魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「36」

2017年12月27日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「36」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号036 
作者:清原深養父
author of waka:FUKA-YABU KIYOWARA(KIYOWARA NO FUKA-YABU)

原文
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
(なつのよは まだよひながら あけぬるを くものいづこに つきやどるらむ)

現代訳
夏の夜は、まだ宵のうちだと思っているのに明けてしまったが、(こんなにも早く夜明けが来れば、月はまだ空に残っているだろうが) いったい月は雲のどの辺りに宿をとっているのだろうか。

英訳
Too short the lovely summer night,
 Too soon ’tis passed away;
I watched to see behind which cloud
 The moon would chance to stay,
 And here's the dawn of day!

Nothing is known of this writer, except that he was the father of the author of verse No. 42.

解説
 清原深養父(きよはらのふかやぶ・生没年不明)は清少納言の父・清原元輔の祖父にあたる人です。

清原深養父の和歌は「古今和歌集」などに伝えられていて、延長八年(930年)従五位下を賜っています。
中納言兼輔、紀貫之などとも交流があり、琴の名手だったとも言われています。
 晩年は、京都大原の近くに補堕落(ふだらく)寺というお寺をたてて住んだと伝えられています。

 この和歌は、清原深養父が月見をしていた夏の夜明けに読まれたようですが、夜明けが思っていたよりも早く訪れたことへの軽い驚きがよく伝わってきます。
 月を擬人化しているところなど、歌におもしろさがあり、おおらかな印象を与えてくれています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「35」

2017年12月26日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「35」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号035 
作者:紀貫之
author of waka:TSURA-YUKI KINO(KINO TSURA-YUKI)

原文
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
(ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににほひける)

現代訳
さて、あなたの心は昔のままであるかどうか分かりません。しかし馴染み深いこの里では、花は昔のままの香りで美しく咲きにおっているではありませんか。(あなたの心も昔のままですよね)

英訳
THE village of my youth is gone,
 New faces meet my gaze;
But still the blossoms at thy gate,
 Whose perfume scents the ways,
 Recall my childhood's days.

The writer of this verse, who lived A.D. 884-946, was a nobleman at Court, one of the greatest of the classical poets, and the first writer of Japanese prose. He was the chief compiler of the Kokinshiu, in which work he was assisted by the authors of verses Nos. 29, 30 and 33. This work consists of twenty volumes, containing some eleven hundred verses, and was completed in the year 922. It is related that Tsura-yuki once visited a friend after a long absence; and on being asked jestingly by the latter, how he could remember the way after such a long interval of time, the poet broke off a spray of blossoms from a plum tree growing at the entrance, and presented it to his friend with this impromptu verse.

解説
 紀貫之(きのつらゆき・貞観10年頃~天慶9年頃 / 868?~946年?)は平安時代を代表する優れた歌人で、藤原公任が優れた歌人として挙げた三十六歌仙のひとりでもあります。
 凡河内躬恒、壬生忠岑、紀友則らと共に、「古今集」二十巻を編纂しましたが、その中の「仮名序」は、紀貫之の歌論としてよく知られています。
 延長八年には土佐守となり、土佐から帰京のときに著したものが「土佐日記」です。

 ある春のこと、紀貫之が久しぶりに訪れた宿で、主から「ずいぶんと御無沙汰ではありませんか」と問われたとき、この和歌をつくったと伝えられています。
 宿の主が男性なのか女性なのかは分かりませんが、人の心の移ろいの様を、「人は」、「ふるさとは」と対比させて、鮮やかに描いています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「34」

2017年12月25日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「34」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号034 
作者:藤原興風
author of waka:OKI-KAZE FUJIWARA(FUJIWARA NO OKI-KAZE)

原文
誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
(たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに)

現代訳
(友達は次々と亡くなってしまったが) これから誰を友とすればいいのだろう。馴染みあるこの高砂の松でさえ、昔からの友ではないのだから。

英訳
GONE are my old familiar friends,
 The men I used to know;
Yet still on Takasago beach
 The same old pine trees-grow,
 That I knew long ago.

