Living with わんこ&にゃんこ ★しっぽのはえた天使達

ひなたが虹の橋を渡り、現在は裕次郎とあかりとの生活が進行中です。
思い出話や今の事、徒然に犬猫バカ日記を綴ります。

真夏の恐い話

2012年08月31日 23時27分04秒 | 犬と暮らす

恐い話と言っても、心霊現象の話ではありません(笑)

犬飼いで、留守番が多い家庭が、夏一番恐れている事がとうとう我が家でも起こってしまいました。

突然エアコンが壊れて、送風しか出なくなったのです

 

確かに15年物でした・・・・

室外機の修理を3回もしました・・・・

でもちゃんとその前日の夜まで動いていたのんです・・・・

 

本当に運よく土曜日の朝に壊れたのと、需要のピークがちょっとずれていたため、

すぐに取り付けてもらう事が出来たのは、本当に奇跡だと思いました。

 

でも、すぐに取り付けてもらえるのは、最新ものしかなく・・・・予算を完全にオーバー・・・・・

しか~し、裕次郎とひなたの命には変えられないので、泣く泣く購入したエアコン↑です。

最近の家電はなんだかとっても高い気がします

 

でもこれで毎年ひやひや、ドキドキしていたエアコン故障については、しばらくは心配しなくてよくなりました・・・・

(うちは3台あったエアコンのうち、塩害で2台が壊れて、そのままにしていたので、最後の一台が壊れた時は

本当に焦りました。来年はちゃんともう一台買おうと思います^^;)

 

ごめんね。来年は2台稼働にするから、もうちょっと安心できるよ。


幸運犬

2010年04月15日 00時00分16秒 | 犬と暮らす

ご近所わんこのちゃーちゃん♪ まだ10カ月・・・

元気いっぱいで、とってもやんちゃ

ちゃーちゃん、ものすごーーーくラッキーなわんこなんです。

↑こんな元気な姿のちゃーちゃん、実は一カ月ほど前、車2台にはねられる交通事故にあって、もうダメかもって

思われたわんこなんです



場所は、国道134号線。

片側2車線の広い道路で、常に交通量のある道です。




ちゃーちゃんのパパの手からロングリードの持ち手が離れてしまい、カラカラという音に

驚いてどんどん道を走って行ってしまったちゃーちゃん。

そして、国道へ飛び出してしまいました・・・・・・・



ちゃーちゃんをはねたドライバーさんは、その足でちゃーちゃんを動物病院へつれていってくれる対処を

してくれたそうです。

運よく車には轢かれてはいなかったちゃーちゃん。

血尿が出たりで危なかったけど、骨折もなく、奇跡的に回復してちゃーちゃんはわずか数日の入院で

わが家へ帰ることが出来ました

本当によかった。

そして、最高に運がいいわんこです。




わんこの交通事故は、人ごとではありません。

ひなたも一度、もも父の手を振り切って、同じ道路に飛び出したことがあります

その時は運よく車道が赤で車が止まっていたから、ひなたは無事でした。

でもこの幸運は2度は続かないともわかっています






こんなやすらなか時間をずっとずっといっしょに過ごすために、色んな事から守ってあげなきゃって、

あらためて思います

そして、裕次郎とひなたにも少しでも安全にお散歩やお出かけが出来るよう、楽しく人と暮らしていけるように

最低限のルールを覚えてもらわなくてはいけませんね


チワプー兄弟!

2010年03月27日 01時40分23秒 | 犬と暮らす

かわいいでしょう~

ふふ、残念ながらわが家の新入りさん達ではありません。

ご近所わんこのチワプー(チワワ×トイプー)の兄弟わんこです

もうすぐ確か4ヶ月、体重は2kgないほどです

裕次郎とひなたがお泊り体験の夜、あまりにも静かな夜が寂しくて、この兄弟わんこがいるご近所さん宅へ

遊びに行った時の写真です




ここに2わんがいるのわかりますか~

もつれ合うように寝るココ&チョコです

先代わんこ(柴のコロちゃん)を17歳で見送った後、一年半ほどわんこなしの生活を送られていたのですが、

縁あって、このコ達がご近所さん宅へやってきました。

ママさんの笑顔がとても明るくなっていて、わんこってやっぱり人を癒してくれてるんだなーって実感しました。

裕次郎とひなたと外で会った時は、あいさつも怖がってしまってできなかったんですよね。

いつかお散歩仲間になれるといいな~

無理かな~

まっ、すでにちょくちょくこの兄弟に会いにいってる私です





おまけ



裕次郎のお気に入りの場所、もも父のサーフボードラックの下です。

たまに立ち上がる時に裕次郎がゴツンと頭をサーフボードにぶつると、もも父がひゃーと

小さい悲鳴を上げるのがちょっとおもしろいです(笑)

