サンチョパンサの憂鬱

1983……尾崎豊が見た風景 (3)

尾崎豊が急逝した日から……様々のワイドショーで彼の映像と共に流れた曲だった。
それまで……彼に興味を持たなかった『大人達』が尾崎豊と言えばアイラブユーとなった。

絶えず……彼が、敵対的対象にしていた大人達が、この曲を以て尾崎豊を彼の死後となってアーティストと認めたのは皮肉な流れだと思う。

尾崎豊とて『人間の男』……男と女の関係を17歳の類い希な感性が取り上げると……全ての年代を頷かせる深みある作品となった不思議である。

当時の世情に似合わない彼のストィックなメンタル……『人生経験の長さ』なんて簡単に凌駕する『生き方の密度』故の力業で、男女関係を『お見事な切り取り方』でサラッと完成させている。

聞けば……アルバム『17歳の地図』の製作であと一曲、バラードが欲しい!との要請を受けて書いた曲だったという……。
アルバムの空白を埋めるという客観的な立場で肩の力が抜けたからこそ……緩い大人達の感性の領域に届いたのかも知れない……。



✳……✳尾崎豊『アイラブユー』の一節

✳I love you 今だけは悲しい歌聞きたくないよ

I love you 逃れ逃れ辿り着いたこの部屋
何もかも許された恋じゃないから
二人はまるで捨て猫みたい
この部屋は落葉に埋もれた空き箱みたい
だからおまえは小猫の様な泣き声で

※きしむベッドの上で優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に※

I love you 若すぎる二人の愛には触れられぬ秘密がある
I love you 今の暮しの中では辿り着けない
ひとつに重なり生きてゆく恋を
夢みて傷つくだけの二人だよ……

『何もかも許された恋じゃないから』……当然17歳の恋愛には様々の障害が立ち塞がっただろう……。
しかしコレが餓鬼の舞い上がった恋愛ゴッコの領域からワープして人間全般に共通するストーリーとなっているのはやはり……才能の為せる業というしかない。

新しい時代のマニュアル化した生き方が始まり、金科玉条かの様に……喧伝され……そして持て囃された理由によって、力なく衰退の途につく……。

彼の死後三十年で新たな市場原理とグローバリゼーションによる新自由主義がバイブル化され
富める者と持たざる者を境区した。

彼が生きて死んでいった時代、その後の新たな三十年に共通するワードは『カネ様の力』である。

☆~☆尾崎豊『17歳の地図』の一節

……街角では少女が自分を売りながら
あぶく銭のために何でもやってるけど
夢を失い 愛をもて遊ぶ あの子忘れちまった 心をいつでも輝かしていなくちゃならないってことを……☆

今でいうパパ活って奴の源流がソコに観て取れるのである……。
とても煌めいてる表層の下に、アブク銭にさえ事欠き組み敷かれる少女達が既にそこに歌われている……。

テレビのユーキャンのCMで桐谷健太、杏が唄う……『僕が僕であるために』が流れている。
最後に杏がアッケラカンと言う。
『そこからで……良いと思う!』……と。

社会システムや機械によって狭められていく人間の活動の場…もう人間の売り物は『人間の個性と才能』しかない時代なんだと…僕は……確信した。

周りと同調する事命で演って来た人々……。
時代は『さあ、これからは、お前たちの個性を差し出しなさい❗❗』と言っているのである……。
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