サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……前代未聞の情報不足の時代かもよ?(2)

一人の人間が生きていく為に必要な『人格の力』を作るのに……一体どれだけの時間を掛けたら良いのか?

悩みはそれだけではない。
時間の進みは、一日毎に未来を現在に、現在を過去へと運び去る。

詰まり、自然人は今日までの力では明日には足りなくなるという宿命を背負って生きて行かねばならない。

大袈裟に言えば……新しい一日は何時も未経験の初体験。一発本番!という緊張状態を続けさせられているのである。
作り上げた!……と思えば直ぐに『次の必要』が生じてしまうという忙しさに自然人は追い立てられながら生きていく。

だから?人は……、学歴とか?カネとか?コネとか?権威とか?資産とか?いうモノに『人生の安全の担保、保証』を求めてしまうのだろう……。

不安とか苦悩とかに取り憑かれない為の『免罪符』という訳である。
『それさえあれば!』……という盲信。
コレもまた『カルト的新興宗教の一種』なんじゃないか?と……旧統一教会問題を観ていて、最近とみに感じるようになった。

カネをせっせと何処ぞに運び込んで(献金)おけば事足りる?……それでも悪いことが続けばソレが(献金)足りないからだ!と断じる。

考えてみてほしい。
自分の不幸であれ?不始末であれ不遇であれ?……その原因は全て『献金というカネの問題に収斂している』のである。

ソコに『自分というファクター・原因』だという思考回路が一切存在していない。
そんな人の思考回路は献金額のノルマと同じ意味合いで有名大学の偏差値が捉えられているのである。

『自己存在の意味』という発想なく……、自分の行動指針に関する情報因子は『楽したい!という欲望』のみ。
自分の中に占める価値観は献金額(偏差値)に殆ど全てが偏って依拠しているのである。

だから……『自分情報は皆無』に近い状態なのである。

医者?弁護士?上級公務員?(なれなきゃ普通の公務員)、有名大企業?……相手はどんな人間か?の前に、そんな『年収偏差値?』ともいうべき偏った価値観に支配されている婚活とやらに夢中の人の人格ってどうよ?……。

『こんなこと?してて良いの?』……という自己疑問。ソレが『自分情報取得の発露』となるのである。

この自己疑問を持ちようがない位、世の中による強いマインド・コントロールに侵されている人達……。
『他者依存・自己不信(自己不明者)』の人間をどうしたら?『自分という意識の覚醒』へと導けるか?が解決のための主たるテーマなんだけど……。

起点は『自分を頼ること』にある。
自分に頼れない人は他者にも頼れない。

だからこそ、この不毛の自己不信、他者不信、ひいては人間不信が前提ゆえに……数量(カネ)信奉と数量を生み出すであろう権威、知名度などの信者が蔓延しちゃった。

献金・(偏差値、数量のカネ)を盲信してるカルト信者は……『自分の心の状況の情報』が驚くほど欠落している。時折『曖昧模糊とした霧の空中』をボンヤリ見ている?そんなイメージである。

頼りになる訳もない対象(自分以外)を盲信している?

その様に因数分解してみれば?
我がニッポンの多数派もカルト信者そのものと言えるんじゃね?……と感じる。

両者に共通する大きなもう一つの特徴……ソレは『自分のホントの情報が皆無に等しい』という点である。

ITという機械文明によって『利便とカネのみが大きな大きな価値をもっている』かの様な世相……。しかしそれはあくまで数量価値です。

人間が追求すべき『存在価値』ってのはね?……チョットカネ払って塾へ?とか株式へ、為替へ投資したら?なぁ〜んて簡単便利にコトは進められないのですなぁ?

日々、自分の心を覗き込みその声(自分の情報)を拾い集めて思考繰り返して上げなきゃ
『自分発見』には至らないのである。

昔むか〜しから仏教が究極の目標と定めて来たのは『己事究明…自分とはなんぞや?』を知ること……。
真逆を行ってる感ありの現代ニッポン人の心象風景……。

自分を考えてない?自己疑問一つない?

少なくとも仏教的に言えばね?今の僕達ニッポン人はね?大罰当たりモンって言えるのかも知れませんよね……?
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