気の向くままに

卒寿の私の日々の行動と昔の思い出の掲載です。

戦後78年 戦争体験者の想い

2023-08-15 12:20:01 | 日記

今日は昭和20年8月15日に日本が第2次世界大戦で敗戦を迎えてから78年となる日です。戦禍に倒れた多くの人に心から哀悼の意を表します。

 私は昭和8年(1933年)12月6日生まれ、上星陛下と同月生まれで、国から何かを頂いた話を親から聴いた気がする。

 そして終戦前後の我が家の中の生活状態が大変であった事が記憶の中にある。 

 私は父母と兄弟5人の長男、住まいは6畳と3畳の2部屋で2軒長屋の借家。井戸は隣と共同。勿論風呂は無し、住んで居た所は小田原市網一色(現在の東町)歩いて小田原駅まで40分位。近くには疎開してきた内閣恩給局、海軍水路部と軍需工場の立川製作所があり、敗戦後はいち早く米軍が進駐してきた。

 終戦の年、私は小田原市立山王国民学校6年生。父は小田原郵便局で電信主事、敗戦のことは当時小田原局電信は伊豆諸島の島々の郵便局と短波の無線電信で電報の送受をしていて軍の無線も傍受する事も出来、事前に親から聴き知っていた。

 その中で8月15日、午前0時から3時頃、私の家から約2.5キロ離れた小田原市内の中心地の海岸に向かう450㍍の通りの両側が爆撃され、死者48名、負傷者40名、全焼家屋474戸、全壊家屋10戸、罹災者1、666名と言う記録がある。鎮火から数時間後、玉音放送が流れ太平洋戦争は終結した。

その頃の記憶を辿ると

「命拾いをする」

 ある日、空襲警報、警戒警報が解除となり友人2名で学校に登校途中、周囲が畑の道を歩いていたら突然米軍飛行機P51が低空で現れパイロットの顔も見えたが、子どもだと思って機銃掃射をしなかったと思った。

「母の着物が米に変わった」

 戦争が激しくなり、配給の米も満足に来なくなった時、お金の価値も無くなってきて、物々交換でなくては米が手に入らなくなり、母は嫁入りの時に持って来た着物を箪笥から何回も出し知人の農家に持っていき米に変えていた。今改めて思うことはその時の母の気持ちは・・・・と

「さつま芋の買い出し」

 終戦直後の食糧難は米が手に入りにくくなり、もっぱらさつま芋一色となり、親の買い出しは警察の取り締まりがあり、代わりに私が学校を休んで学友同士で方々に行く。東海道線では三島、小田急では伊勢原、大雄山線では塚原とこれが私たちの買い出しエリア、今でも当時の芋の名前を覚えている。おきなわ、のうりん1号これは不味かった。毎回リュックサックに4貫目背負った。三島では「芋ありますか」と農家に尋ねると「ニャー」と言われ今でもその土地の言葉が耳に残る。芋を背負いながらこの重たい物を何かで運ぶことが出来ないかと考えて歩いた記憶が。まあ11歳で、今思うとよく頑張って背負ったと思う。しかし、買い出しで学校を休んでばかりしたので、旧制中学には受験させて貰えず国民学校の高等科1年へ、その翌年6、3制となり新制中学2年の時に逓信講習所を受験、中学3年生の昭和23年5月17日に入学、逓信講習所では2年の勉学の筈がマッカーサーの指令とかで9ヵ月となりモールス信号とタイピングを覚えて、翌年1月末に卒業。2月から平塚郵便局電信課に配属されトンツー稼業が始まる。そして7月には小田原郵便局電信課に転勤。

いずれにしても芋の買い出しが私の人生を決めてしまった。

 退職後は戦争体験者として、全電通(NTT労組)神奈川退職者の会。神奈川シニア連合事務局長として「侵略の痕跡が残る南京を訪ねて」「沖縄平和学習旅行」「道東と北方領土を望む旅」「知覧(特攻平和会館)学習と南九州の旅」「ヒロシマ平和学習と四国の旅」「ナガサキ平和学習と中九州の旅」「大津島(回天記念館学習)と萩・秋吉台の旅」を後世に引き継ぐ為の平和学習旅行を企画・実施してきました。私たち高齢者だけでなく次の時代を担う世代の人もこのように戦争中に何があったのか是非学習し、そして後世に引き継いで頂きたいと節に思います。

南京虐殺記念館(某新聞社の00人斬りの写真がありました)

沖縄・糸数豪(真っ暗の中を黙祷しました)

 納沙布岬

知覧特攻記念館

ヒロシマ平和学習

長崎平和学習途中の吉野ヶ里遺跡

大津島(回天記念館)

私は第2次世界大戦の体験者として日本が中国、東南アジアへ侵略しその結果の敗戦、多くの犠牲者が出ました。今、ロシアがウクライナを侵攻しています。これ以上の犠牲者を出さない事を戦争体験者として心から念じます。

最後に知覧特攻平和会館での遺書から

「人生の総決算 何も謂ふこと無し」

 伍井芳夫中佐 (埼玉県・32歳)

 戦死日     昭和20年4月1日

 隊名      第23振武隊

 

「お母さん 大元気で でっかい奴を 沈めます」

 加藤虎男少尉 (東京都・18歳)

 戦死日     昭和20年5月4日

 隊名      第109振武隊

 

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