「論」ブログヨシ樹

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2023年夏の旅(バイク編)

2023年08月26日 | オートバイ

今回のツーリングに使用した愛機ホンダ製PCX150です。道の駅「紀伊長島マンボウ」の駐輪場にて撮影。


 
奇岩が多くある珍しい海岸だったのでバイクを停めてガラケーで撮影しました。撮影した場所は三重県です。
 


三重県の伊勢志摩地方から尾鷲市にかけては複雑なリアス式海岸になっていて入り江が多いのが印象的でした。



神奈川旅行(前の記事を参照されたい)から数日を経て、わたしは、ふとある計画を思いついた。それは今までバイク・ツーリングを避けていた場所で登山に喩えるとしたら未登攀(みとうはん)の高嶺とでも言うべき場所に挑戦することであった。わたしの実家は愛知県の豊橋市にあり、年老いた父母が住んでいる。豊橋市は渥美半島の付け根に位置する街で半島の先端は愛知県田原市の伊良湖だ。伊良湖からは伊勢湾フェリーが出ていて三重県鳥羽市まで人はもちろんのこと車やバイクを積んで運んでいる。いわゆるカーフェリーである。

したがって、豊橋市からフェリー経由で鳥羽市まで行き、名古屋市に戻ったり、逆に名古屋市からフェリー経由で伊良湖まで行き、実家に帰ったり、というバイク・ツーリングは、これまで何回か経験している。今回は、そのどちらでもないバイクでのツーリングを思い立った。実家をベースキャンプにして、さらに伊勢湾フェリーも利用する、という旅行である。

今回の旅は排気量150ccの自前のスクーターで敢行したロング・ツーリングであった。概算で往復700キロは走った。7月某日午前6時に豊橋の実家を発った。国道259号線を伊良湖港を目指してひた走る。早朝6時に出発したのは渋滞に巻き込まれないためだった。国道259号線が通っている田原市はトヨタ自動車傘下の工場が多くあり、朝夕は通勤する車でとても混むのである。ツーリングをする者にとって渋滞はせっかくの旅情に水を差すもので、できれば避けたいことのひとつである。当日は幸いにも何とか渋滞は回避することができた。天候も悪くなかった。快晴といってもいい天気であったように思う。

伊良湖港に行くまでの道はもちろん初めて走る道ではない。若い頃に教会の青年会有志とわいわい自動車に乗り合わせて何度も通った思い入れのある道だ。今になって思う。あの頃が、わたしの青春時代だったのだ、と。わたしにも青年と呼ばれていた時代があったのである。その日、国道259号線は、がらがらであった。道路がこんなにも空(す)いていたので伊良湖港まで気分よく走ることができた。

フェリーの始発が8時10分とはいえ少々、早く到着してしまったようだ。チケット売り場がまだ開いていないので時間潰しに荷物から地図を取り出して当日のルートを何度も確認した。この地図は昭文社から出版されている『ツーリング・マップル』といってバイク・ツーリングをする際、ライダー御用達のブックタイプの地図である。今回は『ツーリング・マップル関西』を持参した。この地図は毎年、出版されていて地域ごとのラインナップがある。

乗船手続きを済ませて、そうこうしているうちに「バイクをフェリーの中に動かす用意をしてください」という、うぐいす嬢のアナウンスが聞こえた。バイクまで戻り、現場の作業員の指示に従って船内にバイクを移動させた。作業員にバイクを預けて階段を上がって客室へと向かった。初めのうちは客室に備え付けてある椅子に腰かけていたのだがトイレに行く途中で絨毯敷きの客室があり、ライダーとおぼしき客が横になっているのに気がついた。

この「絨毯式の客室」という表現は伊勢湾フェリーのホームページでのそれである。実際は「カーペット」に近い材質のものが敷かれていた。不満があったわけではない。むしろ夏は、この「カーペット」もどきが敷かれていた方がよいと思う。わたしも少しでも姿勢を楽にして体力温存を図るため絨毯式の客室に身を横たえた。「なるほど、確かにこれは楽だ」。仰向けになり船室の天井を眺めながら独りごちた。

伊良湖港から鳥羽港までの航行時間は55分である。この時間はライダーにとってバイクを運転せずに済む貴重な休憩時間だ。そうであるならば少しでも休養を取るに越したことはない。先は長いのだから。フェリーが鳥羽港へ入った。ほどなくして作業員がラッシング・ベルトを外してバイクを渡してくれた。その後、自動車から先に外に出て、間もなくバイクも船外に出た。

