東京都墨田区にある本所松坂町公園を訪問しました。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士が討ち入った、吉良上野介の上屋敷があった地にあります。
浅野匠頭守による刃傷事件の後吉良上野介は隠居し、呉服橋門内々あった屋敷が召し上げられ
代わりにこの本所二ツ目に約2550坪(8400平方メートル)の屋敷を拝領します。
そののち、赤穂浪士が討ち入るわけですが、当時の遺構が残っているわけではなく、
地元有志が宅地を買い取り、東京都に寄進し昭和10年に公園となったそうです。
外観
公園と言っても、塀で囲まれた広場という趣です。
墨田区が設置した案内板
中央に吉良上野介の像があります。
周囲の壁にはいろいろなパネルがあります。
そのうちの1枚の、葛飾北斎の絵とその説明
討死した吉良家家臣の剣豪小林平八郎が描かれているそうです。
小林平八郎は、葛飾北斎の曽祖父と言われています。
みしるし洗いの井戸
園内の松坂稲荷大明神
もともと御竹蔵内にあった兼春稲荷を、討ち入り後に地所清めのために遷座したそうです。
公園の東南方向に進んだところに吉良邸正門跡の案内板があります。
また、公園の西南方向に進んだところに吉良邸裏門跡の案内板があります。
公園の目の前には飯澄稲荷があります。
飯澄稲荷脇には、鏡師中島伊勢居住跡の案内板もあります。
鏡師中島伊勢は、幕府御用達の鏡師で討ち入り後に払い下げられたこの付近に住んでいたそうで、
前述の葛飾北斎(時太郎)を養子とした人です。
公園から西南(裏門の看板からさらに西側)には、相撲の井筒部屋がありました。
さらに西に進むと一之橋があります。
一之橋は、墨田川から用水路に入って一つ目の橋になります。
赤穂浪士が泉岳寺に引き上げる際に最初に渡った橋だそうです。
橋の袂には早咲きの桜が咲いていました。
一之橋を渡ったすぐ先に、先日紹介した江島杉山神社があります。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士が討ち入った、吉良上野介の上屋敷があった地にあります。
浅野匠頭守による刃傷事件の後吉良上野介は隠居し、呉服橋門内々あった屋敷が召し上げられ
代わりにこの本所二ツ目に約2550坪(8400平方メートル)の屋敷を拝領します。
そののち、赤穂浪士が討ち入るわけですが、当時の遺構が残っているわけではなく、
地元有志が宅地を買い取り、東京都に寄進し昭和10年に公園となったそうです。
外観
公園と言っても、塀で囲まれた広場という趣です。
墨田区が設置した案内板
中央に吉良上野介の像があります。
周囲の壁にはいろいろなパネルがあります。
そのうちの1枚の、葛飾北斎の絵とその説明
討死した吉良家家臣の剣豪小林平八郎が描かれているそうです。
小林平八郎は、葛飾北斎の曽祖父と言われています。
みしるし洗いの井戸
園内の松坂稲荷大明神
もともと御竹蔵内にあった兼春稲荷を、討ち入り後に地所清めのために遷座したそうです。
公園の東南方向に進んだところに吉良邸正門跡の案内板があります。
また、公園の西南方向に進んだところに吉良邸裏門跡の案内板があります。
公園の目の前には飯澄稲荷があります。
飯澄稲荷脇には、鏡師中島伊勢居住跡の案内板もあります。
鏡師中島伊勢は、幕府御用達の鏡師で討ち入り後に払い下げられたこの付近に住んでいたそうで、
前述の葛飾北斎(時太郎)を養子とした人です。
公園から西南(裏門の看板からさらに西側)には、相撲の井筒部屋がありました。
さらに西に進むと一之橋があります。
一之橋は、墨田川から用水路に入って一つ目の橋になります。
赤穂浪士が泉岳寺に引き上げる際に最初に渡った橋だそうです。
橋の袂には早咲きの桜が咲いていました。
一之橋を渡ったすぐ先に、先日紹介した江島杉山神社があります。