気の向くままに

卒寿過ぎた私の日々の行動と昔の思い出の掲載です。北海道日本ハムファイターズのファン~元祖東急セネタース時代から

思い出の中国旅行 その22(1999年10月4日~10日)

2022-03-08 12:52:44 | 旅行
3月8日(火)朝から曇天で気温も低く冬に戻りました。雨も時々降っています。座骨神経痛の痛みは気温が低いのでチクチクが時々出ています。
我が家の梅の花も大分咲いてきました。
今日の思い出の中国旅行は「黄山の奇松・怪石・雲海を見る」を目的に1999年2月にNTT労組退職者の会の神奈川支部と横浜支部が統合し神奈川県支部となって実施した旅行でした。

旅行日 1999年10月4日~10日
旅行先 屯渓 黄山 南京 上海の

横浜・神奈川と統合後の初の海外旅行は37名が参加し実施する。

10月4日
中国国際航空便で3時間弱の空の旅で、現地時間19時に上海空港着。スルーガイドの陳さんが出迎え。陳さんは私達ツアーに4回目のガイド。翌日が早いので空港近くの上海機場賓館に泊まる。夕食は紹興酒で盛り上がる。

10月5日
中国東方航空便で1時間弱で、朝8時過ぎに黄山空港着。黄山の玄関口である「屯渓」の宋代の名残を深くする街並み「老街」を散策後、黄山の麓までバスで向かう。途中、明日宿泊する屯渓国際大酒店にスーツケース等を預けて身軽になる。麓の雲谷寺から標高1,700㍍の白鵝峰までロープウェイで一気に登る。黄山は72の峰から成る山々で全山至る所にそそりたつ岩があり、その岩を割って松が生えている。その松・岩が「奇松」「怪石」の格好をしている。白鵝峰から近くの峰を散策。ホテルの西海飯店で小憩後、夕焼けの雲海の中に浮かぶ山々を排雲亭から見る。水墨画のような素晴らしい景色であった。夕食は黄山の名物料理(蛙?もあった)
  
                    

屯渓の老街で
  


黄山で


  


夕暮れの黄山          

10月6日
朝5時起床、日の出と雲海を見に懐中電灯持参でホテルの外套を着て清涼亭へ。中国建国50周年の連休中なので観光客がどこも一杯。人の少ない所で、陣をとったら真下が断崖絶壁であった、ゾッとした。残念ながら日の出は見えなかった。午前中は空から石が落ちてできたような断崖絶壁に立つ岩、「飛来石」まで大勢が頑張る。因みに駕籠を利用された人の駕籠代は・・・駕籠代450元、チップが駕籠に乗るとき一人100元、降りるとき一人50元、駕籠は前後で二人で担ぎ、合計750元(日本円で約1万円強)。午後屯渓に戻る。
   
                        

 黄山 飛来石

10月7日
屯渓7時20分発の列車で南京まで7時間30分の列車の旅。最後部の増結車だが、前が荷物車なので他の車両とは隔離。7時間車中で盛り上がる。車掌が売り子になり多彩な品の販売、一同各種仕入れる。南京到着後、長江大橋、中華門、夫子廟を見学。今夜と明晩は南京古都飯店。尚、神奈川シニア連合の研修旅行が私達が帰る日にこのホテルに泊まることになっている。
 
南京行き列車の途中停車駅で(最後尾に1両増結

南京夫子廟で

10月8日
午前中は中山陵(孫文の墓)、南京博物館で歴史の学習。昼食に子豚の丸焼き1匹注文。午後は霊谷寺、南京大虐殺記念館見学・映像による学習。反戦・平和を誓う。

 南京霊谷寺で

南京での特別料理子豚の丸焼き 

10月9日
8時50分発2階建て特急列車で上海まで3時間。停車駅は常州一駅のみ。昼食後、自由行動組と豫園観光組に分かれる。上海友誼商店で合流し、各種商品を各自それぞれ多数仕入れる。最後の夜は上海雑伎を楽しむ。宿泊は南京東路に出来たばかりの上海新雅大酒店。深夜有志でホテルのカラオケへ。画面が中国語に振り仮名の日本語は平仮名だけの文字、区切りも無く読むのに難しかった。

上海行き列車服務員と

上海雑伎

10月10日
朝、出発前にホテル前の南京東路を散策し、8時45分出発。バスの中でスルーガイド陳さんが歌う「星影のワルツ」を聴きながら空港へ。午後3時過ぎ全員元気で成田に着く。
今回の旅は、最大の目的だあった黄山が天気に恵まれ素晴らしい景色が堪能出来たので、大満足の旅でした。

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