「論」ブログヨシ樹

様々な話題を縦横無尽に語るパラダイムの転換を惹起するブログ。老若男女必読!

伊勢日帰りツーリング 後編

2011年11月05日 | オートバイ
国道167号線を走っていると何時の間にか道の名称は国道42号線に変わっており、国道23号線を経て私は伊勢市街を走っていた。伊勢市は遠慮なく言えば、ひなびた街である。良く言えば伝統のある街だ。伊勢神宮がある街なので、そう言っても大きく誤ることにはなるまい。街の中心部をバイクで走っていると教育熱心な土地柄なのだろうか塾や予備校がよく目に付く。伊勢市街をしばらく彷徨い、ようやく面接会場を見付けた。塾の管理本部というのが面接会場であったのだが、いけいけの塾の本部にしては建物は拍子抜けするほど小さく、しかも面接はその二階で行われるのである。一階には塾とは関係ない別のテナントが入っていた。

面接会場を確認したので後は何処かで休んで再度、会場まで行けばいい、と考えた。腕時計に眼をやると午前11時過ぎである。面接の時刻まで、まだ十分、時間がある。鳥羽港からオートバイに乗り通しだった私は休みたかった。けれども街の目抜き通りを走っていてもマクドナルドやモスバーガーといったファースト・フードの店はおろかガストやサイゼリヤといったファミリー・レストランすらなかった。食事処としてあるのは、どのメニューも割高な“和食のさと”くらいのものである。

極端な話、昼食など要らないのである。何処かの店で身を落ち着けて、しばらく休憩したかった。そして面接に備えて上半身のジャージをスーツに着替えたかった。結局、来る時の通り道にあった街外れの喫茶店に入ることを余儀なくされた。店内には二、三人客がいてテレビが点けっ放しである。初老の夫婦が経営している店のようで耳が遠いからであろうかマスターの声は大きく少々品がなかった。注文したのはメニューの中で一番、安い300円のジャム・トースト一品のみである。期待して入った店ではなかったのだが意外にもジャム・トーストの味は良く、パンの厚みもそれなりにあったので一応、良心的な店と言えるだろう。

しかし、喫茶店の評価なぞしている場合ではなかった。むしろ、これから行く面接で私は、それこそ頭の天辺から足の爪先まで仔細に評価されるのである。刻々と面接の時間が迫って来ている。正午丁度に店を出てスクーターのスタンドを蹴ってシートに跨った。ブレーキ・レバーを握りながらセルボタンを押してエンジンを始動させ、アクセルを開けて出発した。この時、私の念頭からは“バイク・ツーリング”を満喫するという意識は全く消え失せていた。上下スーツで面接会場に到着して駐車場にオートバイをとめた。二階に上がって名前と用件を告げると椅子に座って待つように言われた。パーテーション(仕切り板)も何もないフロアで面接の様子は周囲に筒抜けである。

私の前に面接を受けている応募者は二人の面接官に、いたく気に入られた様子で三人の哄笑が聞こえてくる。塾が私にオファーしてきたのと同じ求人の応募者だった。これはやりづらいな、と思っていたら、お待たせしましたと言って若い方の面接官が私に席を勧めた。もう一方の年輩の面接官は開口一番、気分転換だな、なぞとふざけた一言を言い放った。さすがに、これにはカチンときた。少なくない時間と労力を割いて遠方から来ている志望者に対して随分、失礼で横柄な応対である。ここで席を蹴って帰ってもよかったが我慢した。

これで、この塾に対する私の心証は著しく悪いものとなった。二度と来るものかと思った。人を舐めた無礼な輩が面接担当官としての立場を得ているような塾は、ろくな塾ではない。年輩の面接官は即戦力が欲しい、研修はない、部下のマネジメント経験がないなら若い人の方がいい等々言いたい放題である。オファーの文面は腰が低く丁寧で好感が持てた。だからこそ三重くんだりまでスクーターで来ているのだ。しかし、実際に面接を受けてみると化けの皮が剥れて塾の正体見抜いたり、という思いがした。

面接官の私への対応から推量して採用する気がないのが、はっきりと判った。今回の面接では厭な気持ちにさせられたのは確かだが勉強にもなったと振り返ってみて思う。それは私くらいの年嵩がある人間は、これまでの仕事上での実績を第三者が客観的に理解できる数値でアピールできなければ、まともな企業では相手にしてもらえぬ、ということだ。厳しいがそれが現実である。そもそも、やる気はあるのです、といくらアピールをしても、そのやる気を裏付ける基準となるデータがなければ採用する側は怖くて採用できない。結果、毎回、企業から採用を見送られることになる。採用担当者の立場に立って想像すれば容易に分かることなのに私にはこの視点が全く欠けていた。悔しいが年輩の面接官が喋った内容をなぞった上記のロジックは理に適っている。

