魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「21」

2017年12月12日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「21」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号021 
作者:素性法師
author of waka:THE PRIEST SOSEI(SOSEI HŌSHI)

原文
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
(いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな)

現代訳
「今すぐに行きましょう」とあなたがおっしゃったので、(その言葉を信じて) 九月の長い夜を待っていましたが、とうとう有明の月が出る頃を迎えてしまいました。

英訳
THE moon that shone the whole night through
 This autumn morn I see,
As here I wait thy well-known step,
 For thou didst promise me—
 'I'll surely come to thee.'

Sosei is supposed to have been the son of Bishop Henjō, the writer of verse No. 12, born before the latter entered the church, about the year 850. His name as a layman was Hiro-nobu Yoshi-mine, and he became abbot of the Monastery of Riyau-inwin at Isono-kami, in the Province of Yamato.

解説
 素性法師(そせいほうし/生没年不明)は僧正遍昭の子どもで、俗名を良岑玄利(よしみねのはるとし)といいます。
 清和天皇に仕え、左近将監になりましたが、父の勧めによって出家しました。
 京都の雲林院に住んでいましたが、寛平八年(896年) 宇多天皇の雲林院行幸のとき、権律師に任ぜられました。
 素性法師は藤原公任の選んだ三十六歌仙の一人として数えられている素晴らしい歌人ですが、書家としても優れていたと伝えられています。

 この和歌は恋の和歌で、せつない恋心がよく伝わってきますが、素性法師は、女性の立場になってこの歌を詠んでいます。
 「今来むと」とは「すぐに来る」という意味ですが、この頃は男性が女性の元へ通うのが普通でしたから、男性の立場なら「今行く」と詠まれるように思います。
 しかし、当時は女性の立場になって歌を詠むことも、和歌の遊びとして楽しまれていたようで、この歌も、そのような立場で詠まれています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「20」

2017年12月11日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「20」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号020 
作者:元良親王
author of waka:THE HEIR-APPARENT MOTO-YOSHI(MOTO-YOSHI SHINNŌ)

原文
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ
(わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ)

現代訳
あなたにお逢いできなくて) このように思いわびて暮らしていると、今はもう身を捨てたのと同じことです。いっそのこと、あの難波のみおつくしのように、この身を捨ててもお会いしたいと思っています。

英訳
WE met but for a moment, and
 I'm wretched as before;
The tide shall measure out my life,
 Unless I see once more
 The maid, whom I adore.

The composer of this verse was the son of the Emperor Yōzei, who reigned A.D. 877-884; he was noted for his love-affairs, and he died in the year 943.

Mi wo tsukushite mo means 'even though I die in the attempt', but miotsukushi is a graduated stick, set up to measure the rise and fall of the tide; and Naniwa, the modern seaport of Osaka, seems to have been inserted chiefly as the place where this tide-gauge was set up. The poet may have meant, that the river of his tears was so deep as to require a gauge to measure it; or, as Professor MacCauley reads it, he was hinting, that if he could not attain his ends his body would be found at the tide-gauge in Naniwa Bay. The picture seems to show the poet on the verandah and his lady-love looking through the screen.

解説
 元良親王(もとよししんのう・寛平2年~天慶6年 / 890~943年)は陽成天皇の第一皇子で、和歌の才能にすぐれ、情熱的な和歌を詠む歌人として知られています。
 「後撰和歌集」に多くの和歌が伝えられている他、「今昔物語集」や「徒然草」などにも元良親王の逸話が残されています。
 天慶六年に五十四歳で歿、兵部郷であったので三品兵部郷とも呼ばれました。

 元良親王は宇多上皇の后・京極御息所と愛し合っていましたが、ふたりの間は宇多上皇の知るところとなり引き裂かれてしまいます。
 この和歌は、元良親王が「もう一度お会いしたい」と思って、自らの恋心を詠んだ和歌だと言われていますが、後半部では、激しい決意が表されています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「19」

2017年12月10日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「19」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号019 
作者:伊勢
author of waka:THE PRINCESS ISE(ISE)

原文
難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
(なにはがた みじかきあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや)

現代訳
難波潟の入り江に茂っている芦の、短い節と節の間のような短い時間でさえお会いしたいのに、それも叶わず、この世を過していけとおっしゃるのでしょうか。

英訳
SHORT as the joints of bamboo reeds
 That grow beside the sea
On pebble beach at Naniwa,
 I hope the time may be,
 When thou ’rt away from me.

