波止釣大好き(特に落とし込み)

大阪湾がメイン。毎週釣りに行くのであまり 金をかけない釣り!
自作ヘチ竿で チヌ、キビレを釣るのが大好き!

脊柱管凶作症との闘い!(パート3)

2024年02月20日 05時19分07秒 | 日記

 

2月19日

 

リハビリの通院。診察は無い。

2月14日のリハビリ担当者に 15日にとんでも無い激痛の件を

話すと、気にして謝ってきました。

『私が強くマッサージしすぎたのが・・・』と。

そうかもしれませんが、

『入院中も同じ様にやってもらっていたから 気にしないで』

『今日は、優しく、筋肉、筋をほぐす程度でお願いします』

と返した。

入院中も今回の担当者も力は入ります。

なぜなら、私の足は こりこりで、もんだ瞬間どちらも

『あちらこちらすごく張ってますね!』

と言葉が出て、苦笑いしました。

こりこり、張りだらけ!数か所は自分でもわかっていましたが、

専門家にはすごい!!!

数か所どころではありません。簡単に見つけました。

なぜこんな足になっていたのか?

術後のリハビリ失敗の件も勿論ありますが、

手術前の無理も十分にあります。

昨年、10月頃から痛みだし、無理して痛み止め、湿布、

コルセットを強く巻いて重労働仕事をしていた。

この時、足の筋肉、筋に負荷がかかり痛めていたが、

脊柱で神経が圧迫されていて、痛みが伝わっていなかったと

思われます。

手術後神経圧迫がなくなり、一気に痛みが伝わって来たと

思われます。

特に右足!!!

今回の自宅療養中に気づいたのが、私の癖でした。

動き始めは全て右足からしか出来なかった事です。

床からの立ち上がり、階段、座る時などその他全て

右足からでないと出来なかった事です。

今は右足に痛みがあるので、左足からに変更していますが、

これがなかなか出来ない。

こんな簡単な事が出来ないのです。

動き始めは全て、左足からと意識しないと出来ないのです。

これが結構ムズイです。自分に腹が立っています。

この日のリハビリ後、すごく楽になりました。

リハビリ前の歩行では、左足を前に出したら右足はカニ歩き様に

横引きずりをしていましたが、リハビリ後は 少しですが

真っすぐ前に出て歩行出来る様になりました。

明日もリハビリを希望しましたが、全て予約で埋まっていた。

(リハビリ師は約10人はいる)

明日は休んで、21日朝一電話でキャンセル待ちを狙ってみます。

(今週は雨が多いので、どっかでキャンセルが出るとの事)

来週月曜日までには、何とか普通に歩行出来る様になりたいです。

(普通に歩ける人が羨ましいです。)


脊柱管凶作症との闘い!(パート2)

2024年02月18日 10時58分23秒 | 日記

2月5日(月)

母ちゃん(妻)が術後初めて面会に来た。

手術後翌日の予定でしたが、同部屋でインフルエンザの患者が発生。

その人は直ぐに出ていきました。

大部屋で私一人になった事で 他の部屋から3人が移動して来た。

で、翌日朝、同部屋でコロナ患者が!!!(2月6日)

院内感染!!!

その人OMさん!!!

OMさんは歩けたので 病院内を歩きまわっていた。

私のベッドの横!!!

えっ!!!OMさん移動しない!!!

部屋に大きな空気清浄機みたいなもの設置。

私を含め、残り3人に部屋から出ないようにと連絡。

濃厚接触者になった。

トイレと洗面のみOK。

コロナ保有者と同部屋だ!!!

個室を希望したが、空いていなかった。

翌日、1名は退院。

この段階でリハビリはベッドの上だけの簡単なものになり、

シャワーもNGになった。(入院してから1度もシャワー無でした)

歩く練習は、深夜2時に起き 一人で廊下で行った。

よく看護師に注意はされたが、

『第5類になったんや! それに誰もいない!!!』

『まともなリハビリ受けられてないんや!!!』

と言い返した。

歩く練習。その他一人で出来るリハビリを頑張った。

2月9日 もう一人のWAさんがコロナ感染した。

この部屋で感染していないのは 私一人になった。

この段階でも私はまだ陰性でした。(当日検査)

昼すぎ、担当医がやって来て、

『歩けているので 退院しますか?』

『家族に連絡して下さい。』

と言われた。

母ちゃん(妻)の 2月13日を希望でこの日退院した。

当初の予定は2月15日、抜糸してからでしたが・・・

 

翌日14日、通院し抜糸。

この時は入院していた病院ではなく、手術してくれた先生の病院へ。

車の運転がつらかった。右足裏ももに痛みがあった。

この日の夜、右足裏ももに痛みが強く!!!

