サンチョパンサの憂鬱

一つの大きな因数

一つ一つの変化を個別に見てたんじゃ何の関連性も見当たらない。
様々の変化に共通してる因数を強いて上げるなら『大転換・大変化』だろう。その手段となったのはITだけど。

根本的原因は経済のOSとしての資本主義が限界点まで進んだからじゃないか?……と思う。
その百々の詰まりに大転換、大変化が姿を現しつつある?……そんなイメージだ。

日本は成長から取り残されたっていうけれど
すでにリーマンショックの時点で、世界の民間の企業体が地力で回復したのか?
貨幣という印刷物で民間の負債を公的な所に移転しただけじゃないか?……。

資本家の資本じゃなく、貨幣を印刷して無理から成長を表面的に作り出したのに他ならない?……そんな風に見える。
資本が剰余価値を作れなくなってると考えたら合点が行く事は……多い。既にもう……マイナス金利だし。
ということは資本が利益を生み出さない……資本主義の終演の段階だと唱える経済学者は増えつつある。

『技術』を崇拝し過ぎたし頼り過ぎたんだと思う。産業革命以後……技術によって『マルサスの罠』を克服したか?に見えたけど結局は一人当たりの食料は人口増と資源の枯渇化によって減少に向かうという予測が成り立つ。

欲望は何時までも資本主義の推進力足り得るか?

ある統計によれば……生活が『ソコソコ』(飢えないで最低限の文化的な暮らし)に達すると
人間の欲望は経済成長にお付き合いしなくなり頭打ちになるらしい。日本における若者のクルマ離れなどもその現象の一つだと……。

経済成長に生身の人間の欲望が付いていけなくなった地点……それが今なのかも知れない。
いかな経済成長神話とて……資源を食い潰しての存立はない。

人間を最大公約数的な幸福に導く分配の最適化を構築するしか大転換を成し遂げる事は……無理なんだろうと思う。
無限に継続できる成長なんて地球上でという制限がある以上はあり得ないのだから。

未だに経済モデルを昭和のまんまで信じて過去的な立身出世主義崇拝者もかなりの比率で生息してる。他方、冷酷な貧困化に行き詰まりを感じて自然主義に逃れる人もいるし、社会に疲弊した人達の為にセーフティネットの構築に励む人もいる。

無難で平和な家庭を演技しつつある日子供の暴力の犠牲となる親もいて、平和な演技の無理が祟って誰でも良いから殺したくなる衝動を爆発させる若者もいる。

✳これこそはと信じられるモノがこの世にあるだろうか?……信じるモノがあったとしても信じない素振り……✳

吉田拓郎 『イメージの詩』の中の一節

大変化・大転換……はどうやら従来の分配の常識を根本から組み換えねば乗り切れそうにない。
しかし握り締めた旧来の価値観を富裕層は手放せないだろう。ということは矛盾が煮詰まるだけ煮詰まった後にしか人間の新境地は開かれないということだろう……。

今回のコロナ騒動は……永遠の経済成長という人間の幻に急ブレーキをかけ未来への航海術をドラスティックに転換しなさいという天からの警告なのかもしれない?なーんて思ったりもするのである。
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