看板には次のようなことが書いてあります。
此の場所は、江戸時代後期寛政拾年(1798年)、徳川幕府より建立を許可された大幟の柱・抱が、埋設されておりますので立ち入ったり掘り起こしたりしないでください。
佃住吉講
此の場所は、江戸時代後期寛政拾年(1798年)、徳川幕府より建立を許可された大幟の柱・抱が、埋設されておりますので立ち入ったり掘り起こしたりしないでください。
佃住吉講
先日、佃島・月島をカメラを持って歩いてきました。
佃島は元々、隅田川の河口に自然にできた寄洲でした。徳川家康は幕府を江戸に置くにあたり、本能寺の変の時にひょんな事から世話になった、摂津国佃村(現在の大阪市西成区)の漁民約30名を江戸に呼び寄せました。
その後、1644年には、隅田川河口の三角州を埋め立て島を作り、漁民たちはそこに住むようになったと言われています。
(経緯には色々な説があるようです。・・・インターネットで調べました)
しばらく、佃島シリーズをアップします
佃島は元々、隅田川の河口に自然にできた寄洲でした。徳川家康は幕府を江戸に置くにあたり、本能寺の変の時にひょんな事から世話になった、摂津国佃村(現在の大阪市西成区)の漁民約30名を江戸に呼び寄せました。
その後、1644年には、隅田川河口の三角州を埋め立て島を作り、漁民たちはそこに住むようになったと言われています。
(経緯には色々な説があるようです。・・・インターネットで調べました)
しばらく、佃島シリーズをアップします