Oki-kaze, the son of Michinari, was an official in the Province of Sagami in the year 911; the date of his death is unknown, but he is mentioned as being alive as late as the year 914. Takasago, which is mentioned again in verse No. 73, is a seaside place in the Province of Harima, famous for its pine trees; the pine tree is one of the recognized emblems of long life in Japan, because it is believed that after a thousand years its sap turns to amber.

解説
 藤原興風(ふじわらのおきかぜ・生没年不明)は藤原浜成のひ孫にあたり、藤原公任が優れた歌人として取り上げた三十六歌仙のひとりとして上げられています。
 興風は昌泰3年(900年)に相模掾、延喜十四年(914年)に下総大掾に任命されています。
 藤原興風は紀貫之、凡河内躬恒らと共に優れた歌人で、日本最古の歌論である『歌経標識』を残しています。

 この和歌は、ある日友達をなくした興風が、その悲しみを込めて詠ったものだと伝えられていますが、その気持ちがよく伝わってきます。
 「高砂の松」はめでたいもの、また長寿の象徴とされるものですが、この松を詠み込むことによって、(共に生きてきた)その松でさえ、心を通わすことができないというような、孤独で寂しい気持ちが表されています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「33」

2017年12月24日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「33」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号033 
作者:紀友則
author of waka:TOMONORI KINO(KINO TOMONORI)

原文
久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
(ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらむ)

現代訳
こんなにも日の光が降りそそいでいるのどかな春の日であるのに、どうして落着いた心もなく、花は散っていくのだろうか。

英訳
THE spring has come, and once again
 The sun shines in the sky;
So gently smile the heavens, that
 It almost makes me cry,
 When blossoms droop and die.

Tomonori Kino was the grandson of Uchisukune Take, a famous warrior, and nephew of Tsura-yuki, who composed verse No. 35; he was one of the compilers of the Kokinshiu, and died at the beginning of the tenth century. He refers in this verse to the fall of the cherry blossoms.

Hisakata is a 'pillow-word' for heaven, without any definite meaning in the present day; it is generally used in poetry in conjunction with such words as sun, moon, sky, or, as in this case, 'the light' (of heaven).

The picture shows the poet with his attendant, watching the petals falling from the cherry tree.

解説
 紀友則(きのとものり・生没年不明 / ?~907年?)は平安中期、宇多、醍醐天皇の頃の人で、紀貫之の従弟、あるいは甥だと言われています。
 紀友則は、少内記、大内記を歴任し、貫之と共に藤原公任が選んだ三十六歌仙の一人としても知られていて、『古今集』の選者にも選ばれています。
 しかし、残念なことに友則は『古今集』が完成する前に亡くなっていますが、友則の和歌は「古今和歌集」の45首を始めとして、「後撰和歌集」、「拾遺和歌集」などの勅撰和歌集に多くの歌が伝えられています。

 この和歌では自然の情景が詠まれていますが、春ののどかな日差しと、散っていく花との対比で、巧みに人々の共感を呼び起こしています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「32」

2017年12月23日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「32」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号032 
作者:春道列樹
author of waka:KORENORI SAKA-NO-UYE(SAKA-NO-UYE NO KORENORI)

原文
山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
(やまがはに かぜのかけたる しがらみは ながれもあへぬ もみぢなりけり)

現代訳
山あいの谷川に、風が架け渡したなんとも美しい柵があったのだが、それは (吹き散らされたままに) 流れきれずにいる紅葉であったではないか。

英訳
SURELY the morning moon, I thought,
 Has bathed the hill in light
But, no; I see it is the snow
 That, falling in the night,
 Has made Yoshino white.

