西南戦争・薩摩の史跡を巡る

西南戦争に関する有名な史跡からレアな史跡・薩摩の史跡を載せてます。
史跡の詳細な地図も付けています。

薩摩猫之介の散歩 西南戦争史跡㊸ 玉東町二俣台・横平山

2023-05-06 15:15:00 | 熊本県西南戦争史跡
官軍は薩軍が守備する田原坂攻略で田原坂と谷を隔てた二俣台に進発します。

田原坂の東側・二俣台


3月4日~8日に二俣で薩軍と戦闘がありました。
(二俣口の戦い)

二俣を攻略した官軍はこの台地に砲台を構築して、官軍本隊が攻撃している田原坂に向け援護の砲撃を行いました。

二俣台地から田原坂にかけては遮る物はなく、見通しがいいため砲台を築くには絶好の場所でした。

田原坂から二俣台地を望む




二俣台地の砲台は瓜生田と古閑、その間に官軍出張本営が置かれ出張本営にも砲台を築いています。

大砲は四斤山砲で8門が田原坂、七本方面に向けて砲撃されました。

四斤山砲(官軍主砲)
西南戦争で官軍の四斤山砲弾薬消費量は57087です


瓜生田官軍砲台跡古写真

発掘調査では四斤山砲の轍が見つかっています


古閑官軍砲台跡(下段)古写真


明治十年西南戦役 田原・吉次・植木戦蹟図にある二俣台地の砲台


官軍の砲撃は昼間のみ行われており、夜になると解体して木葉へと移したようです。

薩軍による夜襲で大砲を奪われないようにしたと言われています。


二俣瓜生田官軍砲台跡











二俣官軍出張本営跡





二俣古閑官軍砲台跡



ここは上段と下段に分かれて砲台が築かれています


上段の砲台跡

下段の砲台跡






令和14年までに公園整備計画があります





横平山の激戦

二俣台地の南側に横平山があります。


横平山は田原坂から吉次峠の防衛線にあり、薩軍の重要な陣地でした。

薩軍の防衛線
(黒点が横平山、赤点が官軍砲台)


田原坂から見た横平山方面





横平山では3月9日から官軍が攻撃を開始しています。

山頂に陣地を築いている薩軍に北側麓から官軍兵士は射撃をしながら登っていきました。

薩軍も応戦して射撃、抜刀して白兵戦を行い多くの死屍が横たわる状況だったとあります。

膠着状態が続いていましたが3月14日官軍は警視抜刀隊を編成して15日に横平山へ投入します。

(警視隊と警視抜刀隊を混同している人が多いのですが別です)

士族からなる両軍は激しい白兵戦を繰り広げました。

それによる死傷者も官軍は木葉、薩軍は木留の野戦病院に多く運ばれています。

3月15日~17日による官軍の猛攻で横平山は陥落してしまい、ここから吉次峠攻略の足掛かりにしていきました。



横平山山頂にある西南役激戦跡の碑



薩軍の塹壕跡



わかりにくいですがわずかに盛土があります


慰霊碑



横平山から田原坂を望む




横平山へ行くにはいくつかの道がありますが下地図の赤線の道が1番通り易いです
(その他の道は道幅が狭かったり、山道だったりします)


こちらも公園整備計画があります





横平山薩軍仮埋葬地

横平山で戦死した薩軍兵士が仮埋葬された場所で戦後に改葬されたようです

ここには徒歩でしか行く事ができません


写真ではわかりにくいですが、かなりの急坂ですので訪れる際は気をつけて下さい






薩軍兵站の地

ここには唯一湧き水があり、両軍が使用しています


湧き水が赤く染まるほど多くの死屍が横たわっていたようですね




























2 コメント

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Unknown (Unknown)
2024-02-03 09:43:23
横平山にも薩軍戦死者仮埋葬地跡があることを知りました🎵
Unknown (18770924kagoshima)
2024-02-03 12:13:55
コメントありがとうございます。
遊歩道沿いにひっそりと残っていました。

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