3回忌

2010年02月07日 11時30分32秒 | 犬と暮らす

今日はさくらの三回忌です

2年前のとても冷え込みの厳しい朝、突然さくらが倒れてそのまま虹の橋のたもとへ旅立っていった

場所に裕次郎とひなたといっしょにお花をたむけに行きました。

お線香も短くして、ちょっとの間焚きました。(こんな季節なので、ちゃんと後はお水で消火しました。)




すぐに公園管理の方に片付けられてしまうので、私の大好きなトルコキキョウの花を2輪だけ置いてきました。





さくらが突然倒れて息を引き取った場所・・・・・

13歳の誕生日まであと一カ月ちょっとだったね・・・・・

この場所、最近ようやく散歩の時に通れるようになりました。





あの日と違い、それほど厳しい寒さではなかった今朝。

裕次郎とさくらは3ヶ月ちょっといっしょに過ごしたけど、裕次郎はあまり遊んでもらえなかったけど、

裕次郎がラブが大好きなのは、やっぱりさくらの影響なのかな。





ひなたはさくらが空に帰ってから、生まれたんだよ。

でも内弁慶のところはさくらによく似てます。

さくら・・・・

たくさんの愛をありがとう

いつまでも大好きだよ~

そして・・・・いつかまた会える日まで、虹の橋のたもとでももこといっしょにほかのわんこ達と仲良くしててね。

そして、裕次郎とひなたを見守っていてね。

15年

2009年11月18日 22時30分06秒 | 犬と暮らす

今日は会社帰りに花を買って帰ってきました。
ピンクのバラ♪ももこへのささやかなお誕生日プレゼントです。

今日はももこの15回目の誕生日でした。

先代犬の誕生日がくるたびに、どうしても歳を数えてしまいます
そしておだやかな悲しみがやってきますね。




ももこ3ヶ月

が大きい~
体重がこのころ何キロあったんだろう



    今日のゆう&ひな




もも父がソファに寝転ぶと必ず2わんで顔をべろべろ舐めるのが日課となってます^^;

責任

2009年08月12日 06時00分44秒 | 犬と暮らす
↑写真は、ひなたが我が家に来た頃のものです。ひなた、小さいです^^
裕次郎とひなたのプロレス生活が始まった頃です。やんちゃだー^^;



昨日の夜、一匹のわんこに会いました。


ノーリードで車が頻繁に通る細い道を、とってものんきに(笑)匂いをかぎながらフラフラ
していたとっても大きな黒ラブ君。
たぶん40kgはありそうな、りっぱな体格でした。


この日、私はたまたまドッグランでもも父と裕次郎とひなたと7時半くらいに待ち合わせを
してました。(ドッグラン、8月いっぱい平日は8時まで営業なんです。だから
急げば会社帰りに間に合うんです♪)
ドッグランに会社帰りに行くときは、自宅の最寄駅の1つ手前の駅で降りて、
商店街を抜けて、ちょっとくらめの細い道を通って、ランがある大きな国道沿い
の道を15分強歩きます。


黒ラブ君とは、暗めの細い道でぱったりというか、黒い物体が動いているのに
私が気がついて、まさか、でもやっぱり、わんこだ!という感じで近づいて
いった感じです。
この道細いくせに車も結構通るので、のんきに道草するような道ではないんです。
もも父との待ち合わせも気になりますが、このままだといくら大きい子とはいえ、
交通事故にあってしまうと思い、チョークチェーンをしていたので、
どんな気性の子かわからないので、ちょっと怖かったのですが、チェーンをがっと
つかみ、脇道へ誘導しました。


あたりに飼い主さんと思われる人影はありませんでした。
完全な迷子犬です。


電灯の下でよーーーーーく、この超大きな黒ラブ君をみてみるとちゃんとお手入れが
されていて、毛はつやつやで、笑顔を穏やか。

試しに「お座り」っていってみると、ちょこんと座ります。
おー、ちゃんとコマンド入っているかもってことで、今度は「伏せ」っていっていみると
ちゃんと伏せしてくれます。
うーーん、うちの2わんよりいい子です(笑)

