「論」ブログヨシ樹

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続々・24歳ホームレス女子

2021年04月14日 | 社会観

YouTubeでの一コマ


以下に記されている文章は当ブログにわたしが書いた「24歳ホームレス女子」という記事について盟友ハタボーさんが送ってくれたコメントにわたしが返したコメントをひとまとめにして公開する記事です。当該記事を公開するにあたり、わたしもハタボーさんのコメントに返したコメントを初めて公開いたします。手法としては「続・24歳ホームレス女子」という記事とほとんど同じです。それではお読みください。


小さなことからコツコツと (ハタボー)

 かつてこの国は「お互いさま」という価値観があったと思います 僕が思うにこの言葉の意味は、”困った時はお互いさま”とよく使われたようにあなたが今困っているが明日は我が身、明日は私が困っているかもしれない お互いの立場は変わるかも知れない 困った時はお互い助け合いましょうという助け合い精神が含まれていた 
 それが今や困っている人がいても「それは自己責任だ。私は間違ってもあんな風にはならないようにしよう」と思うだけでまさか自分が社会的弱者の立場に立つとは夢にも思っていない 
 お互いの立場が変わらないのでお互いさまとも思いようがない 
 分断 アメリカのみならず今や世界は経済的格差が主要な理由でさらに人と人とが分断されているかもしれない
 「君は決してひとりなんかじゃない」と流行りの歌は歌っているけれど、本当にひとりでないのならこんなに自ら命を絶つ人は増えない
 今言えることは、誰かに頼るのではなくひとりでも生きていける甲斐がたいせつ 
 些細な生き甲斐を日々こつこつ積み重ねていくしかない
 そんな些細な幸せなこと一つが残り嫌なこと全てを吹き飛ばしてくれることもあるのだから
 また語りましょう 何度も言いますが愛のある文章をありがとう  


温故知新(管理人)

わたしは当ブログの記事で現代は昔と変わらない、と記しましたが、もう少し核心に迫った誤解の少ない言い方をすればこうです。すなわち、現代も昔もこの世で生きている人間の本質に変わりはない、と申したいのであります。

いにしえを生きた古人の肉体には眼があり、鼻もありました。手もあり、足もあった。まさかさような点に異論はありますまい。肉体的な構造に変わりがなければ精神的な構造にも変わりがない、と論を進めることに無理はないでしょう。単純な言い方をすれば人間は古今東西、肉体的にも精神的にもその本質に変わりはなかった、ということです。単純ですが真実です。単純だから嘘である、とは言えますまい。

現代人は皆、進化論に惑わされているのであります。老若男女を問わず誰も彼も皆、してやられています。猿から段々と進化して人間に至った、という科学的に(「科学的に」ですよ)根拠がない仮説を盲目的に信じ込んでいることが間違いのはじまりなのであります。

その論理でいけば我々は進化して数万年後の将来には、あの発狂したいにしえの哲学者が提唱したいわゆるスーパーマン(超人)になる可能性がある、ということができます。このようなことを言うと可笑しいでしょう。確たる論拠のない思い付きにすぎぬ、とわたしも思います。けれども、このように滑稽な仮説を学問的に裏付けられた真実である、と現代人は盲信しているのであります。現代の鰯の頭というほかない。

さような学説を信じているから昔の人は今ほど教育がなくて野蛮だった、などと古人を見下すのです。昔の人は愚かだったので戦争が勃発したのだ、とか思い込むのです。決して、そのようなことはありませぬ。現代の色眼鏡をかけて昔を見るので誤るのです。現代、流行っていて誰もが疑わない進化論については、また改めて記事を書こうと思っていますので、ここで、これ以上、詳しくは触れません。

ハタボーさんは、そのコメントで現今の世界にある経済的格差を指摘されています。たしかに今の世界は貧富の差が鋭角的に現れていると一応いえるでしょう。しかし、歴史を学べば貧乏人と金持ちはいつの時代にもいた、ということが解ります。

古今東西を問わず経済的格差は存在して来ましたし、これからも存在し続けるでしょう。わたしは経済的格差を是認しているわけではありません。歴史的事実を述べているだけです。つまり、経済的格差の問題は新しい問題ではない、ということです。むしろ昔から連綿とある問題であります。

それでは、わたしたちはどうすればいいのでしょうか。難しく考える必要はありません。ただひたすら素直な態度で過去から学べばいいのです。虚心坦懐に歴史を勉強すればいいのです。ただし、現代の色眼鏡をかけて昔を見ることをせずに、という注意を繰り返し喚起しておきます。現代の色眼鏡をとおして昔を見る人々の何と多いことか!

日本語に「温故知新」という言葉がありますね。訓読すると「ふるきをたずねてあたらしきをしる」と読みます。『論語』に由来する言葉です。ご承知のように「過去にあったことをよく調べて学び、得られた知見を活かして新たな知識を得る」という意味です。

くどいかも知れませんが、わたしは躊躇わず改めて申し上げたい。わたしたちは昔に学んで得た知識や知恵を現代に活かすべきなのです。さらに申せば昔に学んで得た知見を将来に活かすべく備える必要もあるでしょう。

それでは昔に学ぶためには具体的にどうすればいいのでしょうか。古人が書き遺してくれたものがあります。いわゆる古典です。それを読むべきです。思うに大歴史書、大古典に現代の問題、課題の解決の糸口はないか、と訊ねるべきなのです。

大歴史書、大古典と言われてもピンと来ない場合には、わたしは人類共通の財産である聖書を読むことをお勧めしています。友よ、昔の人の叡智(えいち)はむろん神の知恵が記されている聖書を読みつつ様々な問題がある困難なこの時代を生き抜いていこうではありませんか。

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