痛み止めを飲み早めに就寝。

翌朝15日、朝起きたら激痛が!!!

トイレにも行けない。

トイレまでハイハイで行き立ち上がると激痛!!!

トイレ行くたびに吠えていた。

この痛みは CT撮影の時の激痛と同じ。

強烈はつった様な 強烈な肉離れみたいな痛み!

あの時はしばらくして痛みは無くなったが 今回は

痛みが止まらない。

車に乗る事も出来ない。タクシーも無理。

常に横になっていないと 激痛が走る。

夕方前、退院した病院に連絡。

救急車で病院に行く段取りをした。

夕方、準備が終わり救急車を呼ぼうと少し立ち上がると、

痛いながら立ち上がりが出来た。

何とかトイレは出来た。

この段階で、救急搬送を中止し様子を見る事にした。

推測ですが、入院中十分なリハビリが出来ておらず、

個人で無理した為と思われます。

入院中、看護師や担当医からも 早すぎる、無理するなとはよく言われた。

また、自宅では全てが和風で畳の生活。

床からの立ち上がり、コタツに入り座る、和式トイレなどの

練習を全くしていなかった。

練習無しでいきなり 筋や筋肉を使用いたのが原因かな?とも思えます。

2月17日 少し痛みが和らいたので通院。

車の運転は約30分、無理なく出来た。

しかし、歩行は200歩位でびっこを引いて歩くのがやっと。

手術してくれた先生は

『激痛が走ったのは無理しすぎですが、コロナにかからないで本当良かった』

(不思議に思っていました)

『昨日も手術した病院にいったが コロナで大変な事になっていました』

(手術した患者に会う事を禁止されていた)

『このまま痛みが止まらないと またMRIを受けてもらいます』

との事でした。

帰宅後、夕方から今度は右ふくらはぎ裏が痛みだした。

太もも裏の痛みはましになっていたが・・・

ふくらはぎに軽いしびれもあり 湿布を張って寝た。

2月18日 ふくらはぎの痛みは少しだけよくなっていましたが、

まだまだ、歩行はびっこを引いての状態です。

(ふくらはぎの痛みが邪魔をします)

15年前の手術後は2週目からは歩き回っていました。

毎朝、1キロ位の散歩は出来ていましたが・・・

さすが、もう年です。昔と同じように考えていた私がバカでした。

予定では来月から出社予定ですが・・・

無理かもしれません。

いつになったらまともに歩行できるか?・・・

そして、いつになったら落とし込みが出来るやら???


脊柱管凶作症との闘い!(パート1)

2024年02月14日 06時32分32秒 | 日記

 

2月14日(水)

 

私が釣りを休んでいた理由です。

昨日退院してきました。

 

2年前から 痛みが出だした。

MRIと撮って診察してもらうと、

15年前に手術をした上下で再発が始まっていた。

前回の手術後に約10年後再発する可能性は大と聞いていた。

昨年秋、またMRIを撮った。

痛みが酷くなってきた。

また、少し凶作が進んでいた。

痛み止め、湿布で様子を見る事にしたが・・・

この時、手術を進められていた。

『今度は簡単な骨削るだけにしますよ』

と、15年前に手術をしてもらった 信頼できる先生。

『約1か月待って下さい』・・・私

そして、今年、仕事初めにコルセット無しで仕事の望むと、

とんでもなく、痛く仕事にならなかった。

この段階で手術を受ける事にした。

職場の上司からも、進められていた。

直ぐに病院に行き 手術を受けると言うと、

2月1日手術。この日を逃せば 2月末出来ないと言われ

1月31日入院の2月1日手術を選んだ。

この日、手術の簡単な説明を受けた。

前回の手術した場所の上の部分は 骨削るだけで下はボルトを入れ

ロックすると説明があった。

最初と話しが少し違うが了承した。

次に妻との説明を受けた時、大幅な変更があった。

『前回の手術した場所を含め全てやり直しします。』

『30針位は開きます。手術時間は3時間』

最初の話とは全く違うのには驚いた。

やられた!でも信頼でき先生なので、お任せする事にした。

手術1週間前、手術する病院へ行き 全ての検査を半日かけ

行った。(夜勤上がり)

診断書は 約2週間の入院、手術後は約1か月の休養。

術後3か月間は重労厳禁。

その他、今回のコルセットは75000円と高額!