迷子札はありませんでしたが、今年の狂犬病予防接種済みの鑑札もついていました。


この子はとっても大事に育てられている子!
だからきっとこの子の飼い主さんは、今頃この子を必死で探しているに違いない!
だから飼い主さんがこの子の場所にたどり着くため、私はなんとか協力しようと
思い、とりあえずチョークチェーンだけでは動くのは難しいので、もも父に連絡して
裕次郎とひなたのリードを持ってきてもらうようにお願いしました。
そして、その間に最寄の警察署に迷子犬の問い合わせがないか、電話で確認しましたが、
まだ無いということでした。
今夜は飼い主さんと会うのは、無理かもなーなどと思いつつ、まだ8時前だし、
いざとなったら明日会社はお休みかなーなんて思っているところへ、
もも父が裕次郎とひなたをつれて、やってきてくれました。

裕次郎とひなたが、黒ラブちゃんに拒絶反応を示したら、今晩うちに連れて行くのは
難しくなるので、どきどきしましたが、黒ラブちゃんは、おだやかに挨拶してくれて、
裕次郎とひなたも「だれ?だれ?新しいお友達?」というような感じで大はしゃぎ^^;

大丈夫なようでした。

とりあえず、近くの交番に迷子犬を保護しましたという届け出をするために向かおうと
したところ、遠くから男性の叫び声が聞こえてきました!


「アルフーーーーーーー!!!」


あーこの子はアルフ君っていうんだーーーーー。
よかったーーーー。

飼い主さんは必死の形相で、ずっと探していたんですと感極まって座り込まれて
しまいました。
そして、ぎゅっとアルフ君を抱きしめました。
アルフ君は、穏やかにしっぽをふってました。

私がアルフ君と出会っておよそ40分後に、とっても運のいいアルフ君は
大好きな飼い主さんのもとへ帰ることができました。

たった40分、でもいろんなことが起こりえます。
今回は本当にとてつもなくラッキーだったと思います。

いつもこういうわけにはいかないと思います。

我が家に帰って、私も裕次郎とひなたをぎゅっと抱きしめました。

絶対に、もも父ともも母があなたたちを守るからね。絶対に。

わんこの飼い主としての責任をあらためて思う日となりました。

もも母の独り言^^;

2009年06月11日 23時59分54秒 | 犬と暮らす
↑3月にマッサージを受けているひなたです。
 テディベアカットのひなた、ちょっと懐かしいかも^^




最近、ちょっと動物病院について考えさせられることが
あったので、今まで、どんなことがあったか、個人的な備忘録的に
書いてみました。
あくまでも個人的経験と印象での話をうだうだ書いていますので、かる~く
呼び飛ばしていただけると幸いです。
文字ばかりが続くので、ご注意ください


先代犬のグレートピレニーズ(ももこ)は、よく病院にかかる子でした。
膝の関節を数度外して、夜に動物病院に駆け込んだり、
ノミアレルギーになったり、
ご飯食べなくなったり、
色々ありました。
このころは、いろいろと近所の病院をめぐってました。
まだどこがいいかわからないし、大型犬ということで、嫌がられることも
あったりしましたね。


もう一匹の先代犬のラブラドール(さくら)は、ちょうどゴールデンや
ラブラドールがはやり始めた頃に生まれた子で、先天性股関節形成不全が
話題になってきたころでした。
さくらがそうなんじゃないかと心配で心配で、でも1歳くらいにならないと
はっきりと判断できないといわれ、
近所で評判がよかったある動物病院へ行ったんです。

そしたら、こんなにひどい股関節形成不全では、この子は安楽死させたほうがいいっていわれ・・・・
目が本当に点になりました。
特にアドバイスも何もなかったです。
怒り爆発寸前のもも父をなだめるのが大変でした。
よかったです、傷害事件にならなくて^^;

お金払ってまでそんなこと言われたくないし、聞きたくもないし、
それ以来その病院のそばを通るのも嫌で、近寄ってませんね。
執念深いです。私。
悔しくて、絶対に見返してやる!ってフツフツと燃えてました^^;