Little is known about this poet, but he is said to have lived some time in the tenth century. Yoshino is a mountain village in the Province of Yamato, famous for its cherry blossoms; at one time it contained the Imperial Summer Palace. In the illustration we see the poet looking across at the village on the hills all covered with snow.

解説
 春道列樹(はるみちのつらき・生年不明~延喜20年 /?~920年)は醍醐天皇の頃の歌人で、従五位下雅楽頭・新名宿禰の子どもです。
 春道列樹は延喜二十年(920年)壱岐守に任ぜられましたが、出発する前に亡くなったと伝えられています。
 しかし、「古今集」や「後撰集」などにいくつかの春道列樹の和歌が残っています。

 この和歌は、列樹が比叡山のふもとを都から近江へと行く途中に詠まれたものだと言われていますが、自然がつくる造形の美しさへの驚きが表れています。
 「山川」は「かまがわ」と読み、山間を流れる小川のことで、「やまかわ」と読むと「山と川」ということになります。
 この小川に散り敷いている紅葉を柵(しがらみ)に見立て、風が掛け渡したのだと、風情ある表現がされています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「31」

2017年12月22日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「31」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号031 
作者:坂上是則
author of waka:KORENORI SAKA-NO-UYE(SAKA-NO-UYE NO KORENORI)

原文
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
(あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき)

現代訳
夜が明ける頃あたりを見てみると、まるで有明の月が照らしているのかと思うほどに、吉野の里には白雪が降り積もっているではないか

英訳
SURELY the morning moon, I thought,
 Has bathed the hill in light
But, no; I see it is the snow
 That, falling in the night,
 Has made Yoshino white.

Little is known about this poet, but he is said to have lived some time in the tenth century. Yoshino is a mountain village in the Province of Yamato, famous for its cherry blossoms; at one time it contained the Imperial Summer Palace. In the illustration we see the poet looking across at the village on the hills all covered with snow.

解説
 坂上是則(さかのうえのこれのり・?~930年頃)は醍醐天皇、朱雀天皇の頃の人で、坂上田村麿の四代目の孫にあたると言われています。
 三十六歌仙の一人として藤原公任が挙げている優れた歌人で、和歌のほか、蹴鞠も上手だったと伝えられています。
 また、坂上是則は延長三年には加賀介に任ぜられているほか、是則の子どもの望城は、「後撰集」の選者のひとりになっています。

 この和歌は、職務で吉野へ出かけた是則が、見事な白雪を見て詠んだといわれていて、素直な自然への驚きが表されています。
 「吉野」は奈良県にある「吉野山」一帯を指すことが多く、離宮が置かれ、多くの天皇が行幸されています。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「30」

2017年12月21日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「30」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
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和歌番号030 
作者:壬生忠岑
author of waka:TADAMINE NIBU(NIBU NO TADAMINE)

原文
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし
(ありあけの  つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし)

現代訳
あなたと別れたあの時も、有明の月が残っていましたが、(別れの時のあなたはその有明の月のようにつれないものでしたが) あなたと別れてからというもの、今でも有明の月がかかる夜明けほどつらいものはありません。

英訳
I HATE the cold unfriendly moon,
 That shines at early morn;
And nothing seems so sad and grey,
 When I am left forlorn,
 As day's returning dawn.

The writer lived to the age of ninety-nine, and died in the year 965. He was, like the composer of the previous verse, one of the compilers of the Kokinshiu, and was also the father of the author of verse No. 41.

The picture seems to show the poet all alone looking out at the early dawn, but the moon is not visible.

