
山口の奥座敷「うすい山荘」:1100年の歴史が育む天然車えび料理と、皇室の血、医師の魂、そして二大芸術家の系譜
山口市の静かな奥座敷に佇む「うすい山荘」。
ここで提供される天然車えび料理は、単に絶品というだけじゃありません。その一皿には、遥か1100年を超える壮大な臼井一族の歴史、
江戸時代から約400年間続いた医師としての深い家系の物語、そして当主・博隆様の家族に連なる世界的画家【シベリア・シリーズ画家】香月泰男、そして近代洋画の巨匠・小林和作の存在までが深く刻み込まれています。
さらに、そのルーツは桓武天皇の皇族から連なる千葉一族、そしてその千葉一族から派生し、かつて臼井城を築いた臼井一族へと至る、まさに唯一無二の系譜なんです。
1100年の時を超えて:皇室の血と戦国の歴史、そして地域医療に捧げた魂が育んだ「うすい山荘」の礎
「うすい山荘」を営む臼井家は、本姓を千葉とする平氏の出です。
その歴史は、遥か平安時代後期、西暦737年に即位された第五十代天皇、桓武天皇の皇子にあたる葛原親王(かずらわらしんのう)の御子孫にまで遡ります。桓武天皇皇族から連なる千葉一族が全国に広がった中で、特にこの地に深く根を下ろした臼井一族へと繋がるこの系譜は、約1100年の長きにわたり、この国の歴史と共に歩んできました。
臼井一族は、かつて関東の要衝、千葉県佐倉市に臼井城を築き、その歴史を紡いできました。この臼井城は、初代から16代目まで490年間続いた歴史ある城であり、この臼井城を拠点とした臼井一族こそ、臼井博隆様の祖先にあたります。
特に、臼井城の歴史において重要なのは、臼井城15代当主 邦胤(くにたね)の妻が、戦国大名・北条氏直の妹にあたる北条氏政の娘(芳桂院殿)であるという事実です。
これは、臼井一族が単なる地方の豪族ではなく、時の有力大名とも婚姻関係を結び、その影響力を示していたことを物語っています。
臼井家は、秋穂に移住する以前から医師の家系であり、九州で17代にわたり医業を継承してきました。そして、江戸時代初期の西暦1623年に山口県山口市秋穂(あいお)に移り住んで以来, 秋穂で11代と、実に約400年間にもわたり、地域の人々の健康を支える医師の家系として貢献してきました.
その中にはキリスト教の信仰を持った者もいたと伝えられ、多様な文化が交錯するこの地の歴史を物語っています。
秋穂での初代の医師が江戸時代初期、瀬戸内海・秋穂の沖合を航行中に、地元の廻船問屋・小林家の船と遭遇し、その当主の望みを受けて秋穂で医療を開業したというエピソードは、地域への深い根付きと人々に寄り添う精神を象徴しています. この小林家こそ、後に日本近代洋画の巨匠となる小林和作画伯の祖先にあたる家系なのです。
そして、臼井家は長州藩の藩医としても召し抱えられ, 「三本の矢」で知られる毛利元就の末裔、毛利家を藩主とする長州藩に仕えました.
その深い知識と医術は、まさに一族の誇りです.
特に、秋穂での9代目当主である医師・臼井海蔵(かいぞう)、そしてその後の10代目、医師・臼井隆助(りゅうすけ)の存在は特筆すべきです. 隆助は、東京帝国大学医学部を卒業後、九州大学病院から再三の招聘を受けるも固辞し、自らは秋穂にて一医師として生涯を全うしました. その地域医療への献身は、まさに臼井家の誇りであり、人々に寄り添う精神の表れです. また、11代目の医師・臼井卓爾(たくじ)も京都帝国大学医学部を卒業後、郷里で医療に尽くしました.