徒歩圏内で、週末やってて、比較的設備が整っているって
評判だったんですけどね、うちにとっては最悪の獣医でした。
評判はあてにならないんだなって痛感した経験です。


あの頃はインターネットもまだ普及してなかったから、
タウンページで近所で土日に診療しているところを探して
みつけたところは、先生がひとりだけのこじんまりした獣医さん。
でもとっても飼い主のことを考えてくれる獣医さんで、大きいももこの
乳腺の手術を2回してもらいました。
悪性だったんですけど、ものすごく丁寧にこれから起こるであろうことを
説明くれました。
当時もも父が古いワーゲンのバスタイプの車に乗っていたので、
なぜか、気があってました。

さくらの脚もタンパク質をたくさんとって筋力つければ、歩けなくなるような
ことはないからって、励ましてくれました。



おかげ様でさくらは、フリースビーが得意なわんことなりました。
ボール遊びが大好きでしたね。
遊ぶボールがなくなると、よく近くのテニスコートの近くに散歩に行って
落ちてるボールを回収してきたものでした。



でも、そんないい関係も先代犬たちが10歳に近くなったころ、
微妙になってきてしまいました。

夜中にももこの具合が悪くなり、夜間緊急用の電話に電話したんです。

私もちょっとパニクッていて、かかりつけのももこのことだと
いってなかったんだと思います・・・・
いわないまま、状況を説明していたんですけど・・・・
時間が遅かったこともあったと思うから仕方ないんだけど・・・・
私の説明の仕方も悪かったんだけど・・・
なんでこんな時間にこんな電話してくるんだ的で・・・

緊急用にもらっていた電話番号にかけたんですけどね・・・・

あーこことのお付き合いももうだめかもと思って、わかりましたっていって、
電話きっちゃったんですよね。


すぐに折り返し電話がかかってきて、
電話かけてきてるのがうちだということが先生、やっとわかったみたいで・・・・

もも父とは普通に会話していたようです。
じゃー最初からもも父が電話してよっというのは、今書いてて思いました^^;
余計なこと思いだしちゃったかしら(笑)


でもそれ以来、その病院には私ひとりではいけなくなってしまったんですよね。
先生はこの前の対応は本当に疲れていたときで、本当に
申し訳なかったですってあやまってくれたんですけど・・・

私ってこんなに心せまかったの~って自分でもびっくり
ですが、そこへいくときはもも父だけでいってもらってました。
先生を信用できなくなっちゃったんですね。わたし・・・



ももこは結局、子宮蓄膿症で、すぐに手術が必要ということで、
でもももこが大きいので(40kg)、そこでは手術ができないので、
大学病院を紹介しますということに翌日なったんです。

でも大学病院は平日だけしか診療がない!
我が家ではそれは都合がとてもわるかったので、ネットでいろいろ調べて
車で1時間くらいの場所に動物の高度救命医療病院として
新聞とかにも載っちゃう有名病院があることを知りました。
お医者様は10人以上!
ももこの手術も問題ありませんよって引き受けてくれて、その時は
よかったこんな病院があったんだって安心しました。

手術は無事成功しました。

でもものすごいお金がかかりました。
入院日だけで一泊1万円!
それも抜糸まで入院が原則!2週間は入院したので、
プラス手術代やなんやらで、でもこれほど設備が整っている
病院ってそんなもんなのかなって思ってました。


フィラリアのケアとかは近所の先生のところ。
ももこの具合がよくないときは、そこの大きい病院という
分け方をしていました。


そして耳の耳道?に出た悪性腫瘍。

名前は今は忘れちゃいましたが、これもいきつけの病院だと
腫瘍ってわかりませんでした。

ずっと耳から体液みたいなのが出てて、あきらかに匂いが
耳が汚れたときとは違うのにって思い・・・・

セカンドオピニオンをもとめ、前にお世話になった大きい病院へ行き、
結果は悪性腫瘍で外科手術をして腫瘍をとって、その後は
抗がん剤治療の開始となりました。


1度目の手術後3日後に再手術。
がんがなかなか抑え越えられませんでした。

入院は3週間以上してました。

抗がん剤を打つと耳の具合もよくなるけれど1週間以上あけると
また薬でがんを抑えこめきれなくなるので、毎週の抗がん剤投与を
しながら、様子見がひと月続きました。

再々手術の提案は、断りました。
耳がなくなるのは、耐えられなかったので。

でもその後運良く抗がん剤が効いて、がんを抑えこめることが、そのときは
できました。


抗がん剤治療には賛否両論あると思いますが、また受けるかときかれると
わかりませんが、でもこの治療でももこが1年寿命が延びたのは確かです。


およそ一か月後に退院して戻ってきたももこは性格が暗くなってるし、
まず表情がね、なくなってしまっていました。
頭のかたすみに?マークが点滅しはじめました。

ももこが入院している間、一週間に一度か二度、
面会にいったんですが、前もって電話していったにもかかわらず
実際面会できるまで30分以上もまたされるって、何かおかしいって
思うようになりました。

