「論」ブログヨシ樹

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続・24歳ホームレス女子

2021年04月12日 | 社会観


めるさん


以下の記事は、わたしの書いた「24歳ホームレス女子」という記事についての盟友ハタボーさんのコメントと、それについてのわたしのコメントを併せてひとつの記事にしたものです。以下は当ブログのコメント欄にすでに掲載されていますが見落としたり何らかの事情で読まなかったりする読者のために、わたしとハタボーさんのコメントを丸々一つの記事として公開する次第です。タイトルは「続・24歳ホームレス女子」とさせていただきました。


Unknown (ハタボー)

 久しぶりにコメントさせていただきます
 いい文章でした 全くもって同感です
 今回のコロナ禍でこういう窮状の方達が政府発表以上、多数おられると聞き及びました
 ひとつだけ 昔を嗤い、侮蔑する人は単純に昔を知らないのではないでしょうか 
 つまり生まれた時からハイテクに囲まれて育った人にはもう既に便利な世の中が訪れているわけですから、不便で手間隙がかかるアナログ形式は想像すらつかない
 田舎に帰省した際、畑の農産物や花にじょうろで水撒きをするのですが、これかなり時間がかかります ひどいときには二時間
 でもこれが楽しい 時間をかけるということはそれだけ植物のことを考え、思いやる時間となります
 時短も時には必要です が本当に大切でこころを込めて行う行為は手間隙がかかります
 手間隙をかけることでそのことに対する思いやりも増すというもの
 ハイテク、デジタルもいい ですが時にはアナログも大切 失ったこころ、思いやりを取り戻せるやも知れない
 「生きてるだけで丸儲け」お笑い怪獣と呼ばれる大物有名人の名言ですが、この社会はいつしか生産的な人間でないと生きてはいけない、そんな不寛容な国になってしまったのでしょうか
 生きてるだけで、ただそれだけで価値がある
 
 あと最近気づいたことですがよく「生きてりゃ何かいいことあるよ」というフレーズに対してそんなものはないと否定する人がいます
 それはあると思います なぜならそのいいこととはその人にしかわからないからです
 金持ちになるとかいい家、いい車が手に入るといった安いものではありません
 こんな事でも幸せということがひとそれぞれ様々だからです 幸せは一般論ではなく特殊論
 こころに染み入るいい文章を拝読させていただきました ありがとう


社会的弱者を攻撃してどうする (管理人)

ハタボーさん、ご丁寧なコメントをありがとうございます。人は《生きてるだけで、ただそれだけで価値がある》というくだりは本当にそのとおりだ、と思います。たしかに昨今、この社会にはハタボーさんが指摘された《生産的な人間でないと生きてはいけない》という風潮が陰に陽にありますね。由々しき大問題です。なんとかいう国会議員の失言問題も記憶に新しいですね。

そういう次第なのかどうなのか、女性ホームレスのめるさんにたいしても心ないコメントをして来る輩がいるそうです。社会的弱者を攻撃してどうする、とわたしは強い憤りを覚えました。SNSという媒体の特徴は匿名ですから言いたい放題のことを言う。そして自分の言葉に責任を持ちません。無責任な誹謗中傷で自殺者も出ています。

さはさりながら、さような寛容でない風潮にわたしとしても異を唱えたい。わたしの文章を読んでホームレスをはじめとした社会的に立場の弱い人々に優しい心の姿勢をもってくれたら記事を書いた甲斐があったのではないか、と思っています。

わたしたちもホームレスになる可能性は十分あると思います。その時のことを想像してみたら、めるさんみたいな気の毒な人に心ないコメントを送り付けるという行為はできなくなるのではないでしょうか。

イジメていた側が、あるときからイジメられる側になることを想像すれば、わたしの言うことも理解してもらえると思います。処世術として自分から積極的にイジメる、というのは相当、危険な生き方である、という言い方ができると考えます。皆に優しく親切に接するというのが無難ということですね。

分かっています。わたしはとても消極的な書き方をしています。イジメるとかイジメないとか本当にくだらないこと。もしかしたら周囲の困っている人々に愛を施すくらいのことを書かないでどうする、とハタボーさんから叱責を受けるかも知れません。でもイジメは実際に存在します。

本当に困ったことですね。イジメで自殺している小中学生が実際にいるのです。そのことについては以前に当ブログで記事にいたしましたので詳しくは、そちらをご参照ください。「レクイエム」という記事になります。

生産的でないと生きていけない、と言うなら年配の方はどうなるのでしょうか。誰でも齢を重ねれば体の自由が利かなくなり思考ものびのびという訳にはいかなくなります。

そういう狭隘(きょうあい)かつ抽象的な考え方をする輩は、わたしたちの身近なおじいちゃん、おばあちゃんのことを想像しないのでしょうか。あるいは自分も将来、老人になり遂には土に帰らなければならないことを自覚していないのでしょうか。

わたしが学生時代のときキャンパスに「老人撲滅」という言葉が大きな字で落書きしてありました。なんて頭が悪い学校に入ったのかと失望したことを昨日のことのように思い出します。

ま、わたしの学生時代に抱いた感情は措いておいていい。要は人生を簡単に考えても人生は簡単にはいかない、ということですね。わたしは、まだ親許で養ってもらっていたときに、まさか中年の今このような人生を送っている、とは想像だにできませんでした。それを思ってみても人生とは一筋縄ではいかぬもの、と思い知らされています。

わたしの記事を読んでいただいて、身近にいる立場の弱い人々を思いやる気持ちが持てれば書いた甲斐があったと言えます。そして、この生きづらい生を生きるうえでの一服の清涼剤としての役割を果たすことができれば、それでいいのではないかしら。ハタボーさんへのいいご返事になっているか分かりませんが、この辺で擱筆いたします。また何かありましたらコメントを頂戴できれば、と思います。それでは失敬します。

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