国道167号線を走っていると何時の間にか道の名称は国道42号線に変わっており、国道23号線を経て私は伊勢市街を走っていた。伊勢市は遠慮なく言えば、ひなびた街である。良く言えば伝統のある街だ。伊勢神宮がある街なので、そう言っても大きく誤ることにはなるまい。街の中心部をバイクで走っていると教育熱心な土地柄なのだろうか塾や予備校がよく目に付く。伊勢市街をしばらく彷徨い、ようやく面接会場を見付けた。塾の管理本部というのが面接会場であったのだが、いけいけの塾の本部にしては建物は拍子抜けするほど小さく、しかも面接はその二階で行われるのである。一階には塾とは関係ない別のテナントが入っていた。
面接会場を確認したので後は何処かで休んで再度、会場まで行けばいい、と考えた。腕時計に眼をやると午前11時過ぎである。面接の時刻まで、まだ十分、時間がある。鳥羽港からオートバイに乗り通しだった私は休みたかった。けれども街の目抜き通りを走っていてもマクドナルドやモスバーガーといったファースト・フードの店はおろかガストやサイゼリヤといったファミリー・レストランすらなかった。食事処としてあるのは、どのメニューも割高な“和食のさと”くらいのものである。
極端な話、昼食など要らないのである。何処かの店で身を落ち着けて、しばらく休憩したかった。そして面接に備えて上半身のジャージをスーツに着替えたかった。結局、来る時の通り道にあった街外れの喫茶店に入ることを余儀なくされた。店内には二、三人客がいてテレビが点けっ放しである。初老の夫婦が経営している店のようで耳が遠いからであろうかマスターの声は大きく少々品がなかった。注文したのはメニューの中で一番、安い300円のジャム・トースト一品のみである。期待して入った店ではなかったのだが意外にもジャム・トーストの味は良く、パンの厚みもそれなりにあったので一応、良心的な店と言えるだろう。
しかし、喫茶店の評価なぞしている場合ではなかった。むしろ、これから行く面接で私は、それこそ頭の天辺から足の爪先まで仔細に評価されるのである。刻々と面接の時間が迫って来ている。正午丁度に店を出てスクーターのスタンドを蹴ってシートに跨った。ブレーキ・レバーを握りながらセルボタンを押してエンジンを始動させ、アクセルを開けて出発した。この時、私の念頭からは“バイク・ツーリング”を満喫するという意識は全く消え失せていた。上下スーツで面接会場に到着して駐車場にオートバイをとめた。二階に上がって名前と用件を告げると椅子に座って待つように言われた。パーテーション(仕切り板)も何もないフロアで面接の様子は周囲に筒抜けである。
私の前に面接を受けている応募者は二人の面接官に、いたく気に入られた様子で三人の哄笑が聞こえてくる。塾が私にオファーしてきたのと同じ求人の応募者だった。これはやりづらいな、と思っていたら、お待たせしましたと言って若い方の面接官が私に席を勧めた。もう一方の年輩の面接官は開口一番、気分転換だな、なぞとふざけた一言を言い放った。さすがに、これにはカチンときた。少なくない時間と労力を割いて遠方から来ている志望者に対して随分、失礼で横柄な応対である。ここで席を蹴って帰ってもよかったが我慢した。
これで、この塾に対する私の心証は著しく悪いものとなった。二度と来るものかと思った。人を舐めた無礼な輩が面接担当官としての立場を得ているような塾は、ろくな塾ではない。年輩の面接官は即戦力が欲しい、研修はない、部下のマネジメント経験がないなら若い人の方がいい等々言いたい放題である。オファーの文面は腰が低く丁寧で好感が持てた。だからこそ三重くんだりまでスクーターで来ているのだ。しかし、実際に面接を受けてみると化けの皮が剥れて塾の正体見抜いたり、という思いがした。
面接官の私への対応から推量して採用する気がないのが、はっきりと判った。今回の面接では厭な気持ちにさせられたのは確かだが勉強にもなったと振り返ってみて思う。それは私くらいの年嵩がある人間は、これまでの仕事上での実績を第三者が客観的に理解できる数値でアピールできなければ、まともな企業では相手にしてもらえぬ、ということだ。厳しいがそれが現実である。そもそも、やる気はあるのです、といくらアピールをしても、そのやる気を裏付ける基準となるデータがなければ採用する側は怖くて採用できない。結果、毎回、企業から採用を見送られることになる。採用担当者の立場に立って想像すれば容易に分かることなのに私にはこの視点が全く欠けていた。悔しいが年輩の面接官が喋った内容をなぞった上記のロジックは理に適っている。
