漱石、出産に立ち会う。
明治32年(1899)の長女筆子誕生から、ほぼ1年おきに
7人の子供が生まれています。
4女愛子の時には産婆が間に合わず、漱石も出産を手助けすることに。
身動きのとれない婦人に代わって脱脂綿で赤ん坊の顔をつかまえようと
するのですが、とらえどころがなく四苦八苦しているところに産婆が到着
して事なきをえました。
普段は子供が幼稚園で作った工作をみたり、相撲をとったり、百人一首を
一緒に興じる優しい父親の一面を見せています。
しかし、一旦神経衰弱に陥ると「突然怒る恐い父」であったと、子供たちの
記憶に焼きついて離れなかったようです。
(夏目漱石生誕140年記念誌より抜粋)
漱石散歩道のマップも掲載されています。
歩いて体験 漱石散歩ガイド
解説編もあるので、楽しみながら歩いたら、
もっと漱石を身近に感じられそうです。
<昨日の正解>
01、answer「鬼がわら」
当時生徒の間で歌われた「一つ弘中シッポクさん」で始まる数え歌では
「七つ夏目の鬼がわら」と歌われたという。
弘中は「坊っちゃん」の主人公のモデルとされた弘中又一で、
シッポクは具いりのうどんおこと。
漱石の「鬼がわら」は風貌から出たものとされる