(後から70%は戻ってくる)

これを3か月間付けなければならない。

後、自腹でマウスピースも7400円

麻酔時、挿管事故防止で3年位前から行っているとの事。

 

1月31日(水)入院。

建物がかなり古い!

トイレが少なく遠い。

各部屋に冷蔵庫が無い!!!(これは驚いた)

タバコを外に吸いに行ったら 速退院と脅され

母ちゃん(妻)に没収される。

アルコールも同じと言われるが、もって来ていないし

私は入院中なんとも思わない。

タバコの没収はきつかった!!!

脱出喫煙の準備は出来ていたのに・・・

 

2月1日(木)手術。

当日、朝の入浴またはシャワーが無い。

15年前はあった。

ホットタオル2個だけ。

15年前の病院と比較してしまう。

今回は最悪の病院。

信頼できる先生が15前の病院を止め開業し、

以前の病院に 脊柱専門医師が居なくなったので、

今回の古い病院で手術する事になった。

午前10時半に徒歩で手術室に入った。

手術場は6~8か所あった。

私は一番奥で、手術開始前の準備中を何個も見た。

あまり見たくない光景だ。

しかし、慣れる為か 若い研修生らしき人結構いた。

(ノートらしきものを持っていた。)

ベッドに寝かせ 麻酔を!!!

しばらくして意識が無くなった。

 

次に目が覚めて時、いや意識が戻った時、

気のせいでしょうか?私は幽体離脱のように見えた。

ベッドの上で 色んな物を装着させられた自分が見えた。

真上から見た状態でした。一瞬驚いた!

次の瞬間、苦しさが来て、いろんな物を外され意識が戻った。

大きく深呼吸をした後、恐怖の痛みに襲われた。

15年前はここから半日は 痛さのあまり狂乱していた。

今回はその事を連絡していたのと、座薬が一番きいたと

連絡していたので、狂乱は無かった。が、痛い!!!

今回は寝返りを自分でいても良いと聞いていたので、

このことだけは助かった。

以前、術後4日間は看護師に寝返りをお願いしていた。

(15年前は自分での寝返りは禁止で寝返りは出来ない様にされたいた)

しかし、術後直ぐには簡単に寝返りは打てない。

術後の痛みが・・・

この日、寝ていたのか?起きていたのか?全く分からなかった。

時計も無い。この日の夜が3日分に思えた。

夜が明けたのが分かった頃、やたらと 小便がしたくなった。

管が入っていからそんな訳はないのだか・・・

何度も看護師に訴えるが・・・(そんな人も たまにいます程度。)

そんな時、たまたま信頼出来る先生が顔を出しに来てくれた。

(15年前と今回手術してくれた先生)

『もう、管関係全て外して歩行させていいで。』

『わしから、担当Drに連絡するわ』と言ってくれたが・・・

尿管は外してくれた。(これより尿瓶)

その後の小便に かなりの血が混じっていた。

傷つけられていたのだ!!!

(その後、1週間近く 小便をするたびに尿管が痛かった)

信頼できる先生は 私の事を理解してくれている。

私は非常に回復が早い事を知っていた。

普通ならこんな事は言わない。

私は信頼出来る先生が手術して来たなかで2番目にすごい

回復力の持ち主であるからだ。(15年前に言われた)

でも、さすがにこの病院のDrは1日のばした。

術後、2日後の夕方、ベッドからの起き上がり許可が出た。

車いすでトイレに行く練習を15分程度。

ここの病院はかなり古く、トイレが少なく遠い。

部屋を出てからトイレ入り口まで40歩もある。

流石につらかった。痛みもあるが軽いめまいもあった。

手術中、少し髄液が出たと連絡を受けていた。

術後3日目の朝1番から歩行器に変更してもらった。

歩行器なら歩く練習も出来るからだ。

この日CT撮影の為、車椅子で移動し 撮影台に数人で乗せられた時、

少し腰をひねったのか、激痛が!!!

CT室で大声を上げ中止を求めたが、強行撮影せれた。

その後、この痛みが続いた。

*続きは次回更新します。