面接会場を後にしてオートバイに乗っている最中、私は相当に気持ちが沈んでいた。三重県まで来てこの様か、何時までこんな状態が続くのだろう。胸の中でそんな想いを反芻していた。面接は時間にして30分もせずに終わったので伊勢見物をする時間的なゆとりはある。早く帰る必要はない。気持ちを切り換えて、まずは当地のブックオフに行こうと心に決めた。街外れの百均でジュースを買ってキャッシャーで代金を支払うついでに女性の店員に、この近くにブックオフはありますか、と訊ねてみた。度会(わたらい)橋の向こうにあります、ここから10分程度で行けますよ、と親切に教えてもらった。

オートバイで度会橋を走っていると果たして店員が教えてくれたとおり前方にブックオフの黄色い看板が見えた。比較的、大きな店舗でこれは期待できそうだと思った。私は古本屋の店内を色々と物色して回る時間が好きである。店内を見て回ったが大きな店舗の割に収穫は少なく購入したのは本三冊とCD一枚だけであった。午後3時にブックオフを辞し途中、伊勢神宮に立ち寄ろうかと思ったが止めておいた。ブックオフに長居して残された時間が少なくなっていたからである。フェリーに遅れずに乗るべく港を目指した。フェリーの最終便は午後5時40分であるが、そのひとつ前の第7便たる午後4時30分に出航するフェリーに乗るつもりでバイクを走らせた。


途中、二見浦にある観光名所の夫婦(めおと)岩のすぐ近くを通り過ぎて鳥羽港に到着したのは午後4時少し前であったように記憶している。当初の予定どおり第7便に乗船した。船内で本を読んでいて、しばらくして窓外に眼を向けると外はだいぶ暗くなっている。船内にも明かりが点いている。フェリーは午後5時25分丁度に伊良湖港に着いたがスクーターに乗って下船すると外は真っ暗であった。暗闇の国道を住まいに向けてひた走る。夜のせいもあろう外気は冷たくオートバイで走っていると風を直に身体で受け止めるため寒いくらいである。私は自分の居にある風呂に熱い湯を張って早く身体を埋めたかった。                                              

おわり

伊勢日帰りツーリング 前編

2011年11月03日 | オートバイ
11月2日に伊勢湾フェリーを使って三重県伊勢市に行ってきた。伊勢市といえば、お伊勢参りで有名な、あの伊勢神宮があるところだ。ある企業からウェブ上の転職サイトを通してオファーがあり面接に行ったのだった。オファーがあった企業とは塾である。三重県伊勢市を拠点に同県の津市や松阪市に校舎を展開していて、ゆくゆくは全国展開も考えている発展途上のいけいけの塾である。

同塾の松阪市にある校舎の管理責任者、つまり校舎長をやってみませんか、というのがオファーの内容である。教育業界には再び戻るまいと決意した私だが霞を食べて生きていくわけにも行かぬ。生きていく限り生活し、食べて行かなければならない。背に腹は代えられないのである。それに、この塾のオファーの仕方が巧かったことも面接に行った理由のひとつであった。オファー文章を以下に少し引用してみよう。

《ぜひ少しでも共感、もしくは興味をお持ちいただけましたら、まずは一度お会いするところからはじめてみませんか?正式に転職するかどうかは、その後の話だと思っています。》というのがオファーの文面の一部である。さらにいえば面接のためにかかった交通費は塾側が全額負担してくれるというのも魅力的であった。

そこで私は面接は駄目でもともと、オートバイに乗って伊勢見物をするくらいの気持ちで伊勢湾フェリーの利用を応諾してくれることを条件に面接に行く旨の回答をした。その日のうちに塾からメールが届いた。11月2日午後1時に来社してほしい、フェリーの利用も認めます、という回答だったので指定の日時に行く旨の返信をして三重に行く準備に取りかかった。

私はパソコンで面接当日の愛知県と三重県の週間天気予報を調べることから始めた。天気予報によれば当日は両県共におおむね晴天で降水確率も10パーセント程度である。これで伊勢ツーリングに心置きなく行けると私の胸は躍った。むろん面接の準備も抜かりなく行ったつもりである。ボールペンで履歴書を清書し、職務経歴書もパソコンで編集し直した上でプリント・アウトしておいた。

私としては向こうから低姿勢且つ丁寧にオファーが来たので、もしかしたらという期待もあったのである。そういうわけで私は万全の準備をしたつもりだ。面接前日の深夜のアルバイトも大事を取って責任者に電話で休みの連絡を入れるという慎重さだった。蒲団に入り、翌朝、眼が醒めたのは未明午前5時前だったように思う。目覚ましより早く起きたことになる。