ふたつのタイヤが蹴っている土地は、すでに三重県だ。これからのツーリングのことを考えると否が応でも気持ちが昂(たかぶ)る。バイクは名古屋方面ではなく伊勢志摩方面に向かって走っている。道を間違えているわけではない。今回の旅の行き先は和歌山県の白浜だから伊勢志摩方面を目指して走っていて当然なのだ。今回はこの夏の「南紀白浜ツーリング」の模様を記事として記していきたい。

遠い昔、太平洋の絶景を眼下に望める、ということで有名な鳥羽と志摩を結ぶ「パールロード」を排気量1100ccのアメリカンタイプの単車で走ったことがある。だが「パールロード」は今回の旅行の往路には含めなかった。なんとなれば回り道になるからだ。今回のツーリングのプランは至極単純で往路も復路も紀伊半島の海沿いをひたすら走る、というものだった。言い換えると、くだんの半島の輪郭をなぞるように進む、というものだった。

つまり、往路を進み白浜のホテルで一泊して折り返して復路を進み鳥羽港まで戻ってくる、というのが、だいたいの行程であった。もちろん、往路は初めて通る道路ばかりであって期待に胸を膨らませてバイクを走らせていた。しかしながら、そんな気持ちとは裏腹に三重県道16号線がどうしても見つからないのだ。

三重県道16号線は別名、南勢磯部線ともいって、ここを通らないことには紀伊半島の沿岸部に抜けることができない。迷った場所は、あの志摩スペイン村の近くで道が四本に分かれている間違いやすい分岐点であった。こういう時にナビやスマホがあったらなあ、と思わぬでもない。わたしは、いまだにガラケーを使っているのだ。

道路にある標識や案内看板も頼りにして、どうにか県道16号線に出られた。あとは県道16号線を真っすぐ走っていけばいい。そのうち、そのまま国道260号線を走ることになる。県道16号線と国道260号線は続いているのだ。もう迷うことはないはずだ。後から振り返って、この時のことを考えてみると迷うのも初めての道であればこそである。もっともツーリング当時は必死で、そんな精神的な余裕はなかった。

国道260号線は海が存分に見られる道と期待していたが実際は、そんなことはなくて山間(やまあい)の道が半分以上を占めていた国道であった。走ったトンネルの数も少なくなかった。わたしは山間部の道も嫌いではないが、かつて山を走っていた時にガス欠になってしまい一緒にツーリングをしていた弟に大変な迷惑をかけた苦い経験がある。俗に単車と呼ばれるオートバイには燃料計が付いていないのが一般的である。一方、今回のツーリングで走らせているバイクは、いわゆるスクーターで燃料計が付いている。それでも、わたしは羹に懲りてなますを吹く、ではないが、ガス欠にならないよう用心に用心を重ねた。

燃料計を見て少しでも目盛りが減っているとガソリンスタンドで給油する、という慎重さだった。さようなこまめな給油が奏功して今回の旅行でガス欠は避けられた。山間部にはガソリンスタンドは殆どないので、ガソリンスタンドを見つけたら、その都度こまめに給油をする必要があるのだ。わたしが、かつてのツーリングから学んだ苦い教訓である。

国道260号線から国道42号線に接続する場所に道の駅があったので休憩することにした。道の駅の名前は「紀伊長島マンボウ」だ。広い売店のなかには海鮮丼や珍しい寿司も売られていたがトイレで用を足してからすぐにバイクに乗って走り出した。グルメではないわたしもその土地の名産品は食べられるものなら食べてみたい。しかしながら、貧乏人には貧乏人なりの旅の流儀があるのだ。財布の紐を緩める時とそうでない時があるのだ。

わたしはツーリングでは各地の風景を見ながらバイクを走らせるのを無上の愉しみにしているのであって食事の優先順位は低い。したがって、原則としてホテルは素泊りである。食費を削って宿泊費を安く抑えたいからだ。ただし、いくら安いからといっても宿泊の際に他の人と相部屋になるのはできるだけ避けている。相手に迷惑をかけるのが嫌なのだ。寝るときくらい寝相が悪かろうが、いびきがうるさかろうが気にせず自由に眠りたいのだ。

そうこうしているうちに三重県尾鷲市付近でポツリポツリと雨が降って来た。尾鷲市の年間の降水量の多さは有名だ。なかには「尾鷲はいつも雨が降っている」と云う人もいるくらいである。わたしも尾鷲市付近の山間を走っていたら雨に降られてしまったので途中でコンビニに寄って合羽の上を羽織った。そもそも上はメッシュ・ジャケット、下はメッシュ・パンツという夏のツーリングの出で立ちだったので合羽の上を羽織っただけで何とかやりすごせるだろう、と踏んだのだ。この判断は間違っていなかった。尾鷲市を過ぎてしばらくすると雨は止んで陽の光も射してきた。