The Princess Ise was the daughter of Tsugukage Fujiwara, the Governor of the Province of Ise; hence her name. She lived at the Imperial Court, and was the favourite maid of honour of the Emperor Uda, who reigned A.D. 888-897. She was noted for her talents and gentle disposition, and was the mother of Prince Katsura. Naniwa is the old name of Osaka. The picture shows the Princess on the pebble beach at Naniwa, and to the left are the bamboo reeds.

解説
 伊勢(いせ・貞観17年頃~天慶元年頃 / 875?~938年?)は平安時代初期の人で、伊勢守・藤原継蔭の娘で、宇多天皇の后・温子様に女官として仕えていました。
 後に天皇の寵愛をうけて御息所(みやすんどころ)とも呼ばれました。

 伊勢は皇子を出産しましたが、敦慶親王や后の弟である藤原仲平にも愛されるなど、伊勢は容貌や心情の美しい女性だと伝えられているだけでなく、和歌にも優れ、藤原公任が選んだ三十六歌仙の一人にも数えられています
 小野小町に次ぐ女流歌人として、「古今集」などの勅撰集にその和歌が伝えられていますが、娘の中務も伊勢の才能を受け継ぎ、三十六歌仙に名を残しています。

 伊勢は仲平と愛し合っていましたが、仲平は心を移していて「忙しくてお会いすることができません」というような手紙を出しました。
 この和歌は、その手紙に対して詠まれたものだと言われていますが、伊勢の素直な胸の内がよく伝わってきます。
 自然の情景を詠んだ前半部と、自分の気持ちを詠んだ後半部とを、「節の間」で巧みにつなぎ合わせていて、激しい恋心を詠んでいるにもかかわらず、その切なさが感じられる和歌になっています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「18」

2017年12月09日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「18」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号018 
作者:藤原敏行朝臣
author of waka:THE MINISTER TOSHI-YUKI FUJIWARA(FUJIWARA NO TOSHI-YUKI ASON)

原文
住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ
(すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ)

現代訳
住の江の岸に打ち寄せる波のように (いつもあなたに会いたいのだが)、 どうして夜の夢の中でさえ、あなたは人目をはばかって会ってはくれないのだろう。

英訳
TO-NIGHT on Sumi-no-ye beach
 The waves alone draw near;
And, as we wander by the cliffs,
 No prying eyes shall peer,
 No one shall dream we're here.

Toshi-yuki, who lived A.D. 880-907, was an officer of the Imperial Guard, and a member of the great and influential Fujiwara family. This family rose into power in the reign of the Emperor Tenchi, and became almost hereditary ministers-of-state. For a long period the Emperors chose their wives from this family only, and to this day a large number of the Japanese nobility are sprung from the same stock. Sumi-no-ye, or Sumi-yoshi, is in the Province of Settsu, near Kobe.

Note the word yoru used twice in the first instance as a verb, meaning 'to approach' and in the next line meaning 'night'. The illustration shows Toshi-yuki walking on the beach, and evidently waiting for the lady to join him.

解説
 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん・? ~902,907?)は、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の五朝に仕えていますが、陸奥出羽の按察使・富士麻呂の子とも言われています。

 藤原敏行は藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりに名前が挙げられていて、平安時代の優れた歌人で、『古今集』にある「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」もよく知られている和歌のひとつです。

 また、藤原敏行は歌人であると同時に書道にも優れ、空海に並ぶと言われるほどの書道の大家でもありました。
 世俗の身でありましたが、(書をよくしたので)「請われるままに写経をしたので地獄に送られた」などという話も、「今昔物語」や「宇治拾遺集」に残されています。

 この和歌は敏行の恋心を詠ったものですが、御所で開かれた歌会の折、思いを寄せる女性を思い出して詠まれたと言われています。
 「人目よくらむ」は「人目を避けようとしている」というような意味ですが、この主語は明記されていないので、「私」とも「あなた」とも取れるつくりになっています。
 「私」を主語としたなら、「夢の中でさえ、人目をはばかってしまう(気の弱い)わたし」というようにも解釈できます。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「17」

2017年12月08日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「17」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号017 
作者:在原業平朝臣
author of waka:THE MINISTER NARI-HIRA ARIWARA(ARIWARA NO NARI-HIRA ASON)

原文
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
(ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは)

現代訳
(川面に紅葉が流れていますが)神代の時代にさえこんなことは聞いたことがありません。竜田川一面に紅葉が散りしいて、流れる水を鮮やかな紅の色に染めあげるなどということは。

英訳
ALL red with leaves Tatsuta's stream
 So softly purls along,
The everlasting Gods themselves,
 Who judge 'twixt right and wrong,
 Ne'er heard so sweet a song.