でも手術は成功したし、抗がん剤治療も効果が出ているし、ももこに
激しい副作用は出ていないし・・・
頭に疑問符はあたものの、このときは新しい病院は探しませんでした。

毎週のように抗がん剤治療で半日ももこを預けるたびに、ももこの
前脚のひじのところが汚れている。
もも父がこのときは言い出しました。
毎回、毎回、汚れて帰ってくる。
おかしい・・・
どんな扱いをうけているんだろう、不信感が芽生えていました。

ももこの無表情は自宅に戻って一週間くらいでもとにもどりました。


そして・・・
ももこが突然立てなくなりました。
抗がん剤の間隔を二ヵ月に一回まで減らし始めたところでした。
最初に抗がん剤を始めてからちょうど一年が過ぎたころでした。

近所のかかりつけの病院では、股関節形成不全の悪化という診断でした。
もともと股関節が浅めだったし、そうなのかなって
その時は思いました。

でも今思えば、レントゲンもとっていなかったな、あのとき。


股関節形成不全の悪化だと思ったから、寝たきりにさせて筋肉を
おとさせちゃいけないと思って、あまり乗り気じゃないももこの
腰からおしりにバンドをまいて介助して、おしっこ散歩に一日
4度行ってました。
車いすも用意しました。
運良くこのときは私も病み上がりの休職中だったので、ももこの
介護の時間はたっぷりありました。


抗がん剤もやめようと思いました。
股関節の問題だし、一度芽生えてしまった不信感で、大事なももこを
あそこにはもう預けたくなかったんです。


で、ブログをはじめて・・・
股関節形成不全でこのむくみやナックリングが果たして
でるのか疑問に思いだして・・・・

アドバイスをくれる人たちにであって・・・
獣医腫瘍科認定医っという存在を知って・・・
車で15分もかからないところにその認定医がいる腫瘍専門外来がある病院が
あることを知って、セカンドオピニオンをもらいにいったら、
ももこの骨が砕けているのを知りました。
最初にレントゲンとってたら、これってすぐわかったことかもしれませんね。
骨肉腫でした。

ものすごく痛いといいます。激痛で、治療方法としては、患部の切断となります。
切断される肉体の一時の痛さの方が、ずっとそのまま粉砕骨折した部位があるより
ましなんだと聞きました。

その状態で散歩に連れ出してた私、ももこにとっては鬼だったかも
しれません。


私たちが断脚の決断をして数日後、ももこは虹の橋のたもとへ4本脚で
旅立ちました。
手術の数日前のことでした。


いきつけの獣医さんには感謝してます。
本当にそれまで色々お世話になりましたから。
でもね、あのときレントゲンとってくれてればって今でもやっぱり
思ってしまいます。

だから、感謝はしているけど、裕次郎とひなたをつれてはいけません。

今のかかりつけは、最後にももこがお世話になったところです。
ももこはここでは10日ぐらいしか、結局お世話になってなかったんですが、
点滴とかを打っているももこのそばにずっと付き添わせてくれたい、
何をどうするのかの説明とか、ものすごく安心できる病院だったんです。


さくらもこちらでお世話になるようになって、背骨の変形とか
前脚の肘の変形とか詳しく知ることができました。


裕次郎もケンネルコフの後遺症があって、こちらの先生が
ペットショップと話をしてくれて、医療費全部ペットショップ持ちに
なったなんてこともありました。
異物飲み込んで一日入院もしました。
今は裕次郎、コホッともいいませんけどね。
ひなたは今のところ健康優良児!です。


この先ももしかしたら、また他にセカンドオピニオンを求め他の病院に
いくことがあるかもしれません。
でも大事なわんこの笑顔を守るため、やってあげられる範囲で
最大のことをしてあげたいと思うのは、飼い主としては当然かなとも思います。


