奥州初老カメラ小僧

趣味のカメラ・音楽、身辺に起る出来事等、好き勝手・気ままに綴るブログ。閲覧はご自由に。でも、無断引用は御遠慮下さい。

夏休みの思い出

2012-07-25 17:24:37 | インポート
「一冊の参考書の選択があなたの生涯の興廃を決定するかもしれない」

冒頭の文言は、かなり時代がかった大仰なものだが、昭和20~30年代生まれ、大学受験を経験された方は一度は使った事のある学習参考書・問題集のカバーの裏に図書目録と一緒に掲載されている。

さて、私の場合、ある2冊の本との出合いが刺激となり、多大な影響を受けた経験がある。

大学4年の夏休みに入って間もない頃、当時練馬区にアパート住まいしていたが、一度も行った事のない区立図書館に行って見たいと思い、出掛けた。

館内を一通り歩き回り、その当時一番興味のあった分野の本を2冊借りた。一冊は徳永恂著「社会哲学の復権」であり、もう一冊は吉田秀和著「世界の指揮者」であった。

今回は、吉田秀和著「世界の指揮者」(ラジオ技術社1973)について記したい。

高校2年生くらいに、深夜11時半くらいからNHK=FMでは、早朝放送の「バロック音楽の楽しみ」の再放送があり、熱心に聴くようになった。司会者は、服部幸三氏と皆川達夫氏の2名。服部氏はバロック音楽を、皆川氏は中世ルネサンス音楽を中心に番組を進めていた。この番組にドップリ浸った為か、ハイドン以降のクラッシク音楽には差ほど興味を持たなくなり、交響曲では「ベートーベンの第九」のレコードくらい持っていれば良いだろうと傲慢にも思っていた。

しかし、大学3年生の夏、家庭教師のアルバイト・引越等があり、夏休みは帰省せず、練馬のオンボロアパートでゴロゴロしていたが、毎日午後1時に始まるテレビドラマを見る習慣がついてしまった。決まって見ていたのは、TBS系で放映された三浦哲郎原作の「忍ぶ川」。
そのドラマの中で、主人公が学生時代の友人と名曲喫茶に入り、シューベルトの交響曲未完成を聴きながら、昔はこの曲を聴いて感動を分かち合えたが、今では二人の心が遠く離れてしまい、もう学生時代のようには戻れない云々というシーンがあった。

このシーンもさる事ながら、バックに流れていた「未完成」を全曲聴きたいと思い、翌日、廉価版のレコードを購入し聴いて見た。更に、その一か月後に東池袋に住んでいた後輩のアパートに遊びに行くと、当時人気のあった、カール・ベーム&ウィーンフィルでブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」を16cmフルレンジSP2本で聴かされた。「うーむ。交響曲も奥は深いなぁ~」と考えを改めることに・・・。

その翌月の雑誌「レコード芸術」に国内プレスの廉価版レコード目録が付録でついており、これを参考に廉価版レコードを買い集めて見よう、いくら家庭教師のアルバイトをしていても、潤沢にレコード代は使えないので廉価盤や輸入盤で揃えようと考えた。

当時のレコードの価格は、カラヤン等の存命中のメジャーアーティストの場合、LP一枚は2300~2500円。廉価盤の場合は1300~1500円。輸入盤の場合は1000~2000円。

次にレコード購入の基準としたのは、没したアーティストの生前最後の録音。勿論、レコード芸術の付録は充分に活用した。アーティストの選択はパチンコ店の優秀台を選ぶようなギャンブル性抜群!こうして廉価盤・輸入盤に中心にレコードを収集。

こんな収集の仕方は邪道だったかも知れない。しかし、こんな邪道の収集法でも、買って失敗したと思うレコード殆ど一枚もなかった(←生来、能天気?!)

さて、邪道の収集法で集めたレコード、指揮者の名前だけを挙げて見ると・・・。

メンゲルベルク・O.クレンペラー・F.ライナー・P.モントゥー・V.ターリッヒ等

上記、指揮者に関して、私はレコード演奏だけを聴いて素晴らしい指揮者だと判断したが、それに「お墨付き」を与えてくれたのが、吉田秀和氏の前掲書だった。

さらに、吉田秀和氏の演奏家に関する評論の素晴らしさは、決して主情的ににならず、スコアを引用して解説する点にあるように思う。

当時、高価な国内プレスのレコードを購入すると、レコードジャケットにはライナーノートなる解説が掲載されているが、あまりにも主情的過ぎて、何で、こんな野郎のつまらぬライナーノートを読む為に銭を支払わなければならないのか、と何度も思ってしまった。

その為かどうか分からないが、CD時代になり、高価な国内プレスは殆ど購入せず、廉価な輸入盤ばかり購入するようになった。

吉田秀和氏の冥福を祈ると共に氏の衣鉢を継ぐ評論家の出現を期待したい。