The writer, who lived A.D. 825-880, was the grandson of the Emperor Saga, and was the Don Juan of Old Japan; he was banished because of an intrigue he had with the Empress, and his adventures are fully related in the Ise-Monogatari. The Tatsuta stream is not far from Nara, and is famous for its maples in autumn. Chi haya furu, literally 'thousand quick brandishing (swords)', is a 'pillow-word', or recognized epithet, for the Gods, and almost corresponds to Virgil's Pious Æneas, and Homer's 'Odysseus, the son of Zeus, Odysseus of many devices'. It may be noted that these 'pillow-words' only occur in the five-syllable lines, never in the longer lines.

In the picture we see the poet looking at a screen, on which is depicted the river with the red maple leaves floating on it.

解説
 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん・天長2年~元慶4年 / 825~880年)は「在五中将」などともよばれ、兄の行平と共に平安時代を代表する歌人です。
 紀貫之が選んだ六歌仙のひとりとして、また、藤原公任の選んだ三十六歌仙のひとりとしても名前が挙げられている素晴らしい歌人です

 平城天皇の皇子、阿保親王の第五子で、『伊勢物語』の主人公のモデルだとも言われています。
 藤原氏の権力のため生涯不遇でしたが、「古今」、「後撰」、「拾遺」、「新古今」など、多くの勅撰集に和歌が残されています。

 ある時、業平は清和天皇の女御の高子様に招かれてお屋敷を訪ねましたが、(高子様は天皇にお仕えする前に業平と愛し合っていたので) 「屏風にわたしたちの恋を和歌にして書いてください」と願われて、この和歌をつくったと伝えられています。

 在原業平の心内が見えるような見事な和歌ですが、「古今集」では、屏風に描かれた竜田川の秋の情景を見ながら、この歌を詠んだとされています。
 「水くくる」の「くくる」は「くくり染め」のことで、紅葉が、水面に鮮やかな模様を描いている様が目に見えるようです。



★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「16」

2017年12月07日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「16」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号016 
作者:中納言行平
author of waka:THE IMPERIAL ADVISER YUKI-HIRA ARIWARA(CHŪ-NAGON ARIWARA NO YUKI-HIRA)

原文
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む
(たちわかれ いなぱのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ)

現代訳
あなたと別れて(因幡の国へ)行くけれども、稲葉の山の峰に生えている松のように、あなたが待っていると聞いたなら、すぐにも都に帰ってまいりましょう。

英訳
IF breezes on Inaba's peak
 Sigh through the old pine tree,
To whisper in my lonely ears
 That thou dost pine for me,—
 Swiftly I'll fly to thee.

Yuki-hira was the Governor of the Province of Inaba, and half-brother of the writer of the next verse (17); he died in the year 893, aged 75.

The word matsu in the original may mean 'a pine tree', but it may also mean 'waiting and longing for'. This is an instance of a 'pivot-word', imitated to a certain extent in the translation, although in English we have to employ the word twice over, while it only appears once in the Japanese.

The illustration shows the pine tree on the mountain, and the poet standing under it with two attendants.