最後にお口なおしに、裕次郎のりりしい!?横顔をどうぞ(笑)

猛省(><)

2009年05月18日 23時52分04秒 | 犬と暮らす
今日、朝の散歩のときのことです・・・・・。

もも父が仕事で朝早くから出かけたので、私が散歩当番でした。
理想は裕次郎とひなたの別々の散歩ですが、平日の朝は、ついつい2匹同時になります。

ひなたは最近散歩の始めの5分くらいの興奮がものすごく、大好きな裕次郎と一緒のお散歩だと、ひっぱりも半端じゃないんです

今日もいつものごとく、ものすごいひっぱりで、裕次郎も嫌がるくらいのハイテンションでした。
でもとにかく今日は長いお留守番なので、お散歩もちゃんと長くしてあげなきゃといつもの散歩コースとは別の広い歩道のコースへ向かいました。

このコース、海沿いの国道沿いのひろーーーい歩道をぐるっと時間を見ながら往復しているのですが、ようやくひなたの興奮もおちついてきて一息ついたころ、予告もなしに、突然リードが軽くなったんです

えっ、何、と最初何が起きたかまったくわからなくて・・・・
そしたら、リードの持ち手だけがこわれて私の手の中に
残りは・・・・・・・
数メートル先のひなたに

急いでひなたを呼び戻して、運良く裕次郎のリードが両端にナスカンが付いているタイプだったので、2匹をつないで、散歩をすませました

でも本当にラッキーだったとしかいえません。
あれが少しでもちがうタイミングが起きていたら・・・
国道を渡る手前の信号でリードが切れていたら・・・
興奮状態のときに切れて、呼びもどしがきかなかったら・・・

・・・・・・今、ひなたは私のそばにいなかったかもしれません


ひなたのひっぱりが激しいんですから、ちゃんともっと使うリードを吟味すべきでした。
そして、散歩前にもチェックすべきでした。

今日と同じラッキーは、もう二度と起こらないかもしれません。
今日の夜からは、ひなたは引っ張り防止のイージハーネスと首輪を皮のリードで
つなげてWで事故防止対策をとりました。

わんこのお散歩道具の点検、しっかりしなきゃ~。
ひなたのお散歩も、気合をいれてトレーニングしなおしだ


黄金週間が終わったころ、近くのドッグカフェでの写真です。



ひなたのこの笑顔が見られなくなるようなことにならなくて、本当によかったです

心配なこと

2009年02月10日 00時08分16秒 | 犬と暮らす

ひなたの姉妹で、ブログでも交流があるニンファちゃんが、肺炎から肺水腫を発症させて、
入院していると聞き、ずっと落ち着きません。
命にかかわる病気です。なぜという言葉が頭をよぎります。
その前日までは元気にドッグランを走り回っていたのに、原因は不明だそうです。

上の写真は、ニンファちゃん(左)とひなた(右)です。
ニンファちゃんのママから頂いたものです。

まだ1歳になっていないのに、あんなにいつも元気で、とてもフレンドリーないい子なのに、
ただ祈るだけです。

ニンファちゃんの笑顔がまた見られますように!
このブログをご覧のみなさんも、どうか病気と闘っているニンファちゃんを応援してください m(_ _)m

アニマルコミュニケーション ももこ編

2009年01月31日 00時17分15秒 | 犬と暮らす
↑桃の花とももこです。
ももこの毛ぶきは、最後の年が一番良かった気がします。

4日に渡って記事にしてきたアニマルコミュニケーションも、今回で終わりです。
こういう話が苦手な方は、どうかこの記事はスルーしてくださいませ。










ももこには、聞きたいことがたくさんありました。
印象としては、ももこはずいぶんと穏やかでした。
亡くなってからもう2年近くたっているせいもあったのでしょうか。

この家はももこと住むために買ったのにっていったら、それはちがうよって冷静に否定されました。
犬を飼うため、ももこだけのためではなかったと認めさせられました。
そしたらももこは、にこってしたそうです。

とても意外だったのは、ももこがとてもテキパキした印象だったことでした。
ももこは反応が1テンポ遅い子だったんです。
たとえば、おしまいっていったら、一拍おいて、伏せをするような子だったんです。だからのんびり屋のマイペースってずっと思っていました。
このときに、あーあの間は、考えてから行動してたからあいてたってことがわかりました。(汗)

