
上・日本労働総同盟広島労正会1週年記念大会(1923.01)
下・1923年5月1日広島メーデー参加を呼び掛ける広島青年革進会のビラ
日本製鋼広島工場争議 1923年主要な労働争議④ (読書メモー「労働年鑑」第5集/1924年版 大原社研編)
参照
協調会資料(日本製鋼広島工場争議)
労働年鑑第5集/1924年版 大原社研編
日本製鋼広島工場争議
日本製鋼広島工場は、東京に本社、社長は団琢磨。広島工場はもっぱら海軍工廠や陸軍などの艦船用の諸機械器具など軍需製品を製造する工場。労働者は約2千名いた。戦後不況と軍縮の影響で大きな打撃を受けて、労働者大量削減の動きがあった。1923年時点では620名の労働者が働いている。
(労正会)
日本製鋼広島工場に、前年1922年1000余名による総同盟系の組合「労正会」が創立された。その年の5月会社は第一回整理大量解雇を強行した。この時、労正会は、「退職手当6ヶ月分の支給」を要求し、5月29日から6月6日までの9日間のサボタージュ闘争を行い会社から解雇された者への見舞金3千円を獲得したが、「退職手当6ヶ月」については、将来再び解雇する場合においては解雇手当の増額を支給するよう努力すると会社は誓ったが約束は果たされなかった。その後の数次にわたる整理解雇で労正会は400名ほどに減少したが、総同盟の指導により、労正会の団結は極めて強くなった。
1923年1月28日、労正会は創立一周年記念大会を広島市内で開催した。ここには総同盟鈴木文治、賀川豊彦も来賓として出席した。大会は「一、請負制度撤廃、二、役付職工の公選、三、8時間労働制実施、四、残業徹夜夜業撤廃、五、休日労働廃止、七、年二回の賞与、八、労務懇談会委員の職場選挙」の8項目の要求を決議した。
2月4日、この要求を会社に提出した。しかし、会社は冷然とこの要求の受け入れを拒絶してきた。
2月21日正午の休憩時間、労働者は一斉に工場内に集合してデモを開始し、午後からはサボタージュ闘争に入った。翌日もサボタージュ闘争は続けられた。27日になって再びサボタージュ闘争が行われた。
この頃労正会は、福岡から浅原健三らを招き対策を協議した結果、非常手段をもってしてもあくまで会社に対抗することを決定した。
4月8日、呉海軍工廠から請け負った水雷用備品の納期が4月15日までに完成させろと残業を命じられた労正会の労働者が、この残業を拒否し、また24日朝から620名が職場でデモを行いサボタージュ闘争に突入した。また労務懇談会委員の職場選挙を巡って再び争議が勃発した。会社は海軍工廠に違約金約7万円を支払う損害が生じた。会社は25日から3日間の臨時休業を発表し、同時に闘い続ける労正会の主な組合員52名のクビを通告してきた。労働者は憤激した。
26日、41名の解雇通知を一括して会社に返上するとともに、「死力を尽くして会社と対抗する」と大阪総同盟その他各方面に打電し緊急な応援を求めた。大阪総同盟は続々幹部や闘士を広島工場に動員した。
28日、解雇された41名は、529名の労働者と共に工場に突入・入場して、工場内において労正会大会を開催しようとした。万一工場入場を阻止された場合には、「最後の手段」を計画した。会社は警察官150名の応援を得て529名だけを入場させ、41名の工場入場を阻止した。工場内の529名は隊伍を整え、労働歌を高唱し、喚声をあげる工場内の労働者と呼応しつつ工場敷地中を練り歩き気勢をあげ、全解雇者の復職を要求し、会社の不当性を糾弾した。会社は再び5月9日まで11日間の休業を発表した。午後1時より海田市町旭の浦座で会社糾弾批判演説会が開かれた。
5月1日、広島市で初めて行われたメーデーに労正会の約130名が参加した。メーデー解散後、同市に住む工場長と主任の自宅前に押しかけ、彼らに対する悪口雑言を40分にわたり投げつけ、また付近をデモンストレーションした。
この間、職場では御用組合協調会が結成され労正会員の切り崩しを行いだした。会社は協調会を使い、労正会の壊滅を目的として職場で約340名を組織した。労正会代表は協調会代表に面会を申し入れ、この両者の代表の面会と協議に、警察は警官90名を派遣して警戒に当たらせることで労正会に圧力をかけた。
8日、会社はさらに労正会員23名をクビにしてきた。
9日、さらなる会社の攻撃に労働者は激高し、この日約100名が会社に殺到した。一方部長らが争議の調停を試みだした。
最終的に以下の条件で争議は終結した。
一、労務委員制度は次回を期して改正する
一、残業手当は研究の上幾分増加する
一、解雇は依願の形式に変更する
一、共済会の手当は最高日給の2日半分支給する
一、期末賞与は5月末決算の上、在籍職工と同額を支給する
一、今後は不都合な解雇は行わない
以上をもって、2月以来、紛糾を極めた争議も急転直下解決を告げた。労働年鑑第5集は「労働者側の勝利に終を告げた」とこの記事を閉めくくっているが、果たしてどうなのだろうか。
<日本製鋼広島工場争議主な応援者>(協調会資料より)
日本労働総同盟関西聯合会
大谷省三(野武士組)
山内鉄吉(野武士組)
山口万吉(野武士組)
井上良治(反逆団)
鈴木悦三郎(労働学校)
平井美人(大阪機械労働組合)
藤岡文六(大阪機械労働組合)
大山峻(大阪合同労働組合)
安芸盛(大阪印刷労働組合)
三田村四郎(大阪合同労働組合)
田中良一(労働学校)
浅原健三(福岡)