解説
 中納言行平とは平安初期の貴族・在原行平(ありわらのゆきひら・弘仁9年~寛平5年 / 818~893年)のことで、阿保親王(平城天皇の皇子)の第二子で、在原業平の兄にあたります。

 勅撰歌人として「古今和歌集」に優れた和歌を残し、業平と共に文学に優れた才能を示しました。
 また、太宰権師となって官僚としても功績をあげ、 中納言から正三位民部卿にまで上りましたが、藤原氏の勧学院にならって、一門の学問所・奨学院なども創設しています。

 一方、行平は後年、須磨に流されたとも言われていて、「源氏物語」の「須磨」のモデルだとも言われています。
 謡曲「松風」では、須磨にある行平は松風と村雨という姉妹を愛するという物語になっています。

 行平は、三十八歳のとき因幡の国(鳥取県)の国司に任命されましたが、この和歌は、その時に別れを惜しんで恋人に贈った和歌だと言われています。
 「まつとし聞かば」の「まつ」は、「松」と「待つ」のふたつの意味をかけていて、自然の情景と出立する素直な心内を、機知のある表現で詠んでいます。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「15」

2017年12月06日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「15」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号015 
作者:光孝天皇
author of waka:THE EMPEROR KWŌKŌ(KWŌKŌ TENNŌ)

原文
君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ
(きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ)

現代訳
あなたのために春の野に出て若菜を摘んでいましたが、春だというのにちらちらと雪が降ってきて、私の着物の袖にも雪が降りかかっています。 (それでも、あなたのことを思いながら、こうして若菜を摘んでいるのです)

英訳
MOTHER, for thy sake I have been
 Where the wakana grow,
To bring thee back some fresh green leaves
 And see—my koromo
 Is sprinkled with the snow!

Kwōkō was raised to the throne by the Fujiwara family, when the mad Emperor Yōzei was deposed; he reigned A.D. 885-887, and is said to have composed this verse in honour of his grandmother.

Wakana, literally 'young leaves', is a vegetable in season at the New Year; a koromo is really a priest's garment, but is used here for the Emperor's robe.

In the picture we see the Emperor gathering the fresh green leaves, and the snow falling from the sky.

解説
 光孝天皇(こうこうてんのう・天長7年~仁和3年 / 830~887年)は、五十五歳のとき陽成天皇にかわり、第58代天皇として即位されましたが、わずか在位四年で崩御なされました。
 仁明天皇の第三皇子で、「仁和の帝」、「小松の帝」とも呼ばれ、幼き頃より学問好きで聡明であったことは『大鏡』にも記されています。
 優れた文化人であると共に、和歌や和琴などにもよく通じておられました。

 光孝天皇は、即位後も野草を摘みに出かけるように気さくなお人柄でした。
 この和歌はその時に詠まれた和歌だと伝えられていますが、まだ皇子だった頃、人に若菜を贈る時に添えた歌だとも言われています。
 しかし、いずれにしても情景が素直に詠まれていて、光孝天皇の心の優しさも伝わってくる歌になっています。

 ところで、「若菜」は春に採れる食用の草のことで、この時期の七草の初芽を食べると万病によいとされていて、今の七草粥の起源になっています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「14」

2017年12月05日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「14」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号014 
作者:河原左大臣
author of waka:THE MINISTER-OF-THE-LEFT OF THE KAWARA【DISTRICT OF KYŌTO】(KAWARA NO SADAIJIN)

原文
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに
(みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに)

現代訳
奥州のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心も(恋のために)乱れていますが、いったい誰のためにこのように思い乱れているのでしょう。 (きっとあなたの所為に違いありません)

英訳
AH! why does love distract my thoughts,
 Disordering my will!
I'm like the pattern on the cloth
 Of Michinoku hill,—
 All in confusion still.

The old capital of Kyōto was divided into right and left districts, and the above is only an official title; the poet's name was Tōru Minamoto, and he died in the year 949. At Michinoku, in the Province of Iwashiro, in old times a kind of figured silk fabric was made, called moji-zuri, embroidered with an intricate pattern, which was formed by placing vine leaves on the material, and rubbing or beating them with a stone until the impression was left on the silk. There is a hill close by, called Mount Shinobu, and a small temple, called Shinobu Moji-zuri Kwannon. Shinobu can also mean 'a vine', 'to love', or to 'conceal (my love)'. The meaning of this very involved verse appears to be, that his thoughts are as confused with love as the vine pattern on the embroidered fabric made at Mount Michinoku. The picture seems to show the lady with whom the poet was in love.