病気のことをききました。
ももこは左の後ろ脚が骨肉腫で骨折して、立てなくなっていたんです。
ものすごく痛かったっていってました。
でもずっと隠してたともいってました。
ももこは自分の容姿がとても自慢だったようで、痛くてもずっとそのままでいたかったといってました。
脚を切ってまで長生きしたいとは思わなかったようです。

これは、私たちはとてもショックでした。
今でこの衝撃ですから、もっと前に聞いていたら、ちょっと立ち直れなかったかもしれません。
なぜなら、股関節ではなくて骨肉腫とセカンドオピニオンを聞きに行った病院の検査でわかったとき、選択肢として断脚を薦められて・・・・悩んだ結果、それでもももこの命が助かるなら、断脚しようともも父と私は決心したんです。
手術の日も決めて・・・・

脚がなくなるってわかったとき、ももこは
もういいかっ
って思ったそうです。そして、本当はがんばればもう少し長く生きられたけど、がんばるのをやめたそうです。

言われてみれば、お医者さまを変えて断脚が決まってからおよそ1週間で逝ってしまったんですよね。ももこ。
4本脚のままで・・・。

私はどんな姿になってもそばにいたいと願い、ももこは、その姿にたえられなかったようです。
確かにももこは立てなくなってもいい笑顔してました。明るかった。

ももこのためと思って決めたことが、ももこの意志に反してたんだと思うと
なんとも悲しくなってしまいました。
ももこはもうどこも痛くないから、悲しまないでって。ももこのためを思ってくれて決めたことっていうのはわかってるっていってくれましたけど、なかなかつらかったです。

もも父が傍にいない数分の間にいってしまった理由は、ももこらしい答えでした。

(もも父はこのことをものすごく気に病んでいます。なぜあの時ももこのそばをはなれたのか、なぜひとりで逝かせてしまったのか、今だに悔やんでいます。)

ごめんなさい。本当はそばにいてほしかったけど、ぱたぱたと命を終える準備をしだしたら、もう、ももこの意志でも体の機能がコントロールできなくて、もう数呼吸していたら、もも父に傍にいてもらえたんだけど、それができなかったのって。
もも父にごめんなさいって何度もいってました。
そして、今はそのことをとても悔やんでいるもも父の心配を、とてもしていました。

さくらについては、手のかかる子だったとのこと。
そうか、ももこがさくらの面倒をみてくれていたから、もも父と私は楽だったんだーって思いました。
さくらは物分かりのいい子って思ってました。知らないことだらけでした。
もも父には、今のままでいてくださいとのこと。
私には、お散歩はちゃんと長くしてあげて(ごめんよー手抜きがばれてました)と痛いところをつっこまれました。

また会えるって聞いたら、まだ生まれ変わるつもりないの。もうちょっとゆっくり考えるとのこと。
そっか、ももこと会えるのはもっとずっと先なんですね。
残念です。

ももこ親分に手下のさくらって感じだったんでしょうか。
姉さん肌の妹肌
ぴったりの相性だったようです。
白と黒。
静と動。
いっつもいっしょだったものね。ありがとうももこ、いろいろとさくらの面倒を
みてくれて。

他にも色々とももこは話してくれました。
移動が多い生活だったってそういえばいってました。よく考えたら、ももこが来てから4回引っ越ししてました。
旅行もたくさんいって楽しかったっていってくれました。
ログハウス風のところがお気に入りっていってましたが、これについては、ログハウス風って結構あるので、どこのことか今だにわかりません。
それからももこはもも父にコートのブラッシングをしてもらうのが大好きだったそうです。
それからアレルギーもちのももこのために色々と、ももこにあうごはんをさがしてくれたこともうれしかったっていってくれました。

ありがとう。
ももこ。
至らない私たちだったけど、ももこといっしょに過ごせて私たちもとても幸せでした。

このセッションを受けて、もし、この先裕次郎やひなたが病気やけがをしてそのことで何か決断をせまられたとき、セッションを受けてどうしてほしいのか聞く時間の余裕があれば、聞いてあげたいなと思いました。

やっぱり、ももこやさくらの話をすると湿っぽくなってしまいますね。

明日からはお気楽犬バカ親ばか、炸裂させます!
あっ、でも明日は雨、それもかなり激しそうですね。
おうちでまったりかな~