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日常の様々なニュースに対するコンセプトの記述

140815日本の対ロ政策は間違っている

2014-08-15 09:25:11 | 日記

日本の対ロシア政策は間違っている

望月喜市

 

日本はG7の1員としての義務を果たせというオバマ大統領の強い圧力に屈し、3回目の対ロ制裁を発表した。ロシアはこれに反発し、秋に予定されるプーチン大統領の訪日の可能性が薄らいでいる。

 米国主導の対ロ制裁の根拠は、(1)「クリミアのロシア編入」、(2)「マレーシア旅客機撃墜犯人説」、(3)「親露派への武器提供説」、(4)「親露派への抑制力不十分説」などである。

 (1)については、「覆水盆に返らず」でロシアは正当性を主張し返還は期待できない。これを理由に制裁してもその効果は期待できず、無用な摩擦は避けるべきだ。北方領土を返還しないのは怪しからんといって制裁を科す行為に似ている。日本は北方領土では対ロ制裁はしていない。(2)は米国が制裁の先頭に立った対ロバッシングの根拠であったが、その根拠を示すことなく、その後現在では米国でも「撃墜にはロシアの直接関与はなかった」説に落ち着いた。しかし、直後の強烈な制裁レベルを緩和する兆しはない。(3)は親露派の持っている重火器、とくに「ブーク」は、ロシアが提供したものではなく、ウクライナ正規軍との戦闘で分捕ったものだという説に落ち着いている。(4)については、ロシアはたびたび両者の和解を(EUなどを交えて)提案しているが、実現していないのが実態で、ロシアといえどもこれ以上の影響力行使は不可能だ。オバマ氏は、従来他国の内政に干渉し政府を転覆してきた経験をもつので、ロシアにも同じような影響力を発揮せよと言いたいようだが、ロシアはそうした行為はすべきではないと考えている。

 こうしてみると、日本を含む欧米の対ロ制裁の根拠は立ち消えてしまう。さらに経済制裁のマイナス効果がロシアはもちろんEU諸国にも表れてきた。

 何より肝心なことは、ロシアも参加している欧州安保協力機構(OSCE)の最終結論を待つべきで、そのうえで犯人を断罪すべきだということだ。それを待たないで根拠不明のまま双方が傷つけあう現状は異常であるし、傷が深くならないうちに即刻辞めるべきだ。

 というわけで、日本がオバマに盲目的に追随してロシアをバッシングした結果、プーチン来日は不可能になり(バッシングしている国を大統領が訪問することは常識では考えられない)、しかもオバマ氏にとって日本のバッシングは不十分とい印象を与えている。まさに「2兔追うものは1兔も得ず」である。


死を巡る様々な思い140810

2014-08-10 00:50:48 | 日記

8月は広島・長崎への原爆投下追悼の日、ガダルカナル島遺骨収集、インパール作戦での戦没者遺骨収集など、戦争にまつわる痛ましい死を思い出す。原発では20万人余りの方が69年後の2014年現在死者として記録された。ビルマ(現在のヤンマー)インパール作戦の失敗では、13万人の軍人が餓えと病で亡くなったという。

長崎の原爆追悼式典では、長崎市長が集団的自衛権を容認した現政権の姿勢を問いただした。立派なことだ。

高齢者が多い僕の周辺でも訃報は間歇的に伝えられる。死は人口ピラミッドから振り落とされることを意味する。生き残リ続けるためには、振り落とされないよう必死にピラミッドにしがみつかねばならない。

若いときを思い出すと、大飯しを食らっていたようだ。そのトガメが高齢化とともに表れてきた。つまり「生活環境病」にかかってしまい、複数の薬を毎日飲む羽目になった。若いうちに用心すべきであった。「後悔先に立たず」

この地球上で今もって戦争や民族紛争が後を絶たない。マレーシア旅客機撃墜事件でも300人弱の方がなくなった。

「石狩のなぎさに立ちて思うなり へいっわな国はありがたきかな」(露月)

「白雲の浮かぶ大空眺めつつ やそじ(八十路)の海を一人漂う」(露月)


原爆記念の日に思う

2014-08-07 11:13:01 | 日記

8月6日は原爆が広島に落とされて69年目の追悼記念の日だ。原爆記念公園の慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。僕は、この文章について、かねてから誰が過ちをしたのか(日本か米国か)?あやまち内容はなにか(戦争をしたことなのか、原爆を落としたことなのか)?誰がこの文章を選定したのか、など疑問に思っていた。そこでGoogleで検索してみた。次のことが分かった。

★この文章は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。浜井信三広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。

★この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。1952年8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。同年8月10日の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、「過ちは繰り返させませんから」とすべきだという意見が寄せられた・

★なお雑賀による碑文の英訳は「Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil」で、主語は“We”(われわれは)、これは「広島市民」であると同時に「全ての人々」(世界市民である人類全体)を意味すると、雑賀が1952年11月に広島大学教養部での講義などで述べている