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弐千円札よ永遠に

Remember the 2000-yen bill!

二千円札の徒

2009-02-10 21:59:26 | 弐千円札/論説
ここ数日にわたり,私は自分の二千円札に対する思いを吐露してきた.
http://blog.goo.ne.jp/1f2h3e/e/17ab3ba7a6ee5b8ba7907119cc3ed39d
http://blog.goo.ne.jp/1f2h3e/e/274de3b98ec91e950101cf741b2597ee
http://blog.goo.ne.jp/1f2h3e/e/6b19db7aa65169235bbc5ab97455f725

そこで,二千円札について熱く語るとアクセス数(特にPV)が伸びるということに気づいた.私も徐々に二千円札の徒として認識されつつあるのだろうか.私の拙い文章を読んでくださる方々には,この場を借りて深謝申し上げたい.

世の中には,二千円札を流通させようと奮闘している猛者,これから二千円札の道に入ろうとしている人に有用な知識を与えてくれる方々がいる.彼らのサイトまたはブログを訪れることにより,読者がいっそう見識を深められることを期待して,以下にリンクを張ることにする.

シャルル・ド・モアイさんのブログ
ハゲナルドさんのサイト
2000円マスターさんのブログ
二千円札普及委員会
2000円札救済委員会
超こだはりの郵便局巡り
MasAka!
Masaakiさんのブログ
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二千円札の存在意義

2009-02-08 19:32:17 | 弐千円札/論説
二千円札の主な存在意義は,千円札の流通枚数を減らすことにある.とりもなおさず,それは千円札の製造にかかるコストと環境負荷を小さくすることにつながる.

二千円札を最大限に活用すれば,千円札と二千円札を合わせた需要を枚数ベースで4割減らすことができる[1].2008年度に製造される千円札の枚数を15億枚[2],1枚あたりの製造コストは15円程度[3]とすると,年間90億円程度のコストを削減できることになる.また,紙幣1枚の質量を1グラム[4]とすると,600トンもの紙資源を節約できることにもなる.

国家予算の規模と比較すれば年間90億円くらい大したことはないと思われるかもしれない.しかしながら,そう思われる方も,普段は「税金の無駄遣いは一円たりとも許せない」と思っているのではないだろうか.また,紙幣1枚に使われる紙はわずかでも,6億枚ともなれば大変な量になる.

国家の財政と地球環境を考えれば,二千円札を流通させることの重要性は明らかである.他券種と紛らわしい,計算が面倒であるといった問題は,習熟することにより乗り越えられてしかるべきである.

[1] 原始的かつ大雑把な見積もりではあるが,1,000円,2,000円,3,000円,4,000円の取り引きをそれぞれ1回ずつ行うことを考える.これに必要な紙幣の枚数は,千円札のみを用いた場合に計10枚,二千円札を最大限用いた場合に計6枚(千円札2枚,二千円札4枚)となる.
[2] 財務省のサイトにあるページ「平成20年度 日本銀行券製造計画: 財務省」による.
[3] はっきりした値は分からないが10~20円と言われている.
[4] 札束1億円分(一万円札が10,000枚)の質量が10kgだそうである.
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改悛

2009-02-06 21:20:00 | 弐千円札/論説
月日が流れ,私はどこかで,二千円札について書かれた記事を目にした.そして,二千円札の存在を,それに対して私が抱いていた感情を思い出した.

しばし私は考えた.手にしたこともない二千円札を
- 時の暗愚な政権により導入された
- 千円札や五千円札と紛らわしく
- 額面が中途半端で
- 使いにくい
- 不要な
であると決め付けた理由は何だったのか.

時の政権が愚かだったかどうかなど,軽々しく評価するほどの見識が自分にあるのか.たとえそうであっても,その施策すべてが愚かであるとする根拠はない.また,二千円札は,千円札や五千円札とは色合いからして異なる.書かれている数字も違えば透かしの位置も違う.そして,2と5は共に10の約数であり,互いに素である.2が中途半端で5が中途半端でないのは何故か.何より,慣れてもいないのに,使いにくいと結論付けるのは短絡的に過ぎる.二千円札が不要ならば,五千円札も同様なのではないか.

そして,ある結論に達した.二千円札に対しあのような感情を抱いたのは,私が変化に対応できなかったからである.二千円札の登場という変化を受け入れ利用するのではなく,それを拒み無視する理由を探していただけだったのだ.

私は,変化を拒み続ける人間ではなく,変化を受け入れ利用できる人間になりたいと思っていた.だが,二千円札ごとき使いこなせずして,どうしてそんな人間になれようか.そう思って,私は二千円札を使い始めることにした.
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懺悔

2009-02-06 19:45:17 | 弐千円札/論説
二千円札が発行されたころ,私はそれを
- 時の暗愚な政権により導入された
- 千円札や五千円札と紛らわしく
- 額面が中途半端で
- 使いにくい
- 不要な
紙幣であると思っていた.便利だと言われても使う気にはならなかった.2のつく貨幣が海外では多いと言われても,日本にそれは馴染まないと思っていた.とにかく二千円札が忌々しかった.実際それを手にしたことなどなかったのに.

二千円札は普及せず,私はしばらくして,その存在すら忘れた.
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自省

2009-02-03 22:08:06 | 弐千円札/論説
二千円札が不便なのではない.頭の固さが不便さを感じさせるのである.
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偉人

2009-02-01 21:22:25 | 弐千円札/論説
この道を志して日が浅い私には実感できていないが,二千円札への風当たりが強くなってきたと,この道の権威であるシャルル・ド・モアイ氏は見ているようである.
http://ameblo.jp/2000yen/entry-10201262514.html

日本銀行により発行された貨幣が日本国内において流通しないということに,私は苛立ちを通り越して恐怖すら感じる.非力な中央銀行があり,さらに国民は非協力的である.こんなことで,日本は未曾有の危機を乗り切ることができるのか.

そんな大げさな問題意識を抱えつつ,私も微力ながら二千円札を入手し使い続けていく所存である.
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そろそろ一年

2009-01-30 21:28:58 | 弐千円札/論説
私が二千円札普及活動に目覚めてそろそろ一年が経とうとしている.何月何日とは覚えていないが,昨年の寒いころ,私は二千円札の存在を思い出したのだ.私の文章を読んでくださっている方は,私のことをクレイジー二千円札男だと思っているかもしれない.

しかし,世の中には,何年も前に二千円札普及活動を始めた方々がいる.つまり,私が今になって考えていることを何年も前に考え,言いたいと思っていることを言われた方がいるということである.そうした文章が載っているホームページを先ほど見つけ,私はさわやかな気分になった.この文章を書いた方に敬意を表したい.

なお,このホームページの最終更新日は2006年2月5日となっている.この点は多少気がかりである.
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札束

2008-11-14 17:53:27 | 弐千円札/論説
今日は休みだったので銀行へ両替に行ってきた.今回は,みずほ銀行と多摩信用金庫にて50枚ずつ両替してもらった.

100枚の二千円札が発する空気は独特である.あらためて,「自分が二千円札に取り憑かれてしまったのも仕方ないな」と思わせる何かがある.そう思いながら二千円札の束を見ているうち,自分が始めて二千円札を手にしたときの興奮を思い出した.

何も予備知識のない状態では,二千円札は五千円札のように見えるのかもしれない.しかし,二千円札は他のどの札にも似ていない.根本的に何かが違う.不気味ですらある.そこが刺激的で魅力的なのだ.
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二千円札を使う積極的な理由

2008-10-21 19:51:59 | 弐千円札/論説
私は博士(工学)であり,曲がりなりにも研究職に就いており,なおかつ二千円札大使でもある.そのような私にとって,脳のコンディションの良し悪しは死活問題と言ってよい.そんな私が,日常生活の中で脳を活性化するために実践していることがある.

それは二千円札を使うことである.二千円札を使うことは,二千円を単位とした単純計算を行うことにつながる.そして,川島隆太教授の著書に書いてあるように,単純計算は脳によいのである.私自身,二千円札を使い出してから,日常生活のさまざまな局面において頭の働きが改善したと感じる.暗算も以前に比べて容易になった.二千円札を使いこなすことは,頭を良くすることにつながると私は思う.
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適材適所

2008-09-30 23:03:23 | 弐千円札/論説
明日から新しい職場に通うため定期券を購入した.57,450円もの代金をどのように支払うべきか.私は悩んだあげくクレジットカードを使った.

29枚もの二千円札を流通させるチャンスを逃したのは何故か.決して,金がなかったからでもカードのポイントが惜しかったわけでもない.こうした高額の決済をする上で,二千円札を使うことは適材適所ではないと考えたからである.

一度に大量の二千円札を使えば,窓口の係員に強烈なインパクトを与えられたであろう.しかしながら,29枚もの紙幣を数えるのは面倒な作業である.一万円札以外の紙幣(ことさら二千円札)でそれをやれば,その係員に不愉快な印象を与えてしまうことも危惧される.二千円札大使である私としては,特に必要な場合を除き,二千円札に関連して人に不愉快な印象を与えることは避けなければならない.可能な限り,それが便利と感じられるような場面で二千円札を使いたい.そう考えて,二千円札による支払いを今回は断念した.
Comments (4)
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