解説
 壬生忠岑(みぶのただみね・生没年不明)は平安前期の代表歌人で、従五位下・安綱の子どもと伝えられています。
 壬生忠岑は『古今集』の選者のひとりで、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりとしても知られていて、勅撰集にも81首が取り上げられています。
 また、忠岑の子どもである壬生忠見も和歌に優れ、こちらも、三十六歌仙のひとりに上げられています。

 壬生忠岑には思いを寄せる女性がいましたが、その女性はほかの人と結婚してしまいました。
 この和歌はその思いを詠ったものと伝えられていますが、 『百人一首』を選んだ藤原定家も、忠岑のこの和歌をほめています。

 ところで、「つれなく見えし」は、何にかかっているのか気になります。
 「月」ならば、「別れを惜しむふたりの上に、つれなく有明の月がかかっている」ということになり、「恋人」なら、「別れるときのあなたはつれないものでしたが (或いは、あなたはつれなく会ってくれなかったが) 、それを有明の月が(無常に)見ていた」というような意味になります。



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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「29」

2017年12月20日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「29」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
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和歌番号029 
作者:凡河内躬恒
author of waka:MITSUNE ŌSHI-KŌCHI(ŌSHI-KŌCHI NO MITSUNE)

原文
心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
(こころあてに をらばやをらむ はつしもの おきまどはせる しらぎくのはな)

現代訳
無造作に折ろうとすれば、果たして折れるだろうか。一面に降りた初霜の白さに、いずれが霜か白菊の花か見分けもつかないほどなのに。

英訳
IT was a white chrysanthemum
 I came to take away;
But, which are coloured, which are white,
 I'm half afraid to say,
 So thick the frost to-day!

Mitsune lived some time in the beginning of the tenth century, and was one of the compilers of Odes Ancient and Modern (the Kokinshiu). The illustration shows him with a boy in attendance, trying to make up his mind which flower he will pick.

解説
 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね / 生没不明)は平安時代前期の人で、寛平、延喜・延長の頃の人と言われています。
 歌人としては紀貫之と並ぶほどで、『古今集』の選者のひとりでもあるほか、藤原公任が選んでいる三十六歌仙の一人でもあります。
 延喜十一年(911年)に和泉の権掾六位となりましたが、詳しいことは伝えられていません。
 しかし、凡河内躬恒の和歌は、勅撰和歌集に200首近くが伝えられていて、特に叙景歌に優れていました。

 凡河内躬恒が和歌のつくりり方を弟子達に教えていた時、庭に咲いている白菊に霜が降りているのを想像して、この和歌をつくってみせたと伝えられていますが、その景色が目に見えるようです。
 実際には、霜と白菊とを見間違うことはないでしょうが、見た感じを巧みに表現していて、白一面の透き通るような情景が感じられます。




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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「28」

2017年12月19日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「28」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号028 
作者:源宗于朝臣
author of waka:THE MINISTER MUNE-YUKI MINAMOTO(MINAMOTO NO MUNE-YUKI ASON)

原文
山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
(やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば)

現代訳
山里はいつの季節でも寂しいが、冬はとりわけ寂しく感じられる。尋ねてくれる人も途絶え、慰めの草も枯れてしまうのだと思うと。

英訳
THE mountain village solitude
 In winter time I dread;
It seems as if, when friends are gone,
 And trees their leaves have shed,
 All men and plants are dead.

The poet was a grandson of the Emperor Kwōkō, and died A.D. 940. The Minamoto family, who sprang from the Emperor Seiwa, who reigned 856-877, was at one time very powerful, and produced many famous men, including Yoritomo, the great founder of the Shōgunate. The Taira family and the Minamotos were the Yorks and Lancasters of mediaeval Japan; but, after thirty years of warfare, Yoritomo finally defeated his rivals in a great battle fought at Dan-no-ura, in the Straits of Shimonoseki, in 1185; the entire Taira family was exterminated, including women and children, and the infant Emperor Antoku. The Minamoto clan themselves became extinct in 1219, when Sanetomo was murdered at Kamakura, as related in the note to verse No. 93.