解説
 河原左大臣(かわらのさだいじん・弘仁13年~寛平7年 / 822~895年)は源 融(みなもとのとおる)のことで、元は嵯峨天皇の皇子でしたが、皇族をはなれて源の姓を名乗りました。
 貞観十四年(872)に左大臣となり、京都六条の河原院に住んだことから、河原左大臣と呼ばれるようになりました。
 融は宇治と嵯峨に別荘を持っていましたが、宇治の邸は融がなくなった後、藤原道長の別荘となり、その子の関白・藤原頼通が寺に改めたのが平等院です。

 河原左大臣はある日恋人から届いた手紙の返事として、この和歌をつくったと言われていますが、恋に悩む心のうちが目に見えるようです。
 「しのぶもぢずり」は忍び草を用いた乱れ模様の布のことですが、これによって、心の乱れが目に見える形で詠まれていますが、結句の「我ならなくに(私のせいではなく)」によって、和歌に余情をもたせています。


★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「13」

2017年12月04日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「13」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号013 
作者:陽成院
author of waka:THE RETIRED EMPEROR YŌZEI(YŌZEI IN)

原文
筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
(つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる)

現代訳
筑波山の峯から流れてくるみなの川も、(最初は小さなせせらぎほどだが)やがては深い淵をつくるように、私の恋もしだいに積もり、今では淵のように深いものとなってしまった。

英訳
THE Mina stream comes tumbling down
 From Mount Tsukuba's height;
Strong as my love, it leaps into
 A pool as black as night
 With overwhelming might.

It was a frequent custom in the old days for the Emperors of Japan to retire into the church or private life, when circumstances demanded it. The Emperor Yōzei, who was only nine years of age when he came to the throne, went out of his mind, and was forced by Mototsune Fujiwara to retire; he reigned A.D. 877-884, and did not die till the year 949. The verse was addressed to the Princess Tsuridono-no-Miko. Mount Tsukuba (2,925 feet high) and the River Mina are in the Province of Hitachi.

Koi here means the dark colour of the water from its depth, but it also means his love, and is to be understood both ways. Note also mine, a mountain peak, and Mina, the name of the river.

解説
 陽成院(ようぜいいん・貞観10年~天暦3年 / 868~949年)は清和天皇の第一皇子で、貞観十九年(877年)、十歳のときに第五十七代天皇として即位されましたが、病気などのため、わずか十五才(或いは十七才)で廃位され、皇位を孝徳天皇に譲られました。

 また、百人一首・第20番を詠まれた元良親王(もとよししんのう)は陽成天皇の第一皇子ですが、退位して上皇となられた陽成院は、孝徳天皇の内親王に恋をしていたと言われていて、この和歌はその恋心を詠ったものと伝えられています。

 筑波山は恋の歌に取り上げられることの多い題材ですが、この和歌では、そこから流れ出るみなの川を取り上げています。
 その様子は、小さな恋心が、やがては大きく育っていく様のようで、自然の姿をうまく重ねた、作者の深い思いが伝わってきます。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「12」

2017年12月03日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「12」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号012 
作者:僧正遍昭
author of waka:BISHOP HENJŌ(SŌJŌ HENJŌ)

原文
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ
(あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ)

現代訳
空吹く風よ、雲の中にあるという(天に通じる)道を吹いて閉じてくれないか。(天に帰っていく)乙女たちの姿を、しばらくここに引き留めておきたいから。

英訳
OH stormy winds, bring up the clouds,
 And paint the heavens grey;
Lest these fair maids of form divine
 Should angel wings display,
 And fly far far away.

The poet's real name was Munesada Yoshimune, and he was the great-grandson of the Emperor Kwammu. On the death of the Emperor Nimmyō, to whom he was much devoted (A.D. 850), he took holy orders, and in the year 866 was made a bishop. He died in the year 890, at the age of seventy, from being buried, by his own wish, in a small stone tomb covered with soil, with only a small pipe leading from his mouth to the open air; he remained thus, until hunger and exhaustion put an end to his life. He is said to have composed the above verse, before he entered the priesthood, on seeing a dance of some maidens at a Court entertainment; he pretends that the ladies are so beautiful that they can be nothing less than angels, and he is afraid they will fly away, unless the wind will bring up the clouds to bar their passage. In the picture he is shown with two acolytes, apparently addressing the wind.

