サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……わかり合うことよりも許し合うこと

ひろゆき氏と竹中平蔵氏との対談を読んだ。

ポリティカル・コレクトとポリティカル・インコレクトの使い分けを提案する竹中氏、対して批判される事からダメージを受けない生き方してるからあんまり気にしない……とひろゆき氏。

犬が吠えついてきても気にしないでしょ?
バーカ!アホ!と批判される事はそれと大差ない状態だから?……彼は言う。

現実論において、『みんながハッピー』はあり得ない。既得権益者にダメージを与えない限り社会的是正は実現しない。

キリスト教者とイスラム教者が幾ら話しても『わかり合うことは出来ないじゃないですか?』……。
無理なものはムリ!
だから『バカと話しても仕方ない』と僕は思うのですよ……。

役所はもっと柔軟に対処して欲しい!がポリコレの表現。役人はバカだ!はポリインコレの表現……これ、中身はどちらも正しい。
しかし表現を変えればポリコレは広く受け入れられるんじゃ?……と竹中氏。

だから?

竹中氏は『上手く立ち回り』……官僚機構を使いこなし目的(カネ)を得た。
ひろゆき氏はメンタルの強さを使い『ポリティカル・インコレクト』を縦横無尽に駆使して人を集め目的(カネ)を得た……。

二人はよく似てるな?……と思った。

『目的(カネ)を強くモチベーション』しそれに徹しているという点に於いて。
違うのは目的へ向かうルートが表登山道か?裏登山道か?という点だけである……。

吉田拓郎は『今はまだ人生を語らず』の中で
☆……わかり合うことよりも 確かめ合うことだ
季節の巡る中で今日を確かめる
超えていけソレを 超えていけソコを……☆
と唄っていたけれど……。

『分かり合えない!』ことを交流の中で実際に確かめることってとても大切なことだと思う。

んでね?『ソコからが肝心』なんだと僕は思う……。

分かり合えないから?自己責任ってなるのか?
『分かり合えない』だからこそお互い『その存在を認め許し合うこと』からしか社会は『改善への一歩』は出せないんじゃないか?……と。

人の窮状を『目にすることができる人』なのか自分以外の事は『通り過ぎていく単なる一風景』とソレを過去へと流していく人なのか?

分かり合えないから許し合う…これが社会の今後を進化させる『唯一の処方箋』なのだと思った。キレイ事なんかじゃなく『現実論』としてそれしかないな?……と。

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