面接会場を後にしてオートバイに乗っている最中、私は相当に気持ちが沈んでいた。三重県まで来てこの様か、何時までこんな状態が続くのだろう。胸の中でそんな想いを反芻していた。面接は時間にして30分もせずに終わったので伊勢見物をする時間的なゆとりはある。早く帰る必要はない。気持ちを切り換えて、まずは当地のブックオフに行こうと心に決めた。街外れの百均でジュースを買ってキャッシャーで代金を支払うついでに女性の店員に、この近くにブックオフはありますか、と訊ねてみた。度会(わたらい)橋の向こうにあります、ここから10分程度で行けますよ、と親切に教えてもらった。
オートバイで度会橋を走っていると果たして店員が教えてくれたとおり前方にブックオフの黄色い看板が見えた。比較的、大きな店舗でこれは期待できそうだと思った。私は古本屋の店内を色々と物色して回る時間が好きである。店内を見て回ったが大きな店舗の割に収穫は少なく購入したのは本三冊とCD一枚だけであった。午後3時にブックオフを辞し途中、伊勢神宮に立ち寄ろうかと思ったが止めておいた。ブックオフに長居して残された時間が少なくなっていたからである。フェリーに遅れずに乗るべく港を目指した。フェリーの最終便は午後5時40分であるが、そのひとつ前の第7便たる午後4時30分に出航するフェリーに乗るつもりでバイクを走らせた。
途中、二見浦にある観光名所の夫婦(めおと)岩のすぐ近くを通り過ぎて鳥羽港に到着したのは午後4時少し前であったように記憶している。当初の予定どおり第7便に乗船した。船内で本を読んでいて、しばらくして窓外に眼を向けると外はだいぶ暗くなっている。船内にも明かりが点いている。フェリーは午後5時25分丁度に伊良湖港に着いたがスクーターに乗って下船すると外は真っ暗であった。暗闇の国道を住まいに向けてひた走る。夜のせいもあろう外気は冷たくオートバイで走っていると風を直に身体で受け止めるため寒いくらいである。私は自分の居にある風呂に熱い湯を張って早く身体を埋めたかった。
おわり
面接会場を確認したので後は何処かで休んで再度、会場まで行けばいい、と考えた。腕時計に眼をやると午前11時過ぎである。面接の時刻まで、まだ十分、時間がある。鳥羽港からオートバイに乗り通しだった私は休みたかった。けれども街の目抜き通りを走っていてもマクドナルドやモスバーガーといったファースト・フードの店はおろかガストやサイゼリヤといったファミリー・レストランすらなかった。食事処としてあるのは、どのメニューも割高な“和食のさと”くらいのものである。
極端な話、昼食など要らないのである。何処かの店で身を落ち着けて、しばらく休憩したかった。そして面接に備えて上半身のジャージをスーツに着替えたかった。結局、来る時の通り道にあった街外れの喫茶店に入ることを余儀なくされた。店内には二、三人客がいてテレビが点けっ放しである。初老の夫婦が経営している店のようで耳が遠いからであろうかマスターの声は大きく少々品がなかった。注文したのはメニューの中で一番、安い300円のジャム・トースト一品のみである。期待して入った店ではなかったのだが意外にもジャム・トーストの味は良く、パンの厚みもそれなりにあったので一応、良心的な店と言えるだろう。
しかし、喫茶店の評価なぞしている場合ではなかった。むしろ、これから行く面接で私は、それこそ頭の天辺から足の爪先まで仔細に評価されるのである。刻々と面接の時間が迫って来ている。正午丁度に店を出てスクーターのスタンドを蹴ってシートに跨った。ブレーキ・レバーを握りながらセルボタンを押してエンジンを始動させ、アクセルを開けて出発した。この時、私の念頭からは“バイク・ツーリング”を満喫するという意識は全く消え失せていた。上下スーツで面接会場に到着して駐車場にオートバイをとめた。二階に上がって名前と用件を告げると椅子に座って待つように言われた。パーテーション(仕切り板)も何もないフロアで面接の様子は周囲に筒抜けである。
私の前に面接を受けている応募者は二人の面接官に、いたく気に入られた様子で三人の哄笑が聞こえてくる。塾が私にオファーしてきたのと同じ求人の応募者だった。これはやりづらいな、と思っていたら、お待たせしましたと言って若い方の面接官が私に席を勧めた。もう一方の年輩の面接官は開口一番、気分転換だな、なぞとふざけた一言を言い放った。さすがに、これにはカチンときた。少なくない時間と労力を割いて遠方から来ている志望者に対して随分、失礼で横柄な応対である。ここで席を蹴って帰ってもよかったが我慢した。
これで、この塾に対する私の心証は著しく悪いものとなった。二度と来るものかと思った。人を舐めた無礼な輩が面接担当官としての立場を得ているような塾は、ろくな塾ではない。年輩の面接官は即戦力が欲しい、研修はない、部下のマネジメント経験がないなら若い人の方がいい等々言いたい放題である。オファーの文面は腰が低く丁寧で好感が持てた。だからこそ三重くんだりまでスクーターで来ているのだ。しかし、実際に面接を受けてみると化けの皮が剥れて塾の正体見抜いたり、という思いがした。
面接官の私への対応から推量して採用する気がないのが、はっきりと判った。今回の面接では厭な気持ちにさせられたのは確かだが勉強にもなったと振り返ってみて思う。それは私くらいの年嵩がある人間は、これまでの仕事上での実績を第三者が客観的に理解できる数値でアピールできなければ、まともな企業では相手にしてもらえぬ、ということだ。厳しいがそれが現実である。そもそも、やる気はあるのです、といくらアピールをしても、そのやる気を裏付ける基準となるデータがなければ採用する側は怖くて採用できない。結果、毎回、企業から採用を見送られることになる。採用担当者の立場に立って想像すれば容易に分かることなのに私にはこの視点が全く欠けていた。悔しいが年輩の面接官が喋った内容をなぞった上記のロジックは理に適っている。
面接会場を後にしてオートバイに乗っている最中、私は相当に気持ちが沈んでいた。三重県まで来てこの様か、何時までこんな状態が続くのだろう。胸の中でそんな想いを反芻していた。面接は時間にして30分もせずに終わったので伊勢見物をする時間的なゆとりはある。早く帰る必要はない。気持ちを切り換えて、まずは当地のブックオフに行こうと心に決めた。街外れの百均でジュースを買ってキャッシャーで代金を支払うついでに女性の店員に、この近くにブックオフはありますか、と訊ねてみた。度会(わたらい)橋の向こうにあります、ここから10分程度で行けますよ、と親切に教えてもらった。
オートバイで度会橋を走っていると果たして店員が教えてくれたとおり前方にブックオフの黄色い看板が見えた。比較的、大きな店舗でこれは期待できそうだと思った。私は古本屋の店内を色々と物色して回る時間が好きである。店内を見て回ったが大きな店舗の割に収穫は少なく購入したのは本三冊とCD一枚だけであった。午後3時にブックオフを辞し途中、伊勢神宮に立ち寄ろうかと思ったが止めておいた。ブックオフに長居して残された時間が少なくなっていたからである。フェリーに遅れずに乗るべく港を目指した。フェリーの最終便は午後5時40分であるが、そのひとつ前の第7便たる午後4時30分に出航するフェリーに乗るつもりでバイクを走らせた。
途中、二見浦にある観光名所の夫婦(めおと)岩のすぐ近くを通り過ぎて鳥羽港に到着したのは午後4時少し前であったように記憶している。当初の予定どおり第7便に乗船した。船内で本を読んでいて、しばらくして窓外に眼を向けると外はだいぶ暗くなっている。船内にも明かりが点いている。フェリーは午後5時25分丁度に伊良湖港に着いたがスクーターに乗って下船すると外は真っ暗であった。暗闇の国道を住まいに向けてひた走る。夜のせいもあろう外気は冷たくオートバイで走っていると風を直に身体で受け止めるため寒いくらいである。私は自分の居にある風呂に熱い湯を張って早く身体を埋めたかった。
おわり