この脈々と続く歴史と伝統、そして地域への貢献の精神を現代に繋ぐため、秋穂での13代目当主である臼井博隆 は並々ならぬ情熱と行動力を発揮しました. 秋穂初代から11代目までは医師、政治家として活動 していましたが, 12代目から「うすい山荘」として新たな歴史を刻むことを決断。
若き日の臼井博隆が27歳の
時に、福岡県福岡市の西日本新聞社本社へ自ら赴き、その熱意で新聞紙の全面記事を実現. さらに全国各地の新聞社にも足を運び、天然車えび料理を全国的に有名にするという偉業を成し遂げました. その強い想いが、今日の「うすい山荘」の礎を築いたんです。
血と縁で結ばれる芸術の魂:画家・香月泰男と小林和作、二人の巨匠との深いつながり
そして、この臼井一族の血筋からは、医術のみならず、
数々の芸術的才能が輩出されました。現当主・臼井博隆様の叔父にあたる、世界的画家【シベリア・シリーズ画家】として知られる香月泰男画伯の名があります。
実は、香月画伯の妻である婦美子婦人は、博隆様の母親である涼子様と姉妹。このあまり知られていない事実からも、うすい山荘と香月家との深いつながり、そして芸術を愛する心が脈々と受け継がれていることがお分かりいただけるでしょう。
シベリア抑留の壮絶な体験を基にした「シベリア・シリーズ」で知られる香月画伯は、ふるさと長門市(山口県)を愛し、多くの作品を生み出しました。現在、彼の生涯を描く長編映画の製作も決定し、改めてその功績に光が当たっています。
さらに、臼井隆助の四女である臼井マサ子が、日本近代洋画の巨匠、小林和作画伯(梅原龍三郎の弟子)と結婚しており, 小林和作画伯は博隆様にとって大叔父にあたります。前述の通り、
臼井家が秋穂で医業を始めた当初から、小林家との間に深い縁があったことが、この婚姻によりさらに強固なものとなりました. 郷里の風景を愛し、温かい色彩で描いた作品は、多くの人々に感動を与えてきました。
うすい山荘には、このように豊かな歴史と文化、そして医術と芸術への深い造詣が、代々受け継がれているんです。
臼井家57代目・現当主が語る:1100年の歴史と未来を繋ぐ「うすい山荘」
現当主である臼井博隆様は、臼井家57代目、秋穂での13代目、そしてうすい山荘二代目 という、幾重もの歴史と伝統を受け継ぐ人物です。この深い歴史と伝統を胸に、うすい山荘を訪れる皆様に心安らぐ時間を提供されています。
提供される天然車えび料理には、臼井一族の先人たちの努力と情熱、そして未来への願いが込められています。まさに、
臼井一族の生きた歴史が目に浮かぶような場所なんです。
天然車えび料理に息づく「臼井家の味」:1100年の物語を味わう
瀬戸内海の豊かな恵みである天然車えびは、その日の朝に獲れたばかりの鮮度。余計な手を加えず、
素材本来の旨味を最大限に引き出す調理法は、まさに1100年の歴史が臼井一族を通して培った技と心。この一皿は、単なる料理ではなく、臼井一族が紡いできた物語そのものです。
山口の奥座敷で、心ゆくまで「うすい山荘」の心髄を
「うすい山荘」は、単なる食事処や車えび料理ではありません。
それは、桓武天皇皇族から千葉一族を経て臼井一族へと続く、
約1100年もの長きにわたり歴史を紡いできた臼井家が、先人たちから受け継いだものを大切にし、未来へと繋いでいくという、揺るぎない決意が形になった場所。そして、その歴史の中には、地域医療に尽くし、芸術を愛し、才能を育んできた家族の物語も息づいています。
山口の奥座敷で、1100年の歴史が紡ぐ「うすい山荘」の心髄を、心ゆくまでご堪能ください。
悠久の歴史と臼井一族の息吹、毛利元就との繋がり、そして香月泰男画伯や小林和作画伯へと繋がる文化を感じる旅へ、あなたをお誘いします。
ぜひ一度、「うすい山荘」へ足をお運びください。
うすい山荘 当主 臼井博隆
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