解説
 僧正遍昭(そうじょうへんじょう・弘仁7年~寛平2年 / /816~890年)は、俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、紀貫之が選んだ六歌仙のひとりに挙げられているだけでなく、藤原公任が選んだ三十六歌仙にも名前がある優れた歌人でもありました。
 桓武天皇の子どもである大納言・良岑安世の八男で、百人一首21番・素性法師は僧正遍昭の子どもでもあります。

 仁明天皇に仕え、蔵人頭、左近衛少将となりましたが、宗貞三十五歳のとき、天皇が崩御なされた時、世をはかなんで、叡山にのぼり出家しました。

 この和歌は、遍照がまだ仁明天皇に仕えていた頃、宮中で「五節の舞(毎年十一月に行われる儀式での踊り)」を見て作られたものと言われています。
 五節の舞は、かつて天武天皇が吉野に行幸していたとき、夕暮れ時に、天皇が奏でる琴の調べを聞いた天女たちが、天から舞い降り、その調べに合わせて舞を舞ったというのが起源とされています。
 この五節の舞に合わせて詠まれた歌は、美しい乙女たちが舞う姿を天女に例え、とても趣のある和歌になっています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「11」

2017年12月02日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「11」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号011 
作者:参議篁
author of waka:THE PRIVY COUNCILLOR TAKAMURA(SANGI TAKAMURA)

原文
わたの原 八十島かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶね
(わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね)

現代訳
(篁は)はるか大海原を多くの島々目指して漕ぎ出して行ったと、都にいる親しい人に告げてくれないか、そこの釣舟の漁夫よ。

英訳
OH! Fishers in your little boats,
 Quick! tell my men, I pray,
They'll find me at Yasoshima,
 I'm being rowed away
 Far off across the bay.

Takamura, a well-known scholar, rose from poverty to riches on being appointed a Custom-house officer for the ships trading to and from China. His enemies reported him to the Emperor as an extortioner and a thief, and he was deported to Yasoshima, a group of small islands off the coast; he is said to have composed this song and sung it to the fishing-boats, as he was being carried off. He was afterwards pardoned and reinstated, dying in the year 852.

解説
 参議篁(さんぎたかむら・延暦21年~仁寿2年 / 802~852年)は参議・小野岑守の子どもで、小野篁といいます。
 子どもの頃は弓馬を好んでいましたが、後に学問転じて、漢詩文などで名を上げました。
 和歌にも優れた平安初期の学者で、同時代の在原業平と共に、参議篁は高い評価を受けています。

 また、承和三年、篁は遣唐副使に任ぜられましたが、訳あって、大使・藤原常嗣と争って乗船しなかったため、隠岐の島に流罪になりました。
 その後許されて参議にすすみましたが、参議は、太政官の大納言、中納言に次ぐ役職で、「宰相」などとも呼ばれていました。

 この和歌は、隠岐に流罪になって送られていく途中、出会った漁夫の釣り舟を見てつくった和歌だと言われています。
 結句の「あま(海人)のつりぶね」では、人にではなく、釣り船に語りかけていますが、これによって、歌全体に哀しい孤独感が漂っていて、これからの暮らしや境遇に対しての篁の決意が、よく伝わってくる和歌となっています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「10」

2017年12月01日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「10」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号010 
作者:蝉丸
author of waka:SEMI MARU

原文
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関
(これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき)

現代訳
これがあの有名な、(東国へ)下って行く人も都へ帰る人も、ここで別れてはまたここで会い、知っている人も知らない人も、またここで出会うという逢坂の関なのだなあ。

英訳
THE stranger who has travelled far,
 The friend with welcome smile,
All sorts of men who come and go
 Meet at this mountain stile,—
 They meet and rest awhile.

Semi Marti is said to have been the son of the Emperor Uda, who reigned A.D. 888-897. He became blind, and so, being unable to ascend the throne, he retired to a hut on the hills, near to a barrier gate, and amused himself with his guitar. The translation does not fully reproduce the antithesis of the original—'this or that man, people coming and going, long lost friends and strangers'. The last line is literally 'the barrier on the mountain road of meeting'; and Ōsaka no Seki, as the name is now spelled, a small hill on the edge of Lake Biwa, not far from Kyōto, is the site commemorated in this verse.