尾鷲市を過ぎ、熊野市を過ぎ、しばらく走っていると県境が現れ、和歌山県に入った。ようやく和歌山県に到達した。午(ひる)はとうに過ぎていた。腹が減っていたので「パーク七里御浜」という道の駅で昼を食べようと思い店内に入った。店内にはスーパーマーケットがあった。弁当もあったが割高だったので赤飯とおかずを別々に買って昼食とした。赤飯等を購入した理由は単純で、安くて腹持ちがいいからだ。

国道42号線をひた走る。別名、熊野街道とも呼ばれる道だ。熊野街道が通っている新宮市でも給油をした。一体ここに至るまでに何回、バイクに給油したことだろう。紀伊半島の先端にある潮岬までもう少しだ。潮岬とは「黒潮洗う本州最南端の岬」である。立ち寄ってみたい気もしたが愚図愚図していると到着が遅れるので先を急いだ。ホテルには明るいうちに着きたかった。潮岬がある場所は串本町である。ここからが長かった。串本町、すさみ町と走るのだが、まだまだ白浜までの道のりは遠かった。

すさみ町で道の駅「すさみ」に立ち寄って小さいパックの「さんま寿司」を購入してみた。貧乏人なりの旅の流儀はどうした、と読者諸賢のお叱りを受けるかも知れない。購入に踏み切ったのは安かったからだ。とても小さいサイズのパックだったので試しに食べてみたのだ。とても旨かった。復路で道沿いのスーパーマーケットに立ち寄ったら「さんま寿司」は道の駅よりも安く売られていた。名産品を買うなら地元のスーパーマーケットである。

ようやく目の前にホテル群が見えてきたので、いよいよ白浜か、と思ったが早合点であった。地図で確認すると白浜はまだ向こうである。少なくない時間、バイクに乗って、ようやく白浜に行くと道路は行き届いた整備がなされていて空港さえあるのには驚きを禁じ得なかった。携帯していた『ツーリング・マップル関西』を見てもよく分からない。それもそのはずである。くだんの地図はメルカリで安く購入した五年も前のものなのだから。

迷いながらようやくホテルを見つけてチェックインした。途中のドラッグストアで買ったジャンクフードが事実上の夕食になった。部屋の窓から外を見ると夏の夕方のこととてまだ明るかった。けれども、外出する気力は起きなかった。おそらく観光地である白浜には遊ぶ場所はいくらでもあったであろう。しかしながら、バイクを降りて部屋にとおされ、浴衣を着てしまうとホテルを出て改めて何処かに出かけよう、という気は失せてしまうもののようである。

しばらくして、ホテルの大浴場に行ってみた。案の定、水風呂はなかった。仕方ないので真水のシャワーを全身に浴びて風呂に入り、しばらくしてまた真水のシャワーを浴びる、ということを繰り返した。傍から見れば立派な変人である。水風呂がなかったので、わたしなりの苦肉の策であった。わたしは暑い時は水風呂に入って涼をとることを無上の喜びとしているのだ。入浴後、ほどなくして部屋の照明を消してベッドに横たわり瞼を閉じた。

翌朝、早く起きて、これから用意されるであろう朝食も食べずにフロントに部屋の鍵を返して急いでホテルを辞した。今回はいつものように素泊まりではなくて一泊朝食付きだったが已むを得まい。朝食は7時からだったが、それまで待てなかった。一刻たりとも時間を無駄にしたくなかったからだ。

どんなに遅くとも伊勢湾フェリーの最終便の搭乗時刻を過ぎることは許されない。最終便の出航時刻は17時40分である。この便に乗り遅れることは、その日のうちに伊良湖へ渡れないことを意味する。結論を記すと最終便に乗り遅れる、という心配は杞憂に終わった。フェリーには余裕を持って乗船することができた。復路は往路よりも時間がかからなかったのである。したがって往路では行かなかった「パールロード」にも足を延ばして走りを愉しむことができた。とても気持ちよく走ることができて足を延ばした甲斐があった。

フェリーが伊良湖港に着いて下船しても辺りはまだ明るかった。実家の両親に土産を買って帰ったら喜ばれた。フェリーが出航するまでのあいだにターミナルの売店で両親の好物である伊勢名物の「赤福」を買っておいたのだ。こうして、わたしは遭難することなく未登攀の高嶺を無事に登頂することに成功したのであった。もちろん、今回のツーリングを山登りに喩えて記しているのである。



宿泊した白浜のホテルの部屋です。干してある靴下は、もちろん、わたしの靴下です。だらしがねえ(笑)。



帰り道での写真です。よく晴れています。夏の青空が大好きです。多分撮影した場所は和歌山県の海沿いです。



三重県「パールロード」前にて。ツーリングの帰りに走りました。いつまでも走っていたいと思う道でした。


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