馬盗人を追った。)」。             おわり