解説
 蝉丸(せみまる)は平安時代初期の人ですが、生まれた年など、詳しいことは分かっていません。
 『今昔物語』巻二十四によると、蝉丸は宇多天皇の皇子・敦実親王に仕える官位の低い官僚で、のちに逢坂山に住んだと記されています。
 盲目であったとも言われていますが、和歌に優れると共に、琵琶の名手でもあったと伝えられていて、浄瑠璃や歌舞伎などでも、蝉丸を題材にしたものが伝えられています。

 この和歌は、蝉丸があふ坂(逢坂)の関で互いにすれ違い別れていく人たちを見てつくった和歌だと言われていますが、人と人との出会いと別れの機微が、とてもうまく表現されています。

 また、「あふ坂(逢坂)の関」の「あふ」は前の句の「別れては」にかけていて、「行く」・「帰る」、「知る」・「知らぬ」といずれも対になっていますが、「も」の繰り返しで、和歌全体の調子をうまく整えています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「9」

2017年11月30日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「9」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号009 
作者:小野小町
author of waka:KOMACHI ONO(ONO NO KOMACHI)

原文
花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに
(はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに)

現代訳
花の色もすっかり色あせてしまいました。降る長雨をぼんやりと眺めいるうちに。
(わたしの美しさも、その花の色のように、こんなにも褪せてしまいました)

英訳
THE blossom's tint is washed away
 By heavy showers of rain;
My charms, which once I prized so much,
 Are also on the wane,
 Both bloomed, alas! in vain.

The writer was a famous poetess, who lived A.D. 834-880. She is remembered for her talent, her beauty, her pride, her love of luxury, her frailty, and her miserable old age. The magic of her art is said to have overcome a severe drought, from which the country suffered in the year 866, when prayers to the Gods had proved useless.

The first and last couplets may mean either 'the blossom's tint fades away under the continued downpour of rain in the world', or 'the beauty of this flower (i.e. herself) is fading away as I grow older and older in this life'; while the third line dividing the two couplets means, that the flower's tint and her own beauty are alike only vanity. This verse, with its double meaning running throughout, is an excellent example of the characteristic Japanese play upon words.

解説
 小野小町(おののこまち・生没年不明) は平安時代のはじめ、文徳、清和天皇の頃の人で、女官として宮廷に仕えていたと伝えられています。
 参議篁の孫であるとも、小野良貞の良人であるとも言われていますが、小野小町は和歌にもすぐれ、紀貫之が選んだ六歌仙や、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりにも数えられていて、優れた歌人でもありました。

 また、現代でも「小野小町」といえば美人の代名詞のように使われていますが、その美しさは着物を通して輝いていたと言われるほどで、小野小町には様々な伝説が伝えられているほか、謡曲や戯曲、歌舞伎などの題材にもなっています。

 ところで、小野小町は在原業平(ありわらのなりひら)のことが好きでしたが、業平はそのことに気づきませんでした。
 この和歌はそのことを嘆いてつくった和歌だと言われていますが、花を喩えに、恋心を巧みに表現しています。

 また、「いたづらに」の句が上の句にかかるとすれば、「いつの間にか、花の色も変わってしまった」ととらえることができますが、下の句にかかると解釈すれば、「空しく過ごしているうちに」というようにも取ることができます。
 このように、上の句と下の句を曖昧につなぐことで、歌全体にいっそうの趣が加えられています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「8」

2017年11月29日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「8」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号008 
作者:喜撰法師
author of waka:THE PRIEST KIZEN(KIZEN HŌSHI)

原文
わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
(わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり)

現代訳
私の草庵は都の東南にあって、そこで静かにくらしている。しかし世間の人たちは(私が世の中から隠れ)この宇治の山に住んでいるのだと噂しているようだ。

英訳
MY home is near the Capital,
 My humble cottage bare
Lies south-east on Mount Uji; so
 The people all declare
 My life's a 'Hill of Care'.

The priest Kizen lived on Mount Uji, which lies south-east of Kyōto, at this time the Capital. The word uji or ushi means 'sorrow'; so he says that, as he lives on Mount Sorrow, his friends say his life is 'a mountain of sorrows '. Notice also the two words yama to in the fourth line, which, if read as one word, form the ancient name of Japan. In the picture we see the priest sitting alone in his little hut, his poverty being shown by the patches on the roof.

