サンチョパンサの憂鬱

明らかに……極める

想定したストーリーに捕らわれる余りに……事の運びを理不尽だと拘泥(こうでい)してしまうという人は多い……。

これも何処かに幼児性を払拭し切れてないメンタルの仕業なんだと思う……。

ここんとこ、『諦める事の必要性』を書いているけれど、諦めるというのは努力無く放置する事ではなく、全力で挑むからこそ自分の限界を学べるのだという超積極的態度なのである。

『自分には叶わない事がある……』を知るからこそ、『出来ることに全力を!』というモチベーションを得られるという事だ……。

自分のストーリーに拘泥してソコを抜けれなくなる人は……実の所、出来る事に手を着けていないのである。
今の自分の望む方法で『何故?叶わないのだ!』と怒るばかりで、本当に成就させる為の行動を全くしていないのである。

無知の知がどんどん新たな知を稼ぐ事を後押しする様に……『出来ない事がある!』を知り諦める事は……出来る事が山ほどある事を教えてくれるのである……。

自分のストーリーに立て籠る人は、その子供染みた自分の理不尽な要求を諦められないのである。
変わるべきは……相手ではなくその自分の方法論こそ『諦めて変えて行く』べきテーマなのである……。

明らかに極める事……諦めるというのは極めて知的な発見なのである……。
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