出発する時刻は午前7時と決めていた。伊良湖発鳥羽行きのフェリーの平日のダイヤから逆算して決定したのである。伊良湖発のダイヤを平日の午前に限って列挙すると次のとおりになる。すなわち、8時10分、9時30分、10時50分の三便だ。私は午後1時の面接に間に合うように時間的に十分な余裕を持って行きたかった。したがって、第2便の9時30分発のフェリーに乗船するつもりでいた。

時間的な余裕を十分に持って行きたかった理由はもうひとつある。それはバイク・ツーリングを満喫するためである。ぎりぎりの時間設定ではオートバイはただの交通手段になってしまう。私はツーリングを愉しむための心の余裕が一番、欲しかった。どんな場合でもそうだが時間的な余裕が、とりもなおさず、心の余裕につながるのだ。今回の伊勢行きの目的は既述のとおり二つあったのだが、私には両方共に大事な目的で、どちらも疎かにはしたくなかったのである。

そういうわけで早朝に起床して身支度を整え、午前7時に住まいを出発した。目指すは渥美半島の先端近くに位置する伊良湖港である。一抹の不安を覚えていたが、やはり予感は的中した。朝の通勤ラッシュと丁度、重なってしまったのである。渥美半島を斜めに貫く国道259号線(田原街道)は道幅が狭い場所が結構あるので、すり抜けが難しい。田原市にはトヨタ自動車の関連工場が多く、そこに出勤する人たちのクルマが朝夕の渋滞の一因となっている。

けれども、渋滞の道路で自動車に囲まれているのも少しの間で、しばらくして道は開けた。本来なら空いた道路は時速7、80キロで走りたいところだが、そこはグッと我慢する。至るところにオービスが設置されているからだ。メーカーの話によればオートバイにもオービスは反応するらしい。渥美半島はバイク・ツーリングの場所として全国的に有名で春や夏になると多くのバイカーが道路を走る。なかにはスピード狂もいるのだろう、オービスはそういう一部の心ないバイカーを取り締まり、牽制する目的で設置されたに違いない。迷惑な話である。

朝だからであろうか少し肌寒い。もうすでに11月の2日、晩秋なのである。寒いのも道理だ。下半身は問題ない。スーツの下に紳士用のタイツを穿いていたので全然、寒くない。問題は上半身である。上半身に着ている服の内訳はこうだ。下着のTシャツ、ネクタイを締めないワイシャツ、その上にジャージである。一番上に着ているのがジャージというのは如何にも妙な格好だが私なりの苦肉の策なのだ。

というのも秋物の適当なアウターがなかったからである。冬物のアウターなら結構あるのだが今の季節に着るのは仰々しいし、重くて疲れる。それとは対照的にジャージは心身の両面で身軽さを感じられるのだ。ジャージの唯一にして最大の難点は冬物のアウターであるジャンパーやブルゾン等とは違って風を通すことであった。当日は比較的、暖かかったのが幸いしたがバイク・ツーリングの服装としては明らかに判断ミスである。そういう次第で見る人が見れば苦笑するような出で立ちであった。

午前9時前には伊良湖港のフェリーの発着場に着いていた。早速、切符売り場で往復切符を購入した。伊勢湾フェリーの主な航路は伊良湖と鳥羽を結ぶ区間である。伊良湖と鳥羽の間を一日のうちに何回も往復するのだ。運賃は往復で金五阡四佰円也である。塾へ交通費を申告するためには領収書が必要になる。窓口の男性に、その旨を伝えて作ってもらった。フェリーは午前9時30分に時間どおり出航した。ほどなくして若いうぐいす嬢が船内放送を通して乗船時間は55分で鳥羽到着は午前10時25分になります、とアナウンスした。慣れた口調の案内だった。


鳥羽港に船が着くまでの時間、何もしないという法はない。私は持参した本を鞄から取り出して読書を始めた。こういう隙間時間を無駄にしない習慣は司法試験の受験勉強中に身に付いたのだと思う。爾来、何処へ行くにも本や資料を鞄の中に入れて携帯し少しの時間でも無駄にしないようにしている。フェリーは途中、三島由紀夫の小説『潮騒』のモデルになった島 ―何という島か名前は忘れたが― の傍を通り過ぎて無事、港に着いた。鳥羽には何回も来ている。時間を距離に見立てると、遠くは小学生の頃に家族と一緒に、近くは、すぐ下の弟と奈良ツーリングに行く途中で訪れている。鳥羽港の眼前を通る国道167号線を走り、一路、伊勢神宮を目指した。とはいえ、むろん参拝するためではない。伊勢神宮のすぐ近くに面接会場があるからである。

つづく