「論」ブログヨシ樹

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愚かなお喋りをさらに諭す

2022年04月09日 | その他
以下の記事は「星さん.net」に掲載されている「わたしはわたし」という記事に反論したわたしのコメントである。おそらくは「星さん.net」に送信したわたしのコメントはまた削除されてしまうだろう、と思うので、わたしのブログにも掲載しておく次第だ。なお「星さん.net」の「わたしはわたし」という記事本文は権利の関係上、本ブログに掲載するのは見合わせた。詳しくは「星さん.net」の当該記事を参照されたい。



星さん、あなたは大きく見誤っています。この世の実態が見えていません。まるで3歳か4歳の幼児のようにこの世を自分中心に考えて周りを何かを求めれば右往左往して世話を焼いてくれる母親のように考えているのです。38歳のおじさんになった現在も、臆面もなくそう考えているのです。もうこの辺できっぱりと甘えと訣別すべきです。僕は星さんのママではないのですよ。僕は星さんのお母さんのようにあなたの世話を色々、焼く立場にはありません。このような簡単明瞭な道理も分かっていない星さんへ理解してもらえるように文章を書くのは本当に骨が折れます。副業の家庭教師で面倒を見ている小学生に教える方がまだ楽です。

星さんは恥ずかしげもなくこう書く。(なお文章中、Yとあるのは当方のことを指す。Yoshikiの頭文字だ。随分、失礼な表記の仕方である。まあ、それは措く。)星さんは《わたしの気持ちを察してもらいたかったのだ。ただ一方的にお前が悪いと断罪するのではなくて、わたしの気持ちを、そこまで至ってしまった気持ちを少しばかりでも「それは大変だったね。暴力は良くないけれど大変だったね」と汲み取ってもらいたかったのだ。Yはわたしの気持ちを汲んでくれない。察してくれない。分かろうともしてくれない。もちろん寄り添ってもくれない。ただ、高いところから「お前は間違っている」「お前のやっていることは良くない」と批判してくるだけなのだ。》と書く。

星さん、世間一般の人々は星さんの気持ちを汲んでくれないですし、察してくれないですし、分かろうともしてくれないですし、ましてや寄り添ってもくれないものなのです。皆、自分のことで精一杯なのです。星さんもそうでしょう。赤の他人に振り向ける余力など残っていないでしょう。もし僕が、星さんは僕の《気持ちを汲んでくれない。察してくれない。分かろうともしてくれない。もちろん寄り添ってもくれない》と記したとしたら、どう思いますか。多分そんなことを期待するほうがどうかしている、と思われることでしょう。巷間の誰もが、そういう心づもりで歯を食いしばって必死に働いているのです。ましてや僕は星さんにとってのいわば論敵です。そりゃあ論敵は「お前は間違っている」「お前のやっていることは良くない」と批判しますよ。論敵なのですから。

どこの世界に「それは大変だったね。暴力は良くないけれど大変だったね」と汲み取る理解のある論敵がいるのですか。僕は、あなたのお友だちではないのですよ。星さんもそういうご認識でしょ。だから僕のことをYと呼び捨てにしているのですよね。自分は相手のことをYと呼び捨てにしているにもかかわらず論敵である相手には優しく寄り添ってもらうことを期待するとは一体どういう神経をしているのでしょうか。まさか論敵が「寄り添う」はずがありません。それとも論敵である僕に寄り添ってほしいのですか。どこまで甘えているのですか。星さんは四十に近い年齢であるのにもかかわらず、こういうことすら分からないのです。世間で揉まれてきていないので相当な甘えがある、と思います。そういう人のことを世間一般では昔から「世間知らず」と呼んでいます。それに気づけずに自分の頭の中で十分な編集もせず、愚かな記事をそのまま馬鹿正直に吐き出してしまっています。そして極めつけは時々、自画自賛までしていることです。

これこそが長期間、働いていないことへのしっぺ返しです。端的に申しますと社会性が著しく欠如しているのです。文章を書きつつ読者の気持ちを想像して読み手に配慮することができないのです。星さん、読者にもう少し気を遣ったらいかがでしょうか。それほどに星さんの文章は独りよがりなのです。常識がありません。鋭さがないのは指摘するまでもないことでしょう。それはそれとして今回の文章の結論をもうここであらかじめ述べておきます。僕が星さんに申し上げたいのは「働け」という一語に尽きます。

働いていないので《わたしの人生の責任はわたしにある。誰かからのアドバイスを実行するかどうか決めるのも自分だし、それを実行することによって生じた結果も自分で引き受けなければならない。Yにはそうしたわたしの責任をすべて引き受けるだけの覚悟があるのだろうか。わたしの人生の責任をとるだけの心構えがあるのだろうか。ないと思う。それは即答できる。》などと愚かで甘えたことを書いているのです。

