サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……『才能』というもの

『才能研究家?』八木仁平さん著の『世界一やさしい才能の見つけ方』なる本の紹介文を読んだ。

才能について三つの誤解を彼は指摘していた。

その1……才能はスキル・資格とは違うということ。スキル・資格は古くなり劣化するけれど才能は死ぬまで持続するモノである。

その2……『努力は必ず報われる』という間違い。これは散々書いてきたからもう良いと思う。当たり前の話であり、現実は、報われる努力より報われない努力が圧倒的に多い。

その3……『成功者から学べば成功出来る』という誤解。
これ、『その人だから成功した方法』であり『自分の才能に合う方法じゃない』のである。
先日……成功はその人の独自の才能ゆえのアートだから成功にはマニュアル化出来る『秘訣なんかない』という話を書いたばかり……。


このブログを書き始めてからほぼ三年の時間が過ぎようとしている。記事総数は2800本弱、まあよくも懲りずに書きなぐったなぁ……?

当時……僕はとても怒っていたんだと思う。

数に飽かせた小賢しい連中がデリカシーの欠片もなく無神経に『真っ当な人の大切』を蹂躙していく風潮に……。

お湯を注いだら出来上がりってな風情の『イイ人』ばかりが街に溢れている。
『味も素っ気もないヒト・モノ・カネ』が織りなす予定調和で運ばれる風景が新鮮な驚きを喪失させて久しい……。
 
目先の欲に導かれ『計算に支配された思考』ほど『才能をスポイルするものはない』……。

自分を諦めた人達が……何で今更、人目を気にしながらイイ人演技に明け暮れているんだろう?
自分の才能を捨て去ること程、怖いことは無いだろうに?……と僕は苛立ち怒っていた。

自分を諦めた人間の興味は他者へと向かうしかない。
シャーデンフロイデ、ルサンチマン、スパイト行動という様々の嫉妬の心理。
自分が眼中から消えてしまった人達……嫉妬心に支配され他者からマイナスすることばかりに熱中する人々……。

そして降って湧いた様に……コロナがやって来た。
本物、正真正銘のリスクである。
リスクであれチャンスであれ、時代の大きな変化は剥き出しの『素の人間の力』を試すのである……。そう……人の才能がまんま試される時なのである。

皮肉な運びだけど……今となって『自分の才能と真摯に向き合う人』しか難局を乗り切る力はない事がハッキリしたんだと思う…。
どこを見ても『才能に関する話題』が取り上げられる様になった。

『足を止めて見なきゃ!……』

読み返すと何度もこのフレーズが自分のブログに登場している。
当たり前の話だけど『才能』という奴は、出そうとしなきゃ出てこないのである。
見つけようとする人にしか見付けられない。

大人達が挙(こぞ)って、青少年に対して才能?そんなの『止めておけ!止めておけ……』と脅し付けて来た国、ニッポン。

人の才能って考えるモンじゃない。
『感じ取る』ものなのである。
早くから『老成すること』が上手く演る事だと翻訳し続けたこの国の三十年……。

学歴、マニュアル、資格?
自分を放置したまんま……何処かを探して貰いに行く感覚……。
『才能』は『人の中』にあるのです。

自分を生きる覚悟無しに……死ぬまで出会えない。
才能は自分の本質そのものと言って良い。
偏差値を掠め取る様な感覚で立ち回る?
そんな老いたメンタルには才能は端から馴染まないのである。






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