サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……ハンバーグの価値観にも二通りある

コロナが始まって二年半……。

街には……様々な需要側のお客様と様々な供給側の飲食店が存在する。
これ位の価格でこの位のレベルの商品が最高に良い!と算定出来るものではない……。

一人の人間の動機にさえ……低いコストでカジュアルに行きたい日と、今日は奮発して高い価格だけど高い品質のモノでお祝いを!なんていう日もある。

同じハンバーグといえど……プライスは安くボリューム満点というモノがある。
一方で、食する空間が贅沢な深いニュアンス。
味も繊細にして深い味わいのあるモノもある。

ハンバーグという価値評価……コレを経済学的に説明すれば交換価値(価格)と、食物としてのハンバーグが有する味やポリューム感という使用価値(商品価値)という価値の二面性を有している。

コロナによって店舗はかなり減少したせいなのか?今までにないタイプの若い人達が来店するようになった。

思い上がってではなく不遜な立場でもなく……思うことがある。

一回の夕食に〇〇円という仕切りがある事から
ハンバーグとパンないしライスのみというオーダーが時折入る様になった。

店を選べば……僕の店の一人分の支払いで栄養バランスの取れたディナーセット二人分が食せる。代金を頂くのは…申し訳なくなる。
とても貧しいディナーを強要したような気がするのです……。

プライスオンリーという価値観しか持ち合わせがない人が増えたんだと思う。
詰まり交換価値(価格)だけで優劣を競う文化で育った人達にとって……僕の店のメニューはとても劣悪な提案となるのである……。

おそらく……ぼったくりレストラン?みたいなニュアンスをもって帰って頂く事になる。

長らく『高い・安い』、『コスパ?』という単一の交換価値のみで運営されたこの国の社会。
 
表示プライスオンリーの判断横行故に……『使用価値を吟味する力』を持たない人達が『食べ方のセオリー』さえ知らぬまま大人になって彷徨っている。

『食育教育?』って聞いて嘘でしょ?なんて思ってたら…現実に甘いカクテルでカルパッチョを食す人達や酒の為のカルトだけでライスを食べて帰る人とか?……。

『出来るだけプライスが安いメニュー』をアソートするからそんな哀しい食事風景となる。
『のみ食べ放題居酒屋さん』がかなり姿を消したけれど、そんな『食育難民?』の受け皿に僕の店は到底なれないのである。
僕の店は貧乏小規模経営故だからである……。

ある程度可処分所得があり、内装など雰囲気まで含めた空間の使用価値という『質的評価をして貰える』お客様をターゲットにしないと即ポシャるのである。
ターゲットのお客様は価値の判断基準が多面体で計れる人で可処分所得も高いという条件になる。

この食育難民という悲劇的流れは『貧しいおカネ事情』が原因ではない。もっと貧しかった明治から昭和初期までの時代……家庭の食卓も『工夫によって』使用価値を高める『文化があった』のだから……。

ソロソロ……カネという数量一辺倒の価値観から脱却しないと……この国の人もその人生も『質的貧困が定着』してしまう文化的危機の状況にあると感じるのである。
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