なぜ僕が星さんの人生の責任をすべて引き受けなければならないのでしょうか。僕が星さんに批判的な文章を書いたからですか。星さんへ批判的な文章を書く者は星さんの人生の責任をすべて引き受けなければならないのですか。星さんの文章を素直に読むと、さような解釈になりますよ。その理由と根拠は何処にあるのでしょうか。僕の文章は蟻一匹踏み潰す力を持っていませんし、たった一人の人間の空腹を満たすに足りません。星さんと違って僕は、そういうあいまいで感傷的なうぬぼれを持って文章を書いてはおりません。

星さん、ここで明言しておきますが、あなたは働いていないから人生についての考察をいつも誤るのです。無理もありません。働いていないので世間のことが全く分かっていないのです。それにもかかわらず無理をして毎日毎日、せっせとご自身のブログに文章を書いていらっしゃいますね。さような涙ぐましい努力に水を差すようで恐縮ですが以上のような次第でほとんどすべての記事が的外れな記事となってしまっています。

おそらくは星さんは理解力が十分でないようですから抽象的に述べても分かりかねますまい。馬鹿な記事の名前を具体的に挙げます。それは『ミニスカートにドキドキできるって素晴らしい』などの記事です。この記事は非道い。なんですか、この記事は。あえて内容について触れることは避けます。さような文章を書いていれば女性の読者は気持ち悪がって二度と星さんのブログの記事を読もうとは思わなくなりますよ。このような記事を書いていれば読者からブロックもされてしまいますよ。ご自身でも記されているように教会で心憎からず思っている女性から「何だ、お前かよ」という邪険な対応もされますよ。当該記事は男性である僕でも気持ち悪い、と思いますもの。

星さんは、このような愚にもつかない気持の悪い記事を書いて得意になっていますが後十年、経ってこの記事を読んでみると、どういう感想を抱きますかね。デジタル・タトゥーとして多くの人々の目に晒されつづけて星さんの評判は地に落ちている、と考えます。否、もうすでに地に落ちています。そもそも星さんは真面目に働いておらず物事の道理が全く分かっていないのですから文章を書いて公表しても批判されるばかりです。愚かな記事を量産して垂れ流すことは、もうやめようではありませんか。厳しいことを申し述べるようで恐れ入りますが星さんは文章を書く資格がありません。もっと自己を客観視してください。そうすれば、僕の述べていることも理解できるはずです。

星さんが僕のように一般企業で働くのは、はじめのうちは厳しいかも知れませんね。たぶん、あなたが一般企業での就労ができたとしても長くは続かないと思います。星さんの人柄が職場で受け入れられる、とは到底、思えません。素直でないのです、星さんは。星さんは、どこかの記事でご自分のことをご自分で素直である、と書いていますね。思い違いも甚だしい、と言わざるを得ないです。星さんは決して素直ではありませんよ。頑固で愚かです。残念ながら星さんは、さようなことも理解できてはいません。自己を客観的に洞察する力が甚だ弱いのです。同居しているお母さんも悪い、と思います。自分の息子をここまで野放図に甘やかして、きちんと注意しないのですから。

話が脱線しましたね。話を戻します。星さん、障害者枠での就労は、いかがでしょうか。あるいはA型作業所やB型作業所で働く、ということはいかがでしょうか。これなら「働く」こともできるのではないでしょうか。僕は星さんもひとり暮らしをした方がいい、と考えますが持ち家があるのですから、ま、その家に住まわれることについては何も述べますまい。自分のお住まいから毎朝、仕事場に自転車で通うのです。働くことを恐れてはいけません。星さんはまだ若いので働くことを諦めるべきではありません。―― 星さんのお母さんはあなたに働け、とは言われないのですね。僕は問題のある親だと思います。星さんも星さんで、いい齢(とし)をしたおじさんなのにママと一緒にお買い物ですか。気恥ずかしくないのですか。僕なら母親との買い物は勘弁してほしい、と言いますけれどね。僕は星さんにひとりの男として意地を持ってほしい、と思います。

むろん働くか否かの決断は星さんがするのです。その結果も星さんが全部、責任をとるのです。当然のことです。僕は強制はしません。それに働くことは、そもそも強制することはできません。僕はそういうあいまいで感傷的なうぬぼれを持って文章を書いていない、とすでに書きましたね。精神的に満身創痍になりながらも働くのです。星さん、なりふり構わず全力で頑張ってください。何を頑張るのですか。「働く」ことを頑張るのですよ。その際には僕のブログの記事である『働くということ』をぜひ読んでみてください。励まされることを請け合います。星さん、《働こうよ?大きなお世話だ。》などと述べてはいけませんね。「働く」ことを放棄したら、そのあとに待っている運命は、それこそ赤の他人に「大きなお世話」をしてもらうことになりますから。星さん、われわれは自己の尊厳を守るためにも働いているのですよ。

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