解説
 喜撰法師(きせんほうし)は、 僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、小野小町、大伴黒主などと共に、紀貫之が選んだ六歌仙のひとりにあげられてる優れた歌人でもありました。
 しかし、平安時代のはじめ頃の人だと伝えられていますが、生没年など、喜撰法師の詳しいことは分かっていません。
 出家して真言宗の僧となり、山城国(京都府)の乙訓郡(宇治あたり)に住んでいたと言われていて、「基泉」とか「撰喜」などとも表記されることがあるようです。
 また、有名な歌人なのですが、喜撰法師が詠んだと言われている歌の中では、この一首だけが、確実に本人の作だとも言われています。

 あるとき都で「喜撰法師は失恋したので宇治の山で暮らしている」という噂がたちましたが、この和歌は、その時に都の人に届けた和歌だと言われています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「7」

2017年11月28日 | 百人一首
百人一首の和歌の原文・現代訳・英訳を紹介します。「7」

※英訳については、1909年にWilliam N. Porterが書いた百人一首の本
『A HUNDRED VERSES FROM OLD JAPAN』を参照しています。

和歌番号007
作者:阿倍仲麻呂
author of waka:NAKAMARO ABE(ABE NO NAKAMARO)

原文
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも)

現代訳
大空を振り仰いで眺めると、美しい月が出ているが、あの月はきっと故郷である春日の三笠の山に出た月と同じ月だろう。(ああ、本当に恋しいことだなあ)

英訳
WHILE gazing up into the sky,
 My thoughts have wandered far;
Methinks I see the rising moon
 Above Mount Mikasa
 At far-off Kasuga.

The poet, when sixteen years of age, was sent with two others to China, to discover the secret of the Chinese calendar, and on the night before sailing for home his friends gave him a farewell banquet. It was a beautiful moonlight night, and after dinner he composed this verse. Another account, however, says that the Emperor of China, becoming suspicious, caused him to be invited to a dinner at the top of a high pagoda, and then had the stairs removed, in order that he might be left to die of hunger. Nakamaro is said to have bitten his hand and written this verse with his blood, after which he appears to have escaped and fled to Annam. Kasuga, pronounced Kasunga, is a famous temple at the foot of Mount Mikasa, near Nara, the poet's home; the verse was written in the year 726, and the author died in 780.

解説
 阿部仲麻呂(あべのなかまろ/大宝元年~宝亀元年 / 701~770年)は大和の国に生まれ、若くして優れた学才を現し、仲麻呂十六才の時に遣唐使・多治比県守に従って、留学生として唐に渡りました。

 玄宗皇帝に仕え、李白や王維らの著名人と交際し、文名が高かったと伝えられています。
 三十年近くの滞在の後、仲麻呂が五十一歳の時、宗皇帝に帰国を願い出て帰路に着きましたが、その途中で嵐にあい安南に辿り着きました。
 阿部仲麻呂は後に再び長安に帰り、唐の地で亡くなりました。

 この和歌もよく知られているもののひとつですが、仲麻呂の帰国を祝って、明州(現・ニンポー)の町で宴会が開かれた時に詠まれたものだと伝えられています。
 広い夜空の情景に浮かんだ月を介して、阿部仲麻呂の故郷への思いがとてもよく表現されていますが、この歌は、藤原公任(きんとう)の「和漢朗詠集」などにも収録されていて、自然の情景と人の情念が見事に詠まれています。




★おススメ本★  

A Hundred Verses from Old Japan: Being a Translation of the Hyaku-Nin-Isshiu
Tuttle Pub


図説 百人一首 (ふくろうの本/日本の文化)
河出書房新社


百人一首の歌人列伝(業平、定家に西行…人気二十歌人の面白エピソードと代表歌を知ろう! )
歌林苑


本書は「平成和歌所」のウェブコンテンツ「一人十首の歌人列伝」を再編集したものです。
http://wakadokoro.com/

厳選した百人一首歌人の「おもしろエピソード」と「十首の秀歌」を分かりやすく解説した読み物は、幅広い層の和歌ファンに人気を博しました。
これを読めば「はるか昔にいた正体不明のオジサン」だった歌人たちが、グッと身近に感じられることでしょう。

そして本書を読み終わった後、あらためて百人一首を一番から眺めてみてください。
王朝の歴史絵巻が紐解かれ、つまらなかったあの百首歌たちが息吹を宿し、断然おもしろく感じられるはずです。

※読みやすい文字サイズ&文章で、約200ページがあっという間に読み終わります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする