魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

老子『道徳経』を翻訳してみました。15

2017年08月30日 | 老子『道徳経』
英語と中国語を学ぶため 
老子『道徳経』を 翻訳してみました。
訳に間違いが有りましたら御教示下さい。


老子『道徳経』
Laozi『Tao Te Ching』


第十五章
原文

古之善爲道者、微妙玄通、深不可識。夫唯不可識、故強爲之容。與兮若冬渉川、猶兮若畏四隣、儼兮其若客、渙兮若冰之將釋、敦兮其若樸、曠兮其若谷、混兮其若濁。孰能濁以靜之徐清。孰能安以動之徐生。保此道者、不欲盈。夫唯欲不盈、故能蔽而新成。

英訳文

A person who mastered "the way" from ancient time knows "deep mystery" well. And you cannot understand depth of his wisdom. But I dare to explain it. He is careful as if he were going across a river in winter, prudent as if he were cautious around him, solemn as if he were an honored guest, obedient as if he were a piece of melting ice, unaffected as if he were a raw wood, tolerant as if he were a valley and vague as if he were muddy water. Who can keep this water calm and get clear water? Who can move this water again and produce new lives? A person who keeps "the way" does not want to be filled. So his vessel revives over and over again.

書き下し文

古(いにし)えの善く道を為す者は、微妙玄通(げんつう)、深くして識(し)るべからず。それ唯(た)だ識るべからず。故(ゆえ)に強いてこれが容(よう)を為さん。予(よ)として冬に川を渉(わた)るが若(ごと)く、猶(ゆう)として四隣(しりん)を畏(おそ)るるが若く、儼(げん)としてそれ客の若く、渙(かん)として冰(こおり)の将(まさ)に釈(と)けんとするが若く、敦(とん)としてそれ樸(ぼく)の若く、曠(こう)としてそれ谷の若く、混(こん)としてそれ濁(にご)れるが若し。孰(たれ)か能(よ)く濁りて以(も)ってこれを静かにして徐(おもむろ)に清(す)まん。孰か能く安らかにして以ってこれを動かして徐に生ぜん。この道を保つ者は、盈(み)つるを欲せず。それ唯だ盈つるを欲せず、故に能く敝(やぶ)れて而(しか)も新たに成る。

現代語訳
古くからの「道」を充分に修めた人は、その微妙な働きによって奥深い所に通じており、奥深さゆえにその有り様は到底理解する事は出来ない。理解出来ない事ではあるが、あえてそれを説明して見よう。おずおずと冬の川を渡る様に慎重であり、びくびくと周囲を警戒する様に用心深くあり、きりっと威儀を正した客の様に厳粛であり、解けてゆく氷の様に素直であり、切り出したばかりの丸太の様に純朴であり、深い谷間の様に寛容であり、濁った水の様に曖昧である。この濁った水を静かに止めて上澄みから清水を得られる者は誰であろうか?またそれを再び動かして生命を生み出す事が出来る者は誰であろうか?「道」に沿った生き方をする人は、一杯まで満たされる事を望まない。だからこそ彼の器はたとえ壊れても何度でも再生するのだ。


老子『道徳経』を翻訳してみました。16 へ続く。




ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義
田口佳史
致知出版社



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