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奥州初老カメラ小僧

趣味のカメラ・音楽、身辺に起る出来事等、好き勝手・気ままに綴るブログ。閲覧はご自由に。でも、無断引用は御遠慮下さい。

私的カメラ史(番外編・2)

2010-03-07 00:18:28 | カメラ生活
小生のカメラ生活の空白の期間にあった、最大の出来事は、測光形式の発展とオートフォーカス(AF化)ではないか、と思う。
そこで、今回はAF化について述べたい。
小生が、オリンパスOM-2NやOM10で購入し、東京で街頭スナップ等で写真撮影を楽しんでいる頃、コニカから「ジャスピンコニカ」という、コンパクト機ながら、オートフォーカスするカメラが発売され、全国紙の一面にその記事が掲載されるという、一大旋風が巻き起こった。その当時読んでいたカメラ雑誌には、レンズの被写界深度を利用したもので、一眼レフをマニュアルフォーカスでピント合せしたものに比べると、画質は劣り、(当時の)オートフォーカスの方式は被写界深度の幅が広い広角レンズには向いているが、被写界深度の浅い望遠レンズには不向きとも記載されていたと記憶している。
ジャスピンコニカは、後発のキャノンオートボーイ等に、合焦率の悪さに負けてしまい、意外に早く姿を消してしまった。というのは、低照度下の測距能力不足の為であり、キャノンオートボーイのような、赤外線アクティブ方式がその後主流を占めるようになった。

その後、オートフォーカス関連の4件の特許侵害と技術移転の関する1件の契約違反で、1987年に「ミノルタ・ハネウエル訴訟」が起き、日本のカメラメーカー各社は、軒並みに高額の和解金を支払う事になった。(因みに、1992年2月ニュージャージー州の連邦地裁は2件の特許侵害だけを認めたものの、最終的にミノルタ側は約165憶円の和解金を支払った。)
小倉磐夫氏は、「わが国の光学会社はこの50年間に2回にわたりハネウエル社の制御装置によって大爆撃を受けたことになる。最初は第二次大戦中のB29による絨毯爆撃で、つぎは特許侵害訴訟で、である」(小倉磐夫著 『カメラと戦争』155頁 朝日文庫 2000年)と評している。

さて、小生が趣味のカメラを再開した頃には、既にAF一眼レフの時代に突入し、マニュアルフォーカスの35mm一眼レフはオリンパスとコンタックスくらいで、接写等の特定分野を除き、アマチュアカメラマンの多くは、AF一眼レフを所有していた。

時代の趨勢はAF化、しかも、小生は(近眼+乱視)で眼鏡を使用している為、時々「甘ピン」になるので、やはり、AF一眼レフが必要だ痛切に感じるようになった。




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