解説
 源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん・生年不明~天慶2年 / ?~939年)は、光孝天皇の皇子・是忠親王の子どもで、寛平六年に皇族を離れ源姓を賜わりました。
 三河、相模、信濃、伊勢などの国司を歴任し、天慶2年(939年)、正四位下右京大夫となりました。
 源宗于朝臣は三十六歌仙のひとりとして藤原公任が挙げている優れた歌人でもあり、『古今集』などに和歌が残されています。

 この和歌は、山里で暮らす宗于が都の友達を思ってつくられた和歌だと言われていますが、実際は、山里の暮らしを想って詠んだとも言われています。
 また、「山里」は「別荘」を指すこともありますが、「かれぬ」には「枯れる」と「離れる」がかかっていて、人を恋しく思う気持ちがよく伝わってくる和歌になっています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「27」

2017年12月18日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「27」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号027 
作者:中納言兼輔
author of waka:THE IMPERIAL ADVISER KANESUKE(CHŪ-NAGON KANESUKE)

原文
みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ
(みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ)

現代訳
みかの原を湧き出て流れる泉川よ、(その「いつ」という言葉ではないが) その人をいつ見たといっては、恋しく思ってしまう。本当は一度たりとも見たこともないのに。

英訳
OH! rippling River Izumi,
 That flows through Mika plain,
Why should the maid I saw but now
 And soon shall see again
 Torment my love-sick brain?

Kanesuke was a member of the Fujiwara family; he died in the year 933. The River Izumi is in the Province of Yamashiro.

The word-plays in this verse are—Izumi, in the third line, which is imitated in the next line, and Mika, which is also repeated in the third line. The first three lines of this verse, about the river flowing through the plain, form a 'preface', and appear to be inserted merely because itsu miki (when I have seen her) sounds like Izumi.

解説
 中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ・元慶元年~承平3年 /877~933年)は藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)のことで、屋敷が賀茂川の堤にあったことから、堤中納言ともよばれました。
 平安初期の歌人で、藤原冬嗣の孫で、利基の六男にあたります。
 延長八年に中納言となり、 和歌にすぐれ、紀貫之などの歌人とも 親しく交際するなど、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりでもあります。
 中納言兼輔の和歌は、勅撰和歌集などに数多く伝えられています。

 都で若狭守の姫の噂がしきりとされていた頃、兼輔もその噂を聞いて「是非とも会ってみたい」と思い、この和歌が詠まれたと言われています。
 「いづみ川」を「いつ見」にかけているなど、巧みなつくりになっていますが、水が沸き出て流れる様子を詠むことによって、恋心が強くなっていくことをうまく表しています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
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図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「26」

2017年12月17日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「26」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号026 
作者:貞信公
author of waka:PRINCE TEI-SHIN(TEI-SHIN KŌ)

原文
小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ
(をぐらやま みねのもみぢば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなむ)

現代訳
小倉山の峰の美しい紅葉の葉よ、もしお前に哀れむ心があるならば、散るのを急がず、もう一度の行幸をお待ち申していてくれないか。

英訳
THE maples of Mount Ogura,
 If they could understand,
Would keep their brilliant leaves, until
 The Ruler of this land
 Pass with his royal band.

The above is the posthumous name given to Tadahira Fujiwara, Imperial Chief Minister of State; he died about the year 936. It is related that the Emperor Uda, after his abdication, visited Mount Ogura in Yamashiro province, and was so greatly struck with the autumn tints of the maples, that he ordered Tada-hira to invite his son, the Emperor Daigo, to visit the scene; and this verse was the invitation. The picture shows the Emperor with his attendants, and the maples all around him.

解説
貞信公(ていしんこう・元慶4年~天暦3年 / 880~949年)は関白・藤原基経の四男、藤原忠平(ふじわらのただひら)の送号で、兄の時平、仲平とともに「三平」と呼ばれました。
 貞信公は朱雀天皇の即位によって摂政となり、その後太政大臣、関白をつとめた人物で、藤原氏が栄える土台をつくりました。
 兄・時平がはじめた律令の法典「延喜式」を完成させるなど、勤勉で、性格も温厚なので人望が高かったと伝えられています。

 709年の秋、忠平は宇多上皇のお供で小倉山に遊びに出かけましたが、この時、上皇が「我が子の醍醐にも見せてやりたいものだ」と言われたお言葉に対して、この和歌をつくったと伝えられています。




★おススメ本★  

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河出書房新社


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厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「25」

2017年12月16日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「25」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号025 
作者:三条右大臣
author of waka:THE MINISTER-OF-THE-RIGHT OF THE SANJŌ 【DISTRICT OF KYŌTO】(SANJŌ UDAIJIN)

原文
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
(なにしおはば あふさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな)

現代訳
「逢う」という名の逢坂山、「さ寝」という名のさねかずらが、その名に違わぬのであれば、逢坂山のさねかずらを手繰り寄せるように、あなたのもとにいく方法を知りたいものです。

英訳
HEAR thou art as modest as
 The little creeping spray
Upon Mount Ōsaka, which hides
 Beneath the grass; then, pray,
 Wander with me to-day.

The writer's real name was Sadakata Fujiwara, and he died A.D. 932. For an account of the Fujiwara family see verse No. 18. Mount Ōsaka mentioned here is the same place as that referred to in verse No. 10, and when spelled Ausaka it means 'a hill of meeting '. The suggestion is, that if she is really like the creeping vine which grows on Meeting Hill, she will come and meet him.

解説
 三条右大臣(さんじょううだいじん・貞観15年~承平2年 / 873~932年)とは藤原定方(ふじわらのさだかた)のことで、醍醐天皇の時の延長二年(924年)に右大臣となりました。
 屋敷が京都の三条にあったことから、三条右大臣と呼ばれましたが、和歌や音曲にすぐれ、平安時代中期を代表する政治家でもありました。
 三条右大臣のいくつかの和歌は、「後撰和歌集」などに伝えられているほか、中納言朝忠は、定方の子どもになります。

 三条右大臣には好きな女性がいましたが、関係が公になってしまい会えなくなったことから、この和歌が詠まれたと言われています。
 歌のつくりは巧みで、「逢坂山」は「会う」にかけられていて、「さねかずら」には「さ寝(男女が共に寝ること)」がかけられています。




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百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「24」

2017年12月15日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「24」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号024 
作者:菅家
author of waka:KWAN-KE

原文
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに
(このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに)

現代訳
今度の旅は急いで発ちましたので、捧げるぬさを用意することも出来ませんでした。しかし、この手向山の美しい紅葉をぬさとして捧げますので、どうかお心のままにお受け取りください。

英訳
I BRING no prayers on coloured silk
 To deck thy shrine to-day,
But take instead these maple leaves,
 That grow at Tamuké;
 Finer than silk are they.

The name given above means 'A house of rushes' but the poet's real name was Michizane Sugawara; he was a great minister in the Emperor Uda's reign and a learned scholar; his works comprise twelve books of poetry and two hundred volumes of history; he was degraded in A.D. 901, and died two years later, an exile in Kinshū, aged fifty-nine. He is worshipped as Tenjin Sama, the God of Calligraphy, and is a favourite deity with schoolboys.

Nusa are strips of coloured silk or cloth inscribed with prayers, which were presented at temples in the old days. Tamuke-yama no Hachiman, a temple at Nara, is the scene of this verse; it is famous for its maple leaves, and the poet intended to say, that the crimson colour of its own maples was finer than any brocade that he could offer. Another allusion is, that Tamuke-yama, near Nara, means 'The Hill of Offerings'.

解説
 菅家(かんけ・承和12年~延喜3年 / 845~903年)とは菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ )を尊敬したよび方です。
 道真は平安初期の公卿でありましたが、漢学者であり政治家としても活躍しました。
 宇多・醍醐の両天皇に信頼され、元慶元年、文章博士となり、後に右大臣になりましたが、左大臣藤原時平たちの讒言により、大宰権師に左遷され、延喜三年、九州の地で亡くなりました。

 この和歌は898年の秋、道真が宇多上皇のお供して吉野へ行く途中、一行が道祖神への供え物を忘れてきたことに気づき、その時に詠んだ和歌だと伝えられています。
 機知に富んでいるだけでなく、さわやかな気持ちとその雄大さが感じられる和歌になっていますが、つくりも巧みで、「このたびは」は、「この度」と「この旅」がかかっていて、「手向山」も「手向ける」という言葉をかけています。




★おススメ本★  

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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「23」

2017年12月14日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「23」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号023 
作者:大江千里
author of waka:CHISATO ŌYE(ŌYE NO CHISATO)

原文
月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
(つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど)

現代訳
秋の月を眺めてていると、様々と思い起こされ物悲しいことです。秋はわたしひとりだけにやって来たのではないのですが。

英訳
THIS night the cheerless autumn moon
 Doth all my mind enthrall;
But others also have their griefs,
 For autumn on us all
 Hath cast her gloomy pall.

Chisato Ōye is said to have lived about the end of the ninth century; he was the son of a Councillor, and a very fertile poet. He was also famous as a philosopher, and acted as tutor to the Emperor Sei-wa, who reigned A.D. 859-876.

解説
 大江千里(おおえのちさと/生没年不明)は平安時代初期、宇多天皇の頃の漢学者で、参議・大江音人の子どもです。
 歌人として有名な在原業平、行平は大江千里の叔父にあたるといわれています。

 元慶三年・兵部大丞になっていますが、師の菅原是善と共に「貞観格式」を共撰したりしています。
 また、大江千里の和歌は「古今和歌集」に10首、勅撰和歌集などに25首が伝わっているほか、寛平6年、自分の歌を集めた「句題和歌(大江千里集)」を宇多天皇に献上しています。

 この和歌は自然の情景を詠んだものですが、秋の夜のもの寂しさがとてもよく伝わってきます。
 「月」と「わが身」、「ちぢ(千々)」と「ひとつ」を対比させているつくりも巧みで、秋を代表する和歌として、長く親しまれている歌のひとつです。




★おススメ本★  

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百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
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これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

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王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「22」

2017年12月13日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「22」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号022 
作者:文屋康秀
author of waka:YASUHIDE BUNYA(BUNYA NO YASUHIDE)

原文
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ
(ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ)

現代訳
山風が吹きおろしてくると、たちまち秋の草や木が萎れてしまうので、きっと山風のことを「嵐(荒らし)」いうのだろう。

英訳
THE mountain wind in autumn time
 Is well called 'hurricane';
It hurries canes and twigs along,
 And whirls them o'er the plain
 To scatter them again.

This well-known writer lived in the ninth century, and was the father of Asayasu, who composed verse No. 37; he was also Vice-Director of the Imperial Bureau of Fabrics.

The point of this verse lies in the ideographic characters of the original; yama kaze (mountain wind) being written with two characters, which, when combined, form arashi (hurricane), and this, of course, it is quite impossible to reproduce correctly in the translation. The picture shows the wind blowing down from the mountain behind the poet and waving his sleeves about.

解説
 文屋康秀(ぶんやのやすひで/生没年不明)は平安時代初期の人で、貞観二年(860年)刑部中判事、陽成天皇の時の元慶元年(877年)山城大掾、同三年、縫殿の肋に任ぜられた事などが伝えられていますが、詳しいことは分かっていません。
 しかし、文屋康秀は歌人としては有名で、在原業平や小野小町たちとともに紀貫之が選んだ六歌仙のひとつりに数えられています。

 平安時代には、漢字を分ける言葉遊びの和歌が流行りましたが、この和歌はそういう面白さを詠ったもので、「あらし(嵐)」を「山」と「風」に別けて、詠み込んでいます。
 また、「あらし」に「(風)が荒らし」をかけていて、自然の風